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古典を学ぶ意義①

今朝、即席みそ汁作ってる時「ウンコ絞り出してるみたい」って言うのやめろ(http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1297471097/)というスレを立てた。


件のインスタントミソスープを飲んでるとき、僕はNHK総合をつけた。

僕はたとえどんなに短い時間であれ、くだらないテレビ番組を観ながら食事するのが大嫌いである。クソみたいな曲に乗せて名前を馬鹿みたいに連呼する選挙カーと同じくらい嫌いである。

今朝のNHKはクラシック音楽と共に世界遺産を紹介する番組をやっていた。

で、そのときハッととある考えが思い浮かんだ。


時代を超えた名作が「名作」たる所以は、その作品が持つ「普遍性」にあるのではないか?


僕はクラシック音楽の造詣が深いわけではないのだが、著名な作品(たとえばトルコ行進曲だったり、幻想即興曲だったり)を聴くと、どことなくなんとなく「良い」と思える。


もちろん音楽や絵画というものが持つ真の魅力は、その直感的な「良さ」ではなく、そのもっと深い次元にある凄まじいほど精緻な技術や工夫、細やかさなどにあるのだというのは、知識の上では理解している。

でもそれらが結局直感的な魅力に繋がっているという一面もあるだろう。


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もし作品に対して、直感的な関わり合いを越えたより深い理解を手に入れたい―――つまり「審美眼」を養いたいと思ったときによく言われる方法の1つには、「古典作品に触れること」が挙げられる。


小説「ノルウェイの森」に出てくる超秀才・永沢さんのセリフに、「俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄に費やしたくないんだ」というものがある。

文学にしろ美術にしろ、音楽にしろ絵画にしろ映画にしろ、そしてアニメにしろ、古典的作品は例外なく名作である。


なぜ「時の洗礼」を受けた作品(すなわち古典)は名作なのだろうか?

それは時代を超えた普遍性を持っているからなのだ、というのが今朝僕がピーンと思いついた仮説だった。



(続く)



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