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濁り・さざめき

または、そもそも「人間関係なんてものは、どんな形式であれ一時的なものである」と割り切った視点で見てみるのもありかもしれない。
特別な関係に限って壊れてしまう、というのはある種の思い込みである。
特別だろうが一般だろうが、関係というものはしかるべき時期が来たら消えていくものなのである。
その消え方が、フェードアウト的に消えていくか、ある日突然なくなるか、外形だけ残して内面の感情は枯れてしまうような寂しい消え方をしているか、みたいな違いがあるだけだ。
特別な関係も、そんな一般の原理にしたがって同じように消えてしまうってだけの話で、ただその関係が特別であったがゆえに、ときおり引き出しから取り出してとりとめもなくあれこれ考えてしまうだけなのだ。特別であったがゆえに、「壊れた」「壊した」なんて表現を使ってしまいたくなるだけなのだ。

しかし、それを出来るだけ長引かせたい、植物を出来るだけ枯れさせないために絶え間なく水を絶やさないようにして、豊かさを維持し続けたいと願うのは、言うほど徒労でもなく、不当でもないだろう。
不可抗力で簡単に壊れてしまうこともあれば、主として自分のせいで壊してしまうこともあるだろう。
その「自分のせいで」壊れるリスクだけでも減らそうと思うのは、そこまで間違っているとも思えない。

たとえば、「見返り」を求める気持ちとどう戦うかという課題も、その目標を達成する1つのアプローチとなりえよう。
誰かに優しくするということは、その分見返りを求めてしまうものであり、その見返りが不十分だったときに生まれる感情の濁りにどう対応すべきか。
「見返りを求めているわけじゃないけど、自分のはたらきかけが全く無碍にされるのも腹が立つ」
という感覚は、ほとんどの人が持っていると思う。この感覚って、けっこう頻繁に、関係を考え直させるきっかけになっているように思うけれど、これはテクニカルな処理で対応出来るのかな。具体的にどうすべきかは出てこないけど、なんとなく出来そう。

「優しくしたときに、何らかの形で反応を欲する」というのはおそらく本能に近い。
指先に棘がささったときに痛いと感じるのとほとんど同じ原理だと思う。
したがって見返りを求める自分を否定する、という方向性では上手くいかない(反動がくる)。

何かしらの優しさをみせるときに、
「たとえ見返りがなくとも、その行動をするだろうか?」
ということを一瞬立ち止まって考えるのはアリだろう。
また、「特別な関係にある人がそういう優しさを自分にみせてくれたときは、相当の反応を返そう」と決めるのも1つの手だ。
この2つはいずれもテクニカルな処理(つまり、精神論か行動論かで言えばかなり行動論寄りな対応)といえる。

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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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