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in youth,in mente

中学時代の友達と池袋で遊んだ。
中学時代といっても、小学校も同じだったが。
そんな昔から今も付き合いが続いているのは3人ほどしかおらず、しかもこうして月1くらいの頻度で遊べる相手となれば彼しかいない。

高校や大学の友達となれば、お互い趣味が確立しているため、似たものどうしが集まることが多い。
だが中学以前の友達ともなれば、まるで違う世界の人間だったりすることもあるわけだ。

「一期一会」、という言葉を聞いて皆さんはどういった出会い方を想起するだろうか?

特定の同じ時間で、場所が同じになることで生まれる出会い。僕はこれを「横の一期一会」と呼んでいる。
場所という同一平面上で、二つの座標がぶつかるようなイメージである。

蓋し一期一会というものにはもう一つあって、それは「あらかじめ出会うことは決まっているが、どの時間・タイミングで出会うか」によって出会いが出会いたりうるか?というものだ。

つまり、お互いに人は成長していくわけで、価値観も時間に伴って流動的に変化していくものだ(核の部分はなかなか変わらないが)。
だから、もし特定の者どうしが出会うにしても、その出会うタイミングによって、「こいつは友達になれる!」と思えて強い結びつきが生まれたり、「ああ違う世界の人間だ」となって何も関係が発生せずに終了する(つまり出会いが出会いたりえない)ということもあるわけだ。

僕はこれを「縦の一期一会」と呼んでいる。
同じ時間"軸"を、異なる2つの座標が自由に動き回っているようなイメージである。
こちらの一期一会は、より運命論的である。

そしてこの「縦の一期一会」は、まだいろいろと柔軟な若い頃、というより幼い頃に起こりやすいと思っている。


まぁそんな酒の肴にもならないような出会い論はさておき。


その友達は美容師を目指していた。
しかし東京の美容室を短期間で辞め、今は別の仕事に就いている。

一方自分は第一志望の大学に通らず、彼から1年遅れで東京に出てきたというわけだ。


東京に出てきて2ヶ月ちょっとの間に、彼とは5度ほど遊びに行ってるような気がするが、
いつも「彼と自分はまったく違うタイプだな」と思う。
それだからこそ付き合いが続いているのだろう。

しかし同じ鹿児島という風土で育った2人が、今遠く離れた東京で、駅の人混みに紛れながら、月しか見えない空を眺めながら、挫折を分かち合いながら、酒を呑む…というのはなんとも(言い方が適しているかどうかわからないが)乙なものだなぁと思うのだ。


人間的な面でも、面白いやつだなぁと思うわけだが、
そういうのを遙かに超えて縁(えにし)を培っているものは、一連の経験なのだと思う。
つまり昔から一緒に遊んだり、一緒に何事かをなしていく……いやもっと単純な、単に同じ時間をすごしたという経験の絶対値が、関係を関係たらしめているということだ。

生きる世界そのものは違っても、共に同じ時をすごす経験が増えてくると、なんとなく親近感が湧くという経験は広く共有されていることと思う。
時にはそれが親近感ではなく、憎悪だったりすることだってあるだろう。

しかし今となっては僕は思うのだ。
憎悪であれ親近感であれ愛情であれ、なにがしかの経験(時間)を同じ場所で共有したのち、何らかの感情を互いに生み出すことが出来れば、それは関係としては成立している、と。

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