スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

三島由紀夫『春の雪』

  

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」




壮大なる輪廻転生の物語。
三島由紀夫の遺作『豊穣の海』は四部構成である。それぞれ順に、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』という表題が付けられている。三島は最終章たる『天人五衰』の結末の原稿を入稿したのち、現在の防衛省がある市ヶ谷駐屯地に向かい、演説をしたあと割腹自殺。三島の首の画像などは、今でもgoogleなどで検索すれば一発で出てくる。

昨日その第一部である『春の雪』を読み終わった。『奔馬』以降はまだ手もとにない。

美麗な筆で書かれた恋愛小説であったが、僕はその最後の、まさに最後の一文に端的に示された第一部の物語の結末を全く予見することが出来なかった。

物語がどう終わるのかというのを予想しながら読み進めることを、物語の楽しみ方の一つだとすれば、この作品は本当に見事だった。もちろん今更僕ごとき人間がこの作品の価値を評価するなんて…、という感じではあるが。

そしてそれを踏まえれば、嗚呼あの文章はこういうことを予感させていたのか…というのが分かってくる。蜘蛛の糸のようにうっすらと、綿密に張り巡らされた伏線が、ここに結実している。僕は捕らえられた哀れな昆虫の様に、ある種の感動をもって「悟る」のだ。本当の意味でのカタルシスである。

華麗で緻密な情景描写は言わずもがな。三島由紀夫のお手の物という感じ。
個々人の人物描写も本当に見事と言わざるを得ない。
「夢と転生」という一大テーマを取り扱っているだけあって、背景には仏教思想が横たわっている。教養の深さを覗わせる。

本題には直接関係がないけれど、芸術とセックスは密接に繋がっていて、ゆえに文学とセックスも密接に繋がっている。(多分です。僕自身、芸術とはなんぞやということを語れるほど物を知らないので…。)
男女の目合ひ(まぐあい)もやはりこの作品でも重要なものとして位置づけられている。
僕は村上春樹や村上龍といった作家の、どぎつい直球な性描写よりも、三島とか川端とか、そんな世代の作家の描写――観念を観念のまま抽出するような方法が好きだ。

僕にはそういう経験が無く、ゆえにこういう文章は書けない。それは一つのコンプレックスである。
しかしながら、本当に恐ろしく、僕を嫉妬させしめるのは、そんな経験が無くともこんな文章を書ける人間がいるという、まさにその存在なのかもしれない。



ところで「三島由紀夫が好きだ」と言って憚らない読者というのは、どこか俗っぽいというかにわかっぽいというか、そんな感じがしませんか?僕のただの妄想かもしれないけれど。

しかし僕はやはり凡なる才を持った者として、やはりこの人の小説を好きにならずには居られないのだ、とつくづく思う。

ともあれ僕にとっては、非の打ち所がない作品であった。
後半は続きが読みたくて夢中でページをめくってた記憶しかない。
しかもこれはまだほんの序章に過ぎないからなぁ…。嘆息。


ちなみに途中、百人一首「みかきもり~」の句が出てきてなんか嬉しかった。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

最新記事
リンク
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。