ライブのはなし

※長いです。

***

去年の冬にとある歌手を好きになり、今年の春、その歌手のライブのチケットに当たった。
この先どれだけ長く、強く、この歌手を好きでいられるかはわからないが、少なくとも今の自分にとっては最高の歌手。そう言い切れるくらい、思い入れのある歌手である。

その歌手の初めてのライブのチケットを、私は2枚入手した。
チケットを手に入れた当時は、以前好きだった子にふられた直後のことであり、誰を誘うあても無かったのだが、ライブが開催される秋までには絶対に女の子を誘おうと決意していた。
当時の私のお誘いの戦績は、2人/1勝5敗である。「誘う」という行為がとてつもなく難しく、また敷居の高いことのように思えていた時期であった。

折しも、春に私の後輩として入ってきた子は、偶然にもその歌手の大のファンであった。
容姿とか振る舞いとかは私の好みとは違っていたが、その歌手の話題ではいつも盛り上がることができたし、聞くのが好きな私にとって、話し好きなその子とは相性が合っていた(ように感じていた)。

その子と出会ってから3ヶ月半が経った夏の夜のことである。ライブまではあと3ヶ月。
私はぼんやりとその子のことが気になりはじめていた。
ぼんやりと、漠然と、ゆっくりと気になっていったが、しかし、決定打には欠けていた。
そんな状況にありながら私は、ぼおっとしてたらその子も別の人とその歌手のライブに行ってしまうのではないかと焦り、ついに誘うことに決めた。

ライブは私にとって間違いなく今年一番楽しみにしてきたイベントであり、大仰な言い方が許されるのならば、生きる意味の一つであった。それくらい気合いの入ったイベントに誘うということはとても重い意味を帯びてくる。

誘った日は小雨が降っていた。
同じ帰り道で、私は彼女にライブに行く予定はあるのかと聞いた。
彼女はライブのチケットが売り切れたと勘違いしていた。当然、行く予定はなかった。
私は、「チケットなら一枚余ってるんだけど、行く?」と言った。
彼女は少し驚いた顔で、「ありがとうございます」と応えた。

私はそこそこ緊張していた。好感度が足りているかどうか微妙だったというのもある。
しかしライブそのものの魅力は彼女にとってもとてつもなくデカイはずなので、来てくれるという自信もあった。
余談だが、女の子が誘いに乗ってくれるときというのは、「自分への好感度+デートそのものの魅力度」が閾値を越えた場合であると考えている。今回の場合では、デートそのものの魅力度が爆発的に高かったから、好感度がマイナスでさえ無ければ(もとい、ある程度マイナスでも)断られることはないだろうと踏んだのだ。

こうして3ヶ月後のライブまで、私と彼女の間には「契約」が生まれた。
契約という言い方は馬鹿らしいけど、要するに互いに予定がある状態であり、それは男にとってはなかなか誇らしいことであろう。

しかしそれから、私は彼女に対してどのようにアプローチすべきか非常に迷った。
というのは、彼女は明確に男を区分するタイプの女の子であるというのがうすうす分かり、しかも明らかに私を恋愛対象としては見ていないというのが理解できたからである。彼女の、恋人にしてやってもいいと思える許容範囲がかなり狭く、その狭い領域に入っていけるほどの魅力や相性が私にあるわけでもなかった。許容範囲というのは、彼氏彼女の関係になれるか否かという場面で、好感度以上にポイントとなる。そしてそれは運であり、こちらからはどうしようもない。
もしかしたら、元彼のことを引きずっていたのかもしれない。本人はそれを否定していたし、今がどうかも分からないけれど。

そして何より、そういう難しさを打破してやろうと思えるほどには、私の気持ちは成長していなかった。
あえて意識して成長させなかったというよりは、そこまで彼女が私の好みじゃないのに、どこか無理に彼女の良いとこ探しをしている自分に気付いていたからであろう。
これは寂しいことであるのと同時に、しかし私にとっては大変な進歩でもあった。
「2人きりを経験するまでは、惚れたら負けである」という鉄則を、私は初めて守れたからである。以前の自分なら、誘えた時点で「この人は運命の人だ」という錯覚に溺れ、可能性のない人にのめり込んでいただろう(デートが初回だった場合、女の子はこちらに好感をそれほど抱いてなくてもお情けで来てくれることがあるからである。だからこそちゃんとした努力をしていれば初回のデートには必ずといって良いほど漕ぎ着けるし、逆に言えば2回目以降があるということはそれなりの好感を持たれていると判断して差し支えないだろう)。
2人きりを(できれば複数回)経験しない限り、好きという感情はあくまで「仮」だと考えるべきである。
とくに成人ならば、なおさら。

というわけで、最初私はこのライブを「終点」にして3ヶ月の間で何度かデートできればいいなと考えていた。n回目のデートとしてライブに2人で行き、そこで気持ちを打ち明けるというのが、最初期の計画である。
しかしそれが色々と難しいことを察してからは、ライブを「起点」にしようと考えた。ライブをきっかけとして、その後いろいろ誘うという方式。この方針を採用する場合は、それまでの3ヶ月をひたすら(言い方は悪いが)好感度稼ぎに費やすことになる。

しかし、その案も自分の中では無くなっていった。
ライブに誘った月に、もう1人気になる子ができたからである。

その子は外見・内面・振る舞い・頭の良さ・面白さという、私が大切だと思う項目全てにおいて満点を付けられるくらいの存在であった。ここまでポイントが自分の中で高いと、逆に私はあきらめる。私程度の男では到底手におえないと考えてしまうからである。だから私はこの子のことを好きになることはない、と思っていた。その子のまだ都会慣れしていない感じが他の男に受けないのか知らないが、その子には彼氏がいなかった(いない)が、もしそのある種の野暮ったさが抜けて洗練されてきたら、もう私の手には届かないところに行ってしまうだろうと感じていた。

ここまでレベルの高い子を好きにはならない、そう感じていたとはいえ、やはり私は2人をたびたび無意識に比べてしまったし、そのたび自分の「ライブの子」に対する感情が、もはや「仮」にすらなり得なくなっていることを悟った。こんなにどストライクで素晴らしい女の子、しかも今を逃せば一生アプローチ出来ないかもしれないくらいポテンシャルの高い子を見ないふりをして、好みでもなければ可能性も低い子をそこそこのやる気で追いかけるのは、かなり難しいことではないのかと。

そうして夏が過ぎ、微妙な感覚を抱えたまま、9月に入った。
心の中に2人の女の子が同程度に存在しているというのは、私にとっては極めて珍しいことであった。

そんな状態でありながら、私はこの夏の間に5回ほど、他の複数の女友達と2人で出かけたりサシ飲みしたりした。
誘うこともあれば誘われることもあったし、なりゆきでそうなった場合もあったが、ともあれ去年までは異性と2人きりで出かけるという経験が(どんな位置づけの異性か、とか、誘ったのか誘われたのか、という観点を抜きにしても)ほとんど無かった自分にとっては、非常に意味深い夏になった。

何より一番ありがたかったのは、「ああ、自分って少なくとも、生理的に無理とか思われるレベルからは脱してるんだな」という自信がついたことである。
そして去年、大好きだった子との初回デート(初めて自分から誘い、初めて好きな子との2人きりを経験した)で壮絶な爆死を遂げた私は「たまたまこの子と相性が合わなかったから楽しくなかったのか、それとも、どの女の子との2人きりをも自分はそもそも楽しめない人間なのか」という強い疑念を抱えてきたのだが、その答えが後者ではないということがわかったというのも極めて大きかった。一度、「友達」という位置づけではあるが、その子ととても楽しいデートが出来たことがあるからである。それからようやく、1人の男としての自分を自身で多少なりとも認めることができた。妙に緊張することも無くなった。

そうして私はだんだんとこの手の力学を身体で実感していくようになった。
この人は誘ったら来てくれるだろう/誘っても来てくれないだろう、という判断だったり、女の子との距離感の単純な測り方だったり、である。ライブの誘い以降、現時点で本命・友達問わず累計5人を誘って10勝0敗だから、多分この感覚は間違ってはいないだろう。(負けなくなった理由は単純である。負けそうな子は誘わないから)
基本的な約束事も身につけた。お会計、エスコートの仕方、店の選び方、話の広げ方、気の利かせ方、服、などといった細かいポイント。たとえば階段を下りるときや上るときは、自分は相手の上に立ちますか?下に立ちますか?とか。
もてる男・もてない男の判断は一発で出来るようになり、女性を見る目だけでなく、男性を評価する視点も激変した。

こういう実感はやがて積極性につながっていく。
これだけの経験値を獲得し、膨大なお金と時間を費やしてきたのだから、先述の超好みの女の子に対しても、今なら対等に渡り合えるんじゃないか。そう考えた私は、半ば思いつきで彼女を誘うことに決めた。折しもその時期は、とある水族館のイベントが開催されていて、ちょうどよい口実もあったのだ。

うまくいく確率は70%くらいかなぁと思っていたし、会話の分岐も全部想定して誘ってみたが、一番都合の良い形で予定を取り付けることが出来た。それから一週間後の1度目のデートでは、イベント自体は個人的にはそうでもなかったが、そのあとのディナーがめちゃくちゃ楽しかった。

私は、この子だな、と思った。
この子なら、のめり込むように好きになれると思った。

かようにして、今年一番のイベントであるライブは、「終点」にも「起点」にもなることはなく、「その1回限り」という位置づけにおさまった。ライブに誘った子にとってはもともとそういう位置づけだったろうと今では思う。しかしその子との関係における「装置」としてのライブの価値は大きく低下したとはいっても、私の(そして彼女の)大好きな歌手のライブである。楽しみでなくなるわけがない。換言すれば、ライブ自体は変わらず楽しみだったが、その子と2人という状況は別に楽しみではなくなってしまったということになる。
もちろん2人きりを経験してから何かが変わるかもしれなかったが、その可能性は低いだろうと私は踏んでいた。
何も変わらないよね、という確認作業に終始するだろうという予想があった。
結果からいえば、その予想は外れなかった。

ライブ当日。
ほんの一ヶ月前までは今年一番「重要」だと思っていたライブの日が、ついに来た。
ライブ会場のすぐ近くの駅前に、ばっちり化粧をした彼女が立っていた。
いつも結んでいる茶色の髪の毛は今日は流れていて、こんなに髪が長かったのかと驚いた。
秋の本格化した夕暮れは早く、空はだいぶ暗くなっていた。

私は彼女とライブ会場の近くで開場を待ちながら、今日のセトリの予想(というか妄想)とか、この曲だけは絶対歌って欲しいだとか、この歌詞が良いとか、そんな他愛のない話をした。

会場に入ってから分かったことだが、私がとれた席はとても良いとは言い難いものだった。
予想外のところで出鼻をくじかれたなと思いつつ、開演を待った。会話はそこまで盛り上がることもなく、微妙な沈黙もたびたび流れた。

19時ちょっと過ぎに、照明が落ちた。声援と共に会場内の人間がみんな立ち上がった。
私は感動の余り泣いてしまうのではないかと思っていたけれど、いざこの時を迎えてみると案外冷静だった。私がその歌手をそこまで好きではなかったというよりは、2人以上で居るとそっちに気が回って対象に感情移入できなくなるという私の性質がはたらいたのだろうと思う。1人でいるときに泣くことはあっても、人前で泣くことなど全然ない人間なのだ。無論、涙は流れなかったけれど、とてつもなく感動していて、盛り上がっていたことは間違いない。

ともあれ、大好きな歌手の「いま、ここ」を共有できているという思い、彼女(歌手)の人生の最先端にこの数時間だけは居られるのだという特権意識はやはり感動的だった。有名な曲が流れると会場のボルテージは盛り上がったし、弾き語りは圧巻の一言に尽きた。魂をもって行かれるほどの格好良さだった。

しかし特筆すべきは、私の隣で盛り上がっている彼女の好きな曲、それもいつものライブで歌われないような曲が、今回に限ってふんだんにセトリに盛り込まれていたことである。きっと彼女にとってとても思い入れのあり、彼女の誰にも明かしていない大切な思い出を惹起させる、そんな曲を彼女は生で聴けているのだ。彼女は今なにを思い出しているのだろうなぁと、私は曲に聴き浸りつつも考えた。
そしてとくに大穴だと思われていた曲の前奏が始まった瞬間、彼女はこっちを向いて、満面の笑顔で「やった!」と言った。私も「おおお!」と応えた。

――こうして夢のような時間はあっという間に終わってしまった。
会場を出るとき私は彼女に、「○○(その子の名前)を誘って本当に良かったよ」といった。これは偽らざる気持ちだったし、素直に言うことが出来たが、それは彼女にとって特にお得なセトリだったからそう言ったのであり、悲しいかなそれ以上の意味はなかった。良い意味で、このライブは彼女のためにあったようなものだとすら思った。

ライブが終わったあとに特有の虚しさを思い出しながら、魂がどこか抜けたようになりながら、わたしたちは細かいマニアックな話を展開しながら駅まで歩いた。こうして東京のまちを偶然仲良くなった女の子と歩くというのはいつも、のちのち印象深く思い出される。

大好きな歌手のライブが一瞬で終わってしまったことに対する虚しさもあり、ずっと楽しみにしてきたイベントがついに終わってしまいこれから何を拠り所にして生きていけばいいんだという淋しさもあり、さりながら、ライブを「2人で」楽しんだわけではなく、あくまで「2人一組で・それぞれ」楽しんだということに対する微妙な気持ちも否定はできなかった。楽しかったのはあくまでライブそのものであり、2人でいること自体が必ずしも楽しかったわけではなかった。
それは予想していたことであり、悲しいことでもない(彼女に恋愛感情をもはや抱いていなかったから)が、もやもやはやっぱり残った。

地元の駅の近くで夕食のラーメンを一緒に食べて、それからわたしたちは解散した。
彼女は「今日はありがとうございました」と言い、私は「こちらこそ楽しかったよ、ありがとう、またバイトで」と言って別れた。

彼女と私の「契約」はかようにして終わり、私にとっての彼女との物語もこの日で終わった。
あとはひたすらこの物語が思い出と化していくばかりである。
私はこれから彼女と無関係の人生を歩いて行き、彼女も私と無関係の人生を歩いて行くだろう。そんな2人がこのライブでだけは、互いの時間を共有していたのだ。それはやっぱりふしぎなことだし、のちのち味のある思い出となるのだろう。

ともすれば彼女のこの日の思い出から私という存在は注意深く疎外されてゆくのかもしれないが、それでも良い。たまに頭の片隅にでも思い出してもらえるなら、それで私は満足である。

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No title

生々しい話だ 

話を頭で想像しながらすばらしい時間がおくれた

ネット風にかくとイケメンすぎて笑ったwwwwwwwwwwwww

でもここはうらやま系の話だから笑ったwwはおかしい

羨ましすぎて妊娠したwwwてかくのがいい

No title

いや、思う存分笑ってもらって大丈夫ww

文章にして書くと素晴らしそうに見えるのが、やっぱり文章のもつ素晴らしさだなって思います。

お腹の子、大事に育ててね
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みかきもり

Author:みかきもり
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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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