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救済

「どうすれば、自分は救われるのか?」

という、私にとっては文字通りの命題について、どのようなアプローチを試みるべきなのか。

十代のある時期から私の心に巣食っている感覚、なんとなくそれは不幸感というよりも「不救済感」とでも呼ぶべきもの、それを拭うためにはどうしたらよいのだろうか。
それを考えるためには、いくつかの課題をクリアしなければならないだろう。

①その「不救済感」こそが私の生きるモチベーションとなっている半ば逆説的なこの現状を踏まえて考えるに、果たして「不救済感」を取り除くことが私の人生を救済するのか?

②おそらく私の「不救済感」というのは、内面的・精神的な問題(つまり、何かしらのステータス的なもの(お金、学歴、名誉、恋愛など)を手に入れたからといって消え去るものではないという意味)であるという仮説がある。しかし、それが正しいということを理屈ではなく体得するためには、実際にそれらのステータスを手に入れなければならない。そのジレンマをどう解決すべきなのか?

つまり、この「不救済感」は心持ち次第でどうとでも出来る問題だ。また逆に、どんなにお金があっても、どんなに豊かな人間関係があっても、自分の中にある「不救済感」を根本的に無くすことは出来ないはずだ。たぶんこの考え方は間違っていない気がする。だからそういった通り一遍の達成を積み重ねていくという方向性で人生を組み立てていったところで、私が救われる(というより、救われた!という感覚を得る)ことは期待できない。

…そうか、これは根本的に解決することは不可能に近いことなのだ、ということに思い当たって、

「じゃあ、その『不救済感』とやらを、全くのゼロにすることは出来ないとしても、少なくすること、あるいはその感覚に苛まれる頻度を減らすことくらいなら簡単に出来るんじゃない?」

と考えた。
全か無かの二極で考えないように。
そこに強い「境界」を引きすぎないように。
アプローチの視点を自由に移動できるような感覚が生まれた。
理論的には瑕疵があっても、極めて実践的な考え方。

では、今まで生きてきた中で、自分が「生きていてよかったな、自分は自分でも大丈夫だな」と思えたのはどういうときだっただろうか?
(そういう機会を増やしていけば、根治は難しくても対症療法としては充分なのではないか?)


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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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