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門司を見に

夜勤時の思いつきで、青春18切符で旅に出ることにした。
各駅停車でひたすら北上して、北九州あたりで一泊し、次の日に帰宅するという簡単な旅程を考えた。

しかし当日になっても、20代前半のころよく経験したような旅の前の高揚感はまるで無かった。
ここに至って切符代を出すことに最後まで躊躇している自分にも半ばがっかりしていた。しかし一旦電車に乗り込んでしまえば、あとは旅情が私を支配するだろうと考え、切符を買った。

駅で「なのはな号」を待つ間、ここ数年で急速に開けてきた町並みを眺めていた。私の職場や、いつも通っているスーパーや、近所の学校が見えた。その時、ここには1つ1つの宇宙が瞬いていて、全く関係のない銀河系どうしがチャネルによって繋がっているのだという、不思議な想念が私に訪れた。地表と宇宙という区分が揺らぎ、自分が何か1つの巨大な営為の一部である(一部になった)という感覚。夜勤明けで疲れた頭が戯れに思い描くデタラメのような概念に、ほんの数分だけ私は虜になった。
そのチャネルは相互の努力によって築かれ、その「無数さ」に私は畏怖を覚えた。

…「なのはな号」に乗り、旅が始まっても、気分が乗ってくることはなかった。
2回の乗り継ぎを経て、県境を越えても、変わらない。これには本当にびっくりした。
楽しみにしていたスイッチバックも、球磨川の雄大な眺望も、そこまでの感興をそそらなかった。単調な車窓も、ジョイント音も、ただただ退屈なだけだった。もはや八代で引き返してしまおうか?――そんなことまで思ってしまった程である。

車中でウトウトしているうちに八代に着いた。
せっかくだから(何がせっかくなのか、もう全くわからなかったが)門司までは行ってしまおう、明日は新幹線で帰ればいいやと考え、鹿児島本線に乗り換えた。そこから門司までの間で、記すことはあまりない。旅情を焚きつけることはもうとっくにあきらめて、しかし充電が切れかけていたスマホをいじることも出来ず、ただひたすらに門司到着を待った。八代から門司までは本当に長かった。実際に時間もかなりかかり、福岡に入るころにはもう夜が近かった。

門司に着いたのは20時過ぎであった。
門司港レトロの風情を楽しもうかと思ったが、趣深かった門司港駅は駅舎が工事中で、外も風が冷たく、しばらく散策しても全く体があたたまってこないほどだった。夜の海は暗く、街灯もなんだか寒々しい。
散々だな、と私は思った。

どうしてここまで一人旅を楽しめなかったのか。
わくわくできるモノが少なくなり、わくわくできる時間がだんだん持続しなくなるというのは、これほどぞっとするものなのか。子供のころに周りの大人がよく適当な感じで、ある種の社交的文句みたく、「楽しいことないかなー」とか「若いうちは楽しいことばかりでいいねー」とか言っていた、あの軽い口調の裏には、こんな遅々とした絶望があったのだろうか。

生きることを考えていくと最後には、「生きているだけで正解なのだ」と思う。
しかし私は認めたくない。この無為な「鉄旅」と同じように、人生があまりに無為に過ぎていき、しかも「それでいい」というのは怖すぎる。
"どこかに「正しい生き方」があって、未だそれを探しきれていない"という方が、何倍も救いがあるような気がして、でもそれは間違っているんだろう。

その日は博多のネットカフェで朝の始発を待ち、明けて熊本までは各駅停車で戻った。
復興途上の熊本城を見てから、新幹線で鹿児島に帰った。


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