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秩父周遊記

 秩父へ行こう。そう決めてから実際に秩父に向かうのに、それほどの時間は掛からなかった。
 3月は私にとって、日常に塗り固められた月であった。
次月の生活を前にして、ほんの少しの間だけでも、日常から逃れる必要があった。私はその逃げ場所を秩父に求めた。別に秩父でなくとも良かったのかもしれない。非日常という時間や空間、根拠を、ただ近くの一地方都市に求めたに過ぎないのだから。

 旅の支度は首尾良く整えられた。
「全ては日常から切り離されていなければならない」――
 そういう観照が私を支配していた。日頃聞いているiPodの曲をあえて除外し、日頃飯時に使っているチェーン店などには見向きもしなかった。そして私はその観照に進んで自ら支配されることによって、日常から切り離されることに成功した。
 そんな風にして、私が京王線のターミナルに降り立ったとき、多くの人を呑吐する新宿駅は「日常生活」の象徴というポジションを逃れ、私がまだ鹿児島に居たときに抱いていた「都会の憧れ」としての地位を一時的にせよ恢復していたのだった。無言の人混み、ホームのにおい、構内放送、そんなあらゆる要素が私の心を沸き立たせた。秩父へはここから池袋へ向かい、そこから特急に乗って一時間ほどで着く。
 池袋の喫茶店で軽い朝食とコーヒーを摂ったあと、私は西武池袋線のホームへと向かった。午前10時ということもあってか、ホームには人はまばらであった。春とはいえまだ若干肌寒い空気の中、私は電車を待った。

 特急レッドアロー号は池袋と秩父を結んでいる。
発車時刻10分前にレッドアロー号が到着したときは、秩父や飯能へ帰ると思しき人々が列をなしていた。私みたいに観光のために秩父へ向かおうとしている人は殆どいないように思われた。私だけが切り取られている、そんな奇妙な優越感を抱きつつ、私は自分の座席番号を探し出し、腰掛けた。
 車内で数分待ったあと、特急はゆっくりとレールを滑り出した。列車は他の満員電車を横目に、ようようと加速していく。私は日常の絆しから完全に解かれ、風景も生活の桎梏を逃れ得て、そこにおいて車窓を挟んで私と東京の景色は再会した。私の心はいよいよ高まった。

 流れる景色にしばし見惚れたあと、私は携えていたかの有名な三島由紀夫の小説である『金閣寺』を紐解いた。高校時代に一度読んだことのある作品である。
 『金閣寺』はちょうど、主人公が金閣から出奔するシーンを描いていた。金閣を含めた全風景から逃れんとする主人公のように、私もこうして現実から逃れようとしているのだ。
 その偶然の符合はますます私を喜ばせた。非日常的世界においては非日常的な何かが起こらなければならない。――もちろん、吃音の主人公が最後にどうなるかということを、私は朧気ながら覚えていたのだが。
 特急はなおも走る。飯能へさしかかるころには、久しく見ていなかった山の稜線というものがみとめられた。車窓の景色は抒情的に過ぎていった。

 去年の八月ぶりの秩父はすっかり春の陽気であった。
駅から出るとまず武甲山の威容が秩父の翠黛を悠然と従えているのが目に迫る。どこか気だるい商店街やタクシー、他愛ない話をしている人々の姿が目に入る。そしてその次に、地方都市特有の時間のゆるさを感じることができる。そのゆるさはどこか懐かしさを伴いながら、日常を、私の時計を変調させる。地理が、空気が、風景が、時間が、それら全てが秩父のものというだけで「非日常」なのであった。私は歩き始めた。

 秩父市内には二つの巨大な吊り橋があって、一つは「秩父公園橋」、もう一つは「秩父橋」という名前で呼ばれている。秩父橋の方が上流寄りに位置し、その秩父橋のすぐ近くに「旧秩父橋」がある。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメにも頻繁に登場する橋だ。
 その旧秩父橋へ向かうころにはもうすでに結構歩いており、情けないことに私の足は靴擦れを起こしていた。地味で不快な痛みを感じながら歩く。雄壮な雲が奥秩父山地の翠微を覆い、地上では心地よく澱んだ生活感が流れていた。鄙びた食堂が申し訳程度に「営業中」の札を掲げ、数少ないコンビニは異色に浮いていた。
 川の存在感をまるで感じないまま旧橋に辿り着いたときには、陽が天高く昇っていた。
旧秩父橋は煉瓦で敷き詰められており、中央を花壇が走っている。既に本来の役割は隣の橋に譲り渡して、小綺麗な風情を醸し出しており、それが見事なほど初春の空気と調和していた。私は欄干に凭れ掛かり、川を眺めた。荒川は瑪瑙のように艶やかで美しい層を為してゆるやかに流れていた。秩父の山々が遠くに見え、秩父セメントのプラントが無機質に聳えていた。その景色は私を飽かさなかった。上流から快い春の風が吹きつけ、私はいつまでもこうして風を浴びていたいと思った。

 秩父ミューズパークという公園が高台にある。西武秩父駅から3.5kmほど歩いたところに位置し、バスも走っている。公園には「旅立ちの丘」展望台という秩父盆地を一望できる場所があり、昼夜問わず家族連れやカップルで賑わっている。卒業式などでよく歌われる「旅立ちの日に」という、あの人口に膾炙した歌を記して建てられたという。

 私はかりそめの「非日常」を求めてこの都市に来た訳だが、秩父をあえて選んだのには理由がないわけではなかった。というのも、この旅立ちの丘からの夜景をどうしても見たかったのである。去年秩父をおとなった際には時間の都合でその夜景を目にすることは出来なかった。今回の小旅行はその心残りを雪ぐという目的もあったのだ。
 旧秩父橋からゆっくりゆっくり歩いて秩父駅に戻ったときには15時半、日がやや傾ぐ頃合であった。ここから高台まで登る体力は流石にもう尽きていたので素直にバスを待つことに決めた。この時間帯になるとそれなりに肌寒くなってくる。私は自販機でホットコーヒーを買い、煙草を燻らせているバスをまつ老人の隣で飲んだ。自販機のコーヒー特有のチープな味が、この旅に彩りを添えてくれるような気がした。時間の流れはいよいよ静かであった。私は二本目のコーヒーを買った。
 バスはおよそ一時間後に到着した。最終バスであった。バスに乗ったのは私一人だけであった。

 展望所には長いローラー滑り台があり、2、3人の子供が遊んでいた。近くには鉄製の弓のモニュメントが設えてあり、何組かのカップルがそれを戯れに鳴らしていた。夕方とはいえまだ充分に明るく、夜景は遠かった。私はベンチに腰掛けて遅い昼食を摂った。
 紫幹翠陽の秩父の山並みに西陽が照り映える頃には、すでにだいぶ肌寒さが増していた。ただじっとしているのも辛いので、「旅立ちの日に」記念モニュメントへ向かった。向かった、といってもすぐそこにあったのだが。
 そのモニュメントには仕掛けがあって、人が登ると「旅立ちの日に」が唐突に流れ出すようになっている。
 「白い光の中に 山並みは萌えて」
この歌をクラスで歌っていた中学生時代は遠くに過ぎ去ってしまった。故郷を離れ東京を離れ、この暮れ泥む都市を見ている私は、「はるかな空の果てまでも」飛び立っただろうか?桜の木は西陽に透けて影絵のようになっており、一枝一枝に脹らむ蕾がこの高台での春の到来を予感させていた。モニュメントの柵には願いごとが書かれた多くの南京錠が絵馬のように掛けられており、それが陽を受けて鈍色に光っていた。
 一つ一つの願い事をつぶさに眺めているうちに、日はいつの間にか落ちてしまったらしく、盆地に灯りがぽつぽつと灯り始めた。薄暮である。
 私はなおも辛抱強く夜を待った。寒さはすでに衣を打つ程だった。
 
 秩父の盆地に夜が落ち、翠微の稜線が闇に溶け込むころには、もうすっかり夜景がそこに眼前していた。公園橋が海底の砂礫に沈んだ錨のように暗く存在感を放っていた。盆地の底に陸離としている光の粒のひとつひとつはどこか力強く、東京の、微細な点が細やかにちりばめられたような夜景とはまた趣を異にしていた。公園にはとっくに人の姿は無かった。ただ私一人だけが、缶コーヒーを懐炉代わりにしてそこに立っていた。
 多分ここにきて寒さを堪えながらこの夜景を眺めることなど、この一生でもう二度とないであろう。そんな一期一会性は私と他者との関係を、刀を舐める光のように切なく艶やかなものとして規定する。そんな風にして私とこの地方都市の光との関係は完結し、記憶のうちに封入され、時間の地平に消えた。私はこのとき、秩父に来て初めて「帰ろう」と思った。私は2,3度夜景の方を振り返りながら、その灯りの集合体のあたたかみへと、おりていった。―――

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みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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