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25歳。

家でふんわり鏡月アセロラ味を爆呑みしながら録画してた『魔法にかけられて』を見ていたら、いつのまにか記憶と意識を飛ばし、今朝寝ゲロの海の中で目覚めた。
二日酔いと吐瀉物の刺激臭に苦しみながら迎えた朝。年を重ねた初日に喉つまらせて死ぬとかちょっと笑えない。

ところで、無事に大学を卒業できるとのこと。
「大学を卒業」というのは別に報告するほどのことでもないけれど、3浪したのだからせめて大学くらいはストレートで卒業してやろうとずっと思ってて、成績悪くて全く興味のない学科に飛ばされ、卒論も単位数も不安で大学やめちゃおうか本気で悩んだ時期もあったので、個人的には結構嬉しいし、ちょっとした誇りでもある。

卒論口述試験

卒論の口述試験が終わった。
ろくでもない卒論だったけれど、いつもの卒論ゼミみたいな感じだったのでほっとした。

10時半に大学を出た。東京の狭い空には珍しく、突き抜けるような良い天気だった。
これで、あと一本簡単なレポートを提出すれば、あとはもう(何かの手違いで単位を落としていなければ)卒業式を待つだけとなる。

こうしていざ諸々の事が終わってみると、なんだかのほほんと過ごしてしまった4年間だったなぁと思う。
かといって後悔しているわけでもない。やり直したところで同じような生き方をしていただろうからである。
こんな風にして私は生きていくのだろう。

学費の相談をするために学生会館に寄ったとき、ガラス張りのダンス部の部室の光景が目に入った。
強いて悔いをあげるとするならば、サークルには入っておけばよかったのかなとも思う。それが楽しいものであろうと、つまらないものであろうと、人と交流できる機会は今よりずっと多かったはずだからである。

そういえば、大学の学食も、ついに一度も利用することはなかった。


***

駅の近くのカラオケ店によって、ヒトカラをしてきた。
珍しく(点数的な意味で)調子が良かった。

店を出るときに、どこかでイヤホンを落としたことに気付いた。
久しぶりに音楽を聴かずに街をあるくと、案外この街も昼間は静かなんだなぁと感じた。

あたらしい人生、楽しむ気持ちを忘れずに。

『白い巨塔』

課題のレポートの関係で、久しぶりに『白い巨塔』(2003年のテレビドラマ版)を見た。
見たといっても最後の3話だけであるが。

『白い巨塔』は10年以上も揺らぐことなく、私が一番好きなドラマである。
色んなテーマ性を孕んだ作品であることは間違いないけど、今回またじっくり鑑賞してみて、畢竟これは財前の「男としてのかっこよさ」の物語なのだろうなと感じた。全てがかっこいい。
どこまでも野心家で、ずば抜けて実力があって、したたかで。でも弱さもあり、逆にそこに強い人間味があって。

最終回では、財前の母親が財前の死に顔をみて、「五郎、よく頑張ったね」と言うシーンで泣いてしまった。

新生活

3月以降のことが色々不確定すぎるけれど、とにもかくにも引っ越しのことを考えなければならない季節が来てしまった。

今日知り合いに「新しい家決まった?」って聞かれて、3月にゆっくり探すつもりだった私は当然のように「まだだけど」って答えたら、「お前、それはヤバイよ」と言われた。この時期に全く家探しのことを考えていないのは相当ヤバイことであるらしい。

そもそも就職のことすら全く考えてない時点で終わってる気がしないでもないが、それは置いておこう。

自分という人間は本当にこういうところが病的にダメなのだ。
近い将来のことに対する危機感がまるで欠落していて、したがって先手をうって行動できない(3浪したのもそのせいだろう)。
こういう意味で生活能力が死んでいるような気さえしてくる。
おまけに大学に友達が一人もいないので、この手の情報は能動的に動かなければ全然入ってこない。

そもそも私は引っ越しのことを知らなさすぎである。
段ボールってどこから用意するのかとか、費用がいくらとか、住所変更の手続きってどうやるのとか、なーーーーんにもわからない。追いつめられない限り、分かろうともしていない。

なんかもう全てがめんどくさいなぁ、という感じである。

でもみんな、この手のめんどくささに対して、めんどくさいなぁと思いつつ対処しているわけで、なんかそれは非常に畏怖すべきことであると感じている。自分だけがこういうめんどくささを抱えているわけじゃないのだ。はぁ。

2015年

あけまして。実家に帰省していて、数日前に帰京。
今年の目標みたいなものは特に設定していないけれど、

・自分の欠点だったり未熟なところだったりを、ひとつひとつこまめに潰していく

ということは、去年から引き続き徹底してやっていきたい。
相手の変化に敏感になる・その変化に言及する、良いと思ったことは素直に自分の言葉で伝える、嫌なこともはっきり嫌だと言葉で伝える、などなど。要するに、自分の限定的な人間関係を豊饒なものにするためのことを、めんどくさがらずにちゃんとやる、ということ。

物をこそ

びっくりした話。

なんとなく、気に入ったフレーズが浮かぶことがある。

私は「キャメル」という単語を知らず、検索してそれが色の名前であることを知った。
そこでふと、「上品なキャメルのコート」というフレーズを思いついた。
そのフレーズから止め処なく想起される様々な憧憬は、実に愉快なものであった。

それから数週間が経ち、私は暇つぶしに村上春樹の『ノルウェイの森』を手にとった。
私はこの本が好きで、折に触れて読み返している。
序盤の数ページを手繰っていると、そこに一字一句も違わない、「上品なキャメルのコート」というフレーズが出てきた。
40近い「僕」が、直子のことを思い出そうとしているシーンである。

私はこのフレーズに注意を払ったことは一度も無かった(もしそうであったなら、私は「キャメル」という単語をこの段階で調べているはずだから)。
まして、記憶に留めているなんてことは、あり得ないはずである。
それにもかかわらず、私は自分が思いついたはずのこのフレーズが、明らかにこの『ノルウェイの森』の一節に由来していることを直感的に理解した。

なんとなく読んだ、「目でなぞった」だけの箇所が、無意識のうちに私の記憶庫に格納されていたというだけでも驚嘆に値することだが、しかもそれを、「『ノルウェイの森』で見た」という情報を忘れたままに、ふとした折に思いつくようにして思い出し、しかもそこに色々な大事なものが結びつくというのは、まさに不思議としか言いようがない。

私はこういう現象が巷に溢れているのを知識として知っているし、経験も何度かある。
遠藤周作もどっかで似たようなことを言っていた。
たまにアーティストが「曲をぱくった」と言われるのは、意図してぱくっているわけではなく、たまたまどこかで聞いたメロディを「思いついた」と錯覚して曲にしてしまうからであろう。
しかし、流石に今回はびっくりした。


「思い出す」と「思いつく」の不思議な関係。

卒業論文。その2

卒論。なんとか書き終えて、製本して提出してきた。
前記事を書いた後に体調を崩して、高熱と吐き気と頭痛がひどくて「ああ、終わったな。」と思ったけど、ロキソニンとみかんのお陰でなんとか助かった。
1年もの間ずっと、嫌だなぁ逃げたいなぁと思ってきたけれど、最後はひたすら無だった。焦りや不安もなければ、楽しさや幸福感もなかった。書き終えてからも、達成感すらわかなかった。とりあえず最大の懸案が消えたけれど、現実感はない。ただただ、次の懸案にそろそろ直面せねばならないな、と。

今日は提出のためだけに大学に行き、3時間ほど1人でカラオケで歌い、バッティングセンターで手が痺れるまで球を打ち、讃岐うどんを食べ、家に帰ってぐっすり寝て、起きて借りてきた『塔の上のラプンツェル』を観て(面白かった)、久しぶりにランニングして、こうしてブログの記事を書いている。なんだか受験が終わったときのような気分。明日も(というか今日)終日暇なので、まったり過ごしたい。気が向いたらどっか行く。

卒業論文

「文章を書くことは肉体労働に近い」とは、たしか村上春樹の言であったと記憶しているが、卒業論文が佳境にさしかかるにあたって私はこの言葉を実感せずにはいられない。もうめちゃくちゃ疲れる。ブログも書き、日記も書いていて、「文章を書く」という営為に比較的慣れているはずだが、それでも辛い。チョコレートや栄養ドリンクを絶え間なく摂取して、机の上に散乱している参考文献に目を通しつつ、ウンウン唸りながら不毛にPCに向かっていると、脳内は非現実の世界を飛躍しはじめ、温泉とか雪山とかそんな浮ついた情景のなかをふわふわと漂いはじめる。出来れば誰かと行きたいが、無理なので一人で行く。終わったら絶対小旅行をキメてやる。考えてみれば、あと数日のうちに、一年以上もずっと懸案だった卒論から解放されるのだ。大変喜ばしいことだ。クオリティが低くて卒業できない可能性もあるけれど、それはもう知らない。とにかく書き上げて、提出してやる。だからこんなところで文章を書くリソースを使っている場合ではないのだ。でも文章を書くこと自体はわりと好きだから別にいいや。頑張る。

キャメルのコート

冬の昼下がり、こたつに入ってみかんを頬張りつつぼーっとテレビを眺めながら、ふと浮かんだささやかな思いつきのために、自分の能力と人生の一部とを全力で捧げる。
――そんな生き方がしたいなぁとふと思った。

たとえば山際淳司『スローカーブを、もう一球』に収録されているような、『たった一人のオリンピック』のように、大学生が思いつきでオリンピックに出てやろうと思うような、そんな生き方。
「自分の人生」というものを、紙切れかなにかのように扱うような、そんな生き方。

そんな他愛もない思いつきは、叶おうと、叶うまいと、当初思い描いていたものとは大きく異なるものになっているのだろう。きっとそれが楽しいのだ。


(『スローカーブを、もう一球』は、私のなかでトップ10に入るくらい好きな本です)

書きたいことはたくさんあるんだけど、それを正確に書くことにこだわりすぎているのか、なかなかうまく言い表すことが出来ない。それに、一度に色んなことを書こうとするあまり、文章がやたら長くなりすぎる。もっと短く、簡潔に、的確に「書きたい」と思う。1000~2000字くらいがちょうど良いと個人的には思う。思うんだけど、書けない。これ全部詰め込んだら10000字越えるなぁとか思って、いつも途中で放り出してしまう。それくらいの字数の文章をここにあげるのもそれだけで気が引けるし、文章そのもののクオリティにまず自分自身が満足できるに至るまでのチェックで時間がかかる。そうして途中の記事が今10本くらい溜まっている。スランプなのかな。恋愛系のことばかり考えているから、そういう面も影響しているのかもしれない。日々のことで小ネタでも書ければいいのだけど、読み手の立場にたって考えても明らかに面白くないし、書き手の自分としてもなんかどうでもいいなこれって思ってしまう。色んなことを学んだ、色んな誤解が解けた。それはいいんだけど、まだ文章にするほどには処理しきれていないのだろう。頑張ってみる。
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