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二都物語#補足

自分の内奥の世界というものは、そもそも他人と同質化することが確定的に不可能なものです。
「同質化」とは端的に言ってしまえば「理解すること・させること・しあうこと」です。

「深淵をのぞき込むとき、深淵もまた君をのぞき込む」というニーチェの言葉がありますが、
この深淵とはつまり自分の内奥、自分の精神世界を指しているのだと思います。

以前も同じような内容の文章を確か書いたことがあるはずですが、人間の本質というものは理屈で到底測ることのできない、もっともっと深い部分で「うごめいている」ものなのです。

これを説明するのは非常に難しいですね。
自分というものの深い部分というものは、実は自分自身では制御することの全くできない何かによって動かされているような、そんな気さえしてきます。

そしてこういう表現は盛大に誤解を招くかもしれませんが、
「人間は誰しも悪魔になる可能性を秘めている」のです。
(ここでいう悪魔とは「理屈を超越した存在」と同義です)

そしてその本質は、決して他者と同質化することはない。
他者どころか、自分と同質化することもありえません。





その前提を踏まえた上で、やはり文章を書くことを通じて自身の内奥の精神世界を描出していく行為というのは、とても大切なことだと思うのです。

他者どころか自分自身にも理解されえない(されない、ではなく、されえない)自分というものを、どうにかこうにかして他者に、ひいては自分自身に理解させようとする。

これは一見不毛な行為ですが、その実非常に意味深い行為でもあります。
少なくとも自分はそう考えています。

そうすることによって他者を、たとえ1%でも正確に理解できるようになるし、ひいてはそれが自分という人間を理解することに繋がっていくからです。
そして、その試行錯誤の軌跡が、自分という人間を作り上げていく。



わかりやすい具体例があります。三島由紀夫の『仮面の告白』。

主人公は、汲み取り屋(もちろん男性)のふんどしの輪郭に心惹かれるようないわゆる変態、端的に言えばゲイです。
自分は異性にしか性的欲求を抱かないので、もちろんこの主人公と同質化することはできません。

しかし三島由紀夫のその圧倒的な文章力は、読み手に対して「無理矢理」この主人公を少なからず同質化させてしまうのです。
『仮面の告白』や太宰治の『人間失格』は、全く理解できそうもない人間を(100%とは言わないまでも)理解させてしまう文章が存在することを教えてくれました。


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