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「有名問題」に対する自分なりの意見を持つことについての概論

「2ちゃんねる」を見ていると、定期的に「有名問題」についてのスレが立っているように思う。
ここでいう「有名問題」というのは、たとえば「死刑を執行するのは是か非か」とか「女は男より差別されているか否か」といった、頻繁に目にする問題でありながら議論の紛糾しやすい問題のことである。

自分も一応、これらの問題を目にする度に何かを感じないこともない、のだが…
やはりこういう問題に対して、「自分なりの意見」をもって対峙するというのは少し限界があるのかな?と。

この自分なりの意見というのは、"その問題"と"自分という主体"のみの関係性から構築される意見のことだと解釈して欲しい。
つまり、他の人の考え方というもの一切が排除された中で産み出された意見のことである。オリジナルの意見といってもいいかもしれない。

しかし有名問題というのは、ほかの問題に比べて、それについて様々な人が考えているのだ。
世界でもトップクラスの頭脳をもつ人がたくさん考え、意見を述べているのだ。

ここにおいて自分なりの意見などというのは、誰かの意見の焼き増しにしかならないだろう。
また、それらの軌跡を踏まえることなしに有名問題を論じても、おそらく誰にとっても説得力を持たないと思われる。なぜならば生(き)のままの自分の意見が、有名問題を論じてきた才能の堆積、そして歴史に勝てるわけがないからである。

その結果が、どこかでみたような体の良く、都合の良い言葉による「批判」(たとえば「中身がない」、など)の投げ合いの無限ループなのである。


であるから、自分の意見を持つだけではなく、他人がどう考えてきたのかという軌跡を踏まえようとする姿勢もまた持たなければならないと感じる。

それによって自分の中に確固たる芯が設けられ、低次元な(つまり各人の、各人なりの意見の応酬による)議論の無限ループから抜け出すことが出来るのではないだろうか。



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