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花さそふ

「あの頃僕はまだ18で
望めば全てが叶うと信じてた」

これは浜田省吾の「いつかもうすぐ」という歌に出てくる歌詞である。
僕は中学生だったか高校生だったか、その頃からギターでこの歌をよく弾き語っていた。

18になる前は、「信じてた」――なぜ過去形なんだろう?と思っていた記憶がある。
今となってはまるで信じられないくらいに、「望めば全てが叶う」というのは当然の、究明する必要がないくらい自明の真理だったように思う。望もうと思えば叶う、ただ望まないだけだ、というように。

そしてこの歌詞の主人公の年齢を越え、20を越え、いつの間にか全く気付かないうちに、僕はこの歌詞の主人公のように「望んでも全てが叶う訳じゃない」ということをやはり自明の真実として受け入れていた。
全く真逆の観念がとって変わっているのに、それがいつのことだったか全く特定できないというのは面白い。


「望めば全てが叶う」どころか、「他のことは全部どうでもいいからこれだけは叶えたい、と願ったものだけは叶う」というわけでもない。

望んだものが叶うわけではない。人間の99.9%くらいは、(目標(夢でも可)に関して、という意味で)挫折と成功を内包して生きているんじゃないかと思う。

***

僕がどういう立場でこれを言うのか、それによって受け手の印象は全く異なってしまうのだろうけれど、あえて言うとすれば(改めて言うにしてはあまりにも陳腐で月並みだけど)、「絶対的な高みを目指すだけが人生ではない」のだ。

いつからか、絶対的な高みを目指す生き方から、自分で定めた目標を一つ一つクリアしていく生き方に醍醐味を見出した。
なんだかんだで、僕は今幸せだと言い切れる。
(もっとも、そもそも僕が「絶対的な高み」を目指したことは、あってないようなものなのだけれど)

そして大事なことは、僕は消去法で(二者択一で一方がダメだったから)この生き方を選んだわけではないということだ。
僕は好きでこの生き方を選んだのだ。そこはよくよく強調しておきたい。
それこそ、「僕がどういう立場でこれを言うのか」、という問題になるのだけど、いずれにせよそれは些末な問題に過ぎない。


夢を叶えるために必要な要素のなかで、最も比重を占めているものは運であると僕は思う。
だから正直、夢を叶えた人間の言うことを、僕は参考にしない。できない。
夢を叶えた人間の価値観ばかりが取り沙汰されるけど、その裏には幾重もの、夢破れた人たちの価値観があるのだ(変な言い方だけどそういう人たちの価値観に触れるのは好きだ)…というのもあるし、ただ運が良かったからといって夢を目指さない生き方を否定するのはどうなの?夢を目指すことで幸せになれるの?とも言いたいからだ。
まるで、「役満を狙え、役満を狙わない人間は価値が無い」と言っているように思える。


***

しかしその一方で、絶対的な高みというか夢というか、それを目指している人間を否定することは絶対にしたくないとも思っている。
僕が東大(それを夢と言うかどうか、難しい問題だが)を目指している頃、その目標を真っ向から否定されたことがあって、僕は未だに彼のことを許すことが出来ない。
彼もまたその大学に破れた人間だったが、その「夢」破れた瞬間に「夢を目指す生き方は愚かだ」という意見を夢を目指している人に押しつけるという姿勢は本当に万死に値すると思っている。

だが僕もその手の発言をしてしまったことはある。

自分が望みを叶えられる人間なのかどうなのか、それを判断するのは最終的には自分自身だし、それを判断する機会というのは必ず訪れる。
そうして当人は勝手に、望みというものに対する観照を育てていくものなのだ。
他者がどうこういう問題では決してない。


生き方は人それぞれである。
だから、僕は僕の生き方を誰にだって否定させないし、それと全く同じレベルで、他人の生き方を否定したくない。
(ただし、時に他人の生き方に干渉しなければならない機会というのも少なからずあるのだが)

特に才能ある人間は高いところを目指すべきだろうと思う。才能ある人間にそれを開花させることをもまた、押しつけたくはないが。



***


でもなんだかんだで、今の方が進取性のある生き方を出来ているというのもまた面白い。

…いやそれは気のせいか。


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