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伊藤左千夫『野菊の墓』

※ネタバレ注意です




「政夫さんはりんどうの様な人だ。」
「どうして、」
「さァどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし龍膽(りんだう)の様な風だからさ。」




友人に勧められた小説『野菊の墓』を読んだ。
夏目漱石が「自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があって(中略)あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」と絶賛するほどの名作である。

悲恋の短編小説。
展開そのものは、今となってはごくありふれたものだが(もちろんこれが明治期に編まれたことを考えに入れれば、当時の恋愛観から観ると革新的な作品だっただろう)、それを差し引いても面白い。

主人公(政夫)・ヒロイン(民子)ともにウブで、可愛く、この二人が織りなす風景はまさに思春期の甘酸っぱさといった体である。僕もこんな青春期を送ってみたかった…

二人が恋(「恋の卵」と表現されている)に目覚め、やがて周りの環境によって別れることとなり、そして最後には此岸と彼岸の別れとなり…そういう二重の別れによって、この甘酸っぱさは単なる「思い出」とはまた質を異にしてしまっている。主人公が結婚して10年以上たった今でも、昨日のことのように思い出す時代となっているのである。


出だしは以下の通り。

  後の月といふ時分が来ると、どうも思はずには居られない。幼い訳とは思ふが何分にも忘れることが出来ない。最早(もう)十年余も過去(すぎさ)った昔のことであるから、細かい事質は多くは覚えて居ないけれど、全く當時(とうじ)の心持に立ち返つて、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありといふやうな状態(ありさま)で、忘れやうと思ふ事もないではないが、寧ろ(むしろ)繰返し繰返し、考へては、夢幻的の興味を貪つて居る事が多い、そんな訳から一寸物に書いて置かうかといふ氣になつたのである。



非常に美しく調子の良い出だし!
こんな文章が書けたら苦労はしないだろうなぁと、ほれぼれするような書き出しである。
特別な語彙を使っているわけでも、語調にそれほど拘っている様子でもなく、素直にすーっと思いの丈を綴っているような印象を受けた。なのに(だからこそ?)こういう美しい文章となっている。
果たしてこの作者はここを、「神が降りてきた」ように書いたのか、それとも推敲に推敲を重ねまくって書いたのか…。

出だしも美しければ締めも美しい。

  幽明遙けく(はるけく)隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。



カッコイイ!ピシッと締まっていて、まさにスパリと切られた茎の切り口を思わせるよう。


これこそまさにザ・小説といった塩梅だった。
2時間あれば充分に読み終わるほど短いし、極端に難しい小説というわけでもないし。気が向いたときにでも読んでみるのがよいかと思う。



ところで、この小説とは関係がないのだけれど、「人は一生のうちであとどれだけの本に触れることが出来るのだろうか、どれだけの詩や小説を読むことが出来るのだろうか…」などということを考えた。

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