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ペンチャン即リーが2度も上手くいったからといって

春休みはやりたいことがいっぱいある。

一度挫折したラテン語の勉強、漢字検定対策、マジアカ対策、麻雀、読書、ギター、そして絵。
どの項目にも等しく時間を割くのはなかなか難しい。

しかし受験期だって、英語、数学、国語、世界史、日本史、生物、現代社会…と、あらゆる科目を(全方位まんべんなく、とは言えないが)やってきたわけで。
それと同じように考えれば、少しは楽になるかも知れない。

***

「努力」、というものが仮にあったとして。
僕はそれを昔、「才能を磨くためのツール」としてではなく、「才能の無い者にとっての、才能の欠落を補うもの」だと捉えていた。

言うなれば、昔は豪腕でならした投手が年を経るにつれ、剛速球を投げられなくなり、そのため変化球を習得し、技巧派投手へと転化して一花咲かせるような。
努力というのは、持たざる者がするものだ、と。

つまり何事かに結果を出すには、才能という項目と努力という項目の数値の合算が物を言うのだと昔の自分は無意識裡に考えていたようだ。
あながち間違ってはいないが、本質からは遠い。

余談だが、才能と努力の相関は、対数関数のようになるのではないかと思っている。
実力をy、努力をx、才能をnとすると、おおむねy=log(n)xのようになるのではないだろうか。
(ただしx,yは共に1以上とする)

こうすると「才能=努力を実力に変換する効率の良さ」という図式も見えるし、実力が向上して行くに従って求められる努力の量が加速度的に大きくなっていくところも、なんかそれっぽくていいなぁと思う。
よく言われる「80%の地点に到達するには20%の努力でいいけど、そこから20%を埋めるには80%の努力が必要だ」ってのは実はこういうことなんじゃないかなと思ったり。


***


少し前の自分に巣喰っていた病魔について。

今頑張れば頑張るほど、「昔に今ほど頑張っていれば、今よりもっと良かったであろうのに」という後悔というか観念が萌芽し始め、今の時点での努力を放棄する。

今努力することによって、あのときこうしていれば…という意識が自分の中でどんどん大きくなり、やがてその尽きぬ後悔が今の努力をやめさせる。

今、頑張ることをやめることによって、過去への後悔も薄れ、忘れ去られていく。
そうして、目的に向かわない生き方が、見かけ上最も穏やかで幸せな生き方になっていく。


なぜか、こんな大事なことが、バイト先で料理を作っているときにふと言葉になってぽーんと浮かんできたのだ。

一旦言葉にしてしまえば、対策は簡単である。

「過去はもう戻らないのだから、今できる最善をつくすこと」が正解であり、最も利得ある考え方だ。火を見るよりも明らかである。

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