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QMAの話

QMAについて色々考えてきたけど、最近だんだんと「こうではないだろうか?」というのがわかり始めてきた気がするので、メモがてら書いてみたい。


1.有機的知識と無機的知識

純粋に「問題を答える」だけのゲームとしてQMAを捉えた場合、QMAにおいて、有機的知識は才能そのものであり、無機的知識は努力の賜物だといえる。
有機的知識とは、たとえば「長年の相撲ファンの中に培われてきた相撲の知識、のような知識」であり、無機的知識とは、たとえば「非相撲ファンによる歴代横綱の丸暗記のような知識」である。

知識は連携してこそ意味をもつという立場に立つならば、前者は知識そのものであり、後者は知識の外郭と呼べ得る。

語釈から両者の定義を説明するならば、前者は生物の身体のごとく、ある要素が他の要素と密接に関わり合って成立している知識であり、後者はそうではない。ある要素が他の要素と関わりを生み出し、それ自身が動き出すような一種の「うねり」を持たない。

問題を解くという観点から両者を定義するならば、前者は問題を解くことを初めから意図していない知識であり、すなわち知的好奇心のなすがままに、好き勝手に育った強固な知識である。
その知識によって問題を解くという行為はあくまで副次的である。しかし、その知識は問題を解く際に猛烈な力を持っている。
後者は、その存在意義が問題を解くことによってしか発揮されない類の知識である。そこに、知識そのものに対する興味は最初は内蔵されていない。しかし、有機的知識では殆ど不可能といっても良い、細かな知識にたいしてフォローが利く。

初見の問題を解けるという観点から両者を定義するならば、前者はアドリブが利く知識で、後者はアドリブが利かない(非常に利きにくい)知識である。

QMAというゲームにおいては、有機的知識と無機的知識とは明確に峻別される(そして多くのプレイヤーにとっては、QMAは有機的知識だけを問うてくるゲームである)。



それを踏まえて、QMA世界で強くなっていくためには、どうすればよいのだろうか。
考えられる方策は2つ。

①有機的知識を増やす
それはすなわち、「苦手分野に興味を持つ」ということと全く同義である。

②無機的知識を増やす
回収を繰り返し、徹底した管理下のもとで暗記を丁寧に繰り返すことで、知識の外郭を増やす。



2.有機的知識と無機的知識との関連

上のような区分は半分正しくて、半分正しくない。
生物体がそうであるのと同様、無機物を全く欠いた有機体系など存在しない。
世界史の個々の事項(無機的知識)を積み立て、暗記することなしに、世界史の有機的なうねりを実感することは不可能である。

同時に、有機性を欠いた純粋なる無機的知識は存在しない。どんなに細かくマイナーな知識であっても、そこには必ず、他の知識と関わり合いを持つ可能性、すなわち有機性が内包されているからだ。

とすれば、「有機的」「無機的」というのは、その知識事項の特性ではなく、あくまでその知識をとりまく興味、知的好奇心というものから定められるということになるだろうか。


地球上に存在するどんな知識収集形式にも共通するように、有機的勉強と無機的勉強は、先後の差異こそあっても、どちらも欠かすべからざるものである。
端的に言えば、暗記のない勉強では知識は育たないし、理屈のない勉強でも知識は意味を持たない。
無機的知識は有機的知識を育て、有機的知識は無機的知識を育てる。(ゆえに、「頭の良さ」の個々の要素として語られやすい記憶力だとか創造力だとか頭の回転の速さだとかは、最終的には全部繋がっている)
才能は努力をサポートし、努力は才能を開花させる。



3.「うろ覚え領域」

QMAで強い人というのは、うろ覚えな知識の曖昧な輪郭をたくさん持っているのだと思う。
だから「何となく」正解を導き出せてしまう。
もちろんそれは問題形式によるところが大きい。タイピング問題で「何となく」正解を導くのはなかなか難しいし(皆無とは言わない)、○×問題は「何となく」が通用しやすい形式だろうと思う。

その「うろ覚え領域」を広げるにはどうしたらよいのだろう。無機的勉強?有機的勉強?どっちも必要ということだろう。



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