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走ることについて

人はなぜ夜の街を走るのだろうか?


かくいう問いを呈する自分もまた夜の街を走る人間だ。

ちなみに自分がジョギングを始めたきっかけは、中学校時代にさかのぼる。
当時空手をやっていた自分は、大会にエントリーしたあとに体重制限を少し越える体重を有していることに気づいたのだ。
我ながら間抜けである

そのためどうしてもダイエットということが必要となり、体重を落とす手っ取り早くかつ確実な方法としてジョギングを選んだ。
ジョギングに関するノウハウは(たとえば走り始めてから20分経過しないと脂肪が燃え始めないとか)、その当時に身につけた。

結局体重はパスしたが一回戦で負けた。

その後も、やせるためだったり、純粋に体力作りのためだったりで、ジョギング(散歩やランニングも含むけど)を継続したり、途絶したりを繰り返した。
後者の期間の方が圧倒的に長いような気がしないでもないが。

そんなこんなで自分は今も東京を走っている。



こっちに来て走り始めてから2週間が経過しようとしている。体重が3kg減った。
とは言ってももちろん毎日走っているわけではない。週4走ることができたらそれでノルマは達成である。

自分の場合は、基本的に40分走れればOKということにしている。
もし足が痛いとか疲れたとかだるいとか糖が切れたとかだるいとかで、40分に達しなかった場合は、散歩で補うことにしている。

自分のペースで1時間走った場合は、おそらく8km~10kmほど走っていると推定できる。
最近は1時間走っている。それができるだけの体力も膂力も回復してきた。
もちろんこんな距離は毎日は走れない。まだ。

ジョギングに限らず、「2週間」というのはブランクから元に戻るための基本的な日数と自分は捉えている。

体力膂力が回復したら、あとはbotのようにひたすら継続するだけである。
ひたすら、黙々と走る。
実はここからが一番難しいところでもある。目に見えて結果が出てこなくなるからだ。
維持することの重圧、こんな行為は無意味ではないかという疑念。肉体的な困難に代わって、今度はあらゆる精神的な困難が襲ってくる。

もちろんジョギングだけでなく、筋トレだったりゆるやかな食事制限だったりもしているが、今回は「走ること」に焦点を絞って話したいと思う。


人はなぜ走るのだろうか。

結構な深夜帯でも、走っている人は多い。
ペースがかなり速い若者が居る。おそらく部活の練習だろう。
肥満体型のおじさんが走っている。おそらくメタボ対策だろう。
そんな中で、自分はおそらく一番遅いペースで走っているが、残り2kmくらいになると誰よりも速いペースで走りだす。
肺は死にそうになり、喉は血の味がする。
それでもペースは速まる一方だ。

そんなとき、自分が「飛んでる」ような感覚がすることがあるのだ。




現代に信仰はあるのだろうか。
信仰を持たない人間は、何にすがって生きているのだろうか。

他人や他の何かにすがって生きている人間を目にしたとき、それを非難する人種が居る。

しかしおそらく、彼らは知らないのだ。
自分の中に居場所を見つけ、自分の中にすがるべきよすがを創り出すことが、どれほど困難なことなのかを。

twitterなどを見ていてもそうだろう。
鬱なつぶやきを垂れ流すひとがどれほど多いことか。


まだ高校生のころ、憑かれたように勉強に没頭している同級生が何人かいた。
今ならなぜその人たちがそうだったのかわかるような気がする。

彼女らは勉強という努力を通じて、自分の中に現実を踏み抜くための強い柱を創っていたのだと。


努力とは手段である。
ゆえに、目標無き努力は存在し得ない。

しかし、努力という手段を目的化するという禁忌を犯すことで、人は自身の中に何かを見出そうとしているのだな、と思うようになった。

彼女らに確固たる長期的目標があったのだろうか?
努力を重ねることで、自分を自分にしようとしていたのだろうと、僕は考えている。もちろんそれが正しいとは限らないが。



自分は直感的に理解していたのかもしれない。
凶悪な現実に立ち向かい、弱い自分と訣別するためには、強い身体が必要なのだと。

もちろんこれは仮説でしかない。
ゆえに「これから」を通じて、検証していくしかない。

だが僕に長期的な努力が向いていない最大の要因は、もしかしたら全てを捧げる努力によって体力を養うだけの時間がとれなくなるから、なのかもしれない。

走るという行為そのものもまた、現実を生きるという艱難を象徴しているではないか。

走ることそのものを通じて、走ることから得られる産物を通じて、現実を踏み抜いていくための支えを自分の中に創出する。
朝起きたときに感じる泣き出したくなるような鬱に、不安に、恐怖に打ち克つための支え。

それが信仰のない世界を生きる人間が見出しうる救いとなり得るのかもしれない。


もちろん走ることで現実が楽に生きることが出来れば、誰も苦労はしないだろう。
だが少なくとも自分の場合に限って言えば、走ることで何かしらの力が湧いてくるのを感じている。

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