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馬の骨

「俺の嫁」宣言を「所有宣言」だとすれば、自分が過去翠凜という名前でVIPで言ってきたことはまさに「非所有宣言」なのだと思う。

(もちろん俺の嫁という言葉は、その意味、つまり自分と結婚しているのであり他のいかなる人間にも渡さないという意味で使われている訳ではないと思う。あくまで好きだってことを言いたいんだろう。しかし俺の嫁という言葉を使って好意を表す以上そこにいくらかの独占欲が働いているのは言うまでもない)

もちろん、好きだという感情には独占したいという欲求が幾許かは込められているもの。
人によってはその二つは同義かもしれない。

そして所有宣言をした以上、2つの問題が発生する。
一つは、他の所有宣言者との対立。
もう一つは、そのキャラ(いわゆる「嫁」)に自分が抱いている幻想を、そのキャラ自身によって破かれるのを極度に恐れること。

本来、特定の分野が好きなもの同士が集まると、その人たちは少なからず最初は仲が良くなるだろう。
それが永劫続くとは限らないが。
しかしその特定の分野を、2次元キャラに置き換えるとそうはいかなくなっている。
まず最初から仲が悪い。
それは何故か?

「俺の嫁」という言葉に酔っているからである。

好きだという気持ちを表現するために選ばれたこの言葉が、おそらく当人の知らないところで無意識裡に争いを起こしてしまっている。
それは俺の嫁などと叫んでいるうちに、本当に自分がそのキャラと実質結婚しているかのような幻想に浸ってしまうからなのだと思う。例えそれが不可能だと分かっていたとしても、幻想に入り浸ることは普通にできる。


ここで最大のポイントとなるのは
「2次元キャラと結びつくことは絶対にありえない」
というこの現実をどう受け止めるかということにつきる。


まず自分が培ってきた受け止め方を紹介してみる。といっても既に書いてきたが

「人間は2次元キャラを所有することは出来ない。だから2次元キャラを見守ることしかできない。
見守り、そのキャラの意志に従うことが、虹キャラを愛することの意味である」

蛇足だが、これは非現実を現実へと昇華させる確たる方法だと思っている。
愛とはすなわち同化すること、とは三島由紀夫の言葉であったか。

もう一つの受け止め方があるとしたら、こうだろう。

「人間は2次元キャラを所有することは出来ない。だから自分の妄想のままに動かすことが出来る」

どちらも選択肢としてはあると思う。
自分が後者を選ばなかったのは、
・妄想のままに動かそうとするのは、まさにそのキャラを非現実だ、幻だと認めているようなものではないか
・キャラは作者が動かしているのであって妄想の入り込む余地はない
と思っているからである。


好きである限りは、そのキャラの選んだ道を認めること。
アリシアさんが好きなら、アリシアさんがどういう道を選ぼうとそれは受け入れるべきではないですか?
(または潔く嫌いになるべきではないですか?)

―――と、自分は思う。


ただこれは、「(好きなキャラに対して自分は)相手の思うままに動いて欲しいのか、自分の思うままに動いて欲しいのか」というこの究極の2択となるわけであり、そのどちらも「虹は非現実だと認めること」から生じえる選択肢なのだから、互いが互いに強制できない論理であることは明白である。結局、好みの問題に終始してしまうのだから。


―――――――――――――――――――――――――――


本題はここまで。

この記事を読んでいる方はきっと、「なぜそこまで考えちゃうの」と感じることと思う。
自分でもそういうことを考えてて結論が出た。

多分「俺の嫁」という自己主張に対しての武装理論を生み出したかったから、なのだろう。
今はその役割は小さくなって、自分なりの二次元への接し方のガイドラインであったり、他人の二次元への接し方に対する理解のガイドライン的役割がメインになっている。


たかが二次元に。


しかし二次元に費やした時間を無意味だと断じてしまうのは、自分にとっても可哀想じゃありませんか?
たとえ無意味な時間であってもそれは人生そのものです。
「夢幻と人生とを切り離して考えていたが、夢幻そのものもまた人生だったのだ」と、これも三島由紀夫が言っています。なんか似たような言葉が福本作品でもあったような。

翠凜というコテが考えたくだらない無意味的なことに、今の自分が意味を持たせる。
二次元という非現実を三次元という現実に昇華する。

「すべての物事に意味があると考える、これが人生を生きる意味である」
フランクルがこんなことを言っていたような…


だからこの記事は翠凜が書いたのではなく、三次元に住むこの自分が書いたものだということです。

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そうですね、自分の感情をいかに押しころすのかということになってくるのでしょうね。
そして押しころしても押しころせなくても、そのどちらも正しい選択なのだと思います。

翠星会はよく「誇りを持て」と「見守るだけだ」の2つのフレーズを多用してたように思います。

次元を異にする世界に触れるとき何故「誇り」が必要なのか?少々唐突な気がします、

しかし自分なりに真面目に考えたとき、誇りを持つことの意味や、どうして見守るだけなのか?ということの答えが見えてきたような。この記事はそんなときに書かれたものです。

ここに書かれていることが、未だに自分の考え方の中心だし、翠星会から頂いた大切な核なのだと思っています。
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Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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