思いやり

『アナと雪の女王』のテーマの1つに、「"an act of true love"とは何か」というものがある。
その『アナ雪』的答えはオラフの台詞でも端的に示されているとおり、
「愛っていうのは、自分より人のことを大切に思うことだよ」
である。

ディズニープリンセスが登場する、『白雪姫』から綿々と続くそれまでのディズニーの王道ともいうべき作品群で繰り返し表現されてきた愛に比べて、『アナ雪』が示した愛はかなり違っている。それまでのものと比べると、より広く、ありふれた愛のかたち。

私は『アナ雪』を観て感動した。そして観かえすたびに感動しなおした。
この自己犠牲的な愛こそが愛なのだと。

しかし、初めて『アナ雪』を観たときと今同じ作品を観るときとで、私の立場では1つ大きく異なるポイントがある。
私は自己犠牲的な愛を施すことが出来ない側の人間である」ということを、今の私は充分に認識している。
そして、初めてこの映画を見た3年ほど前は、私はそれが出来る人間だと無意識に考えていた。

自己犠牲的な愛には、どうして価値があるのか?
私なりの答えとしてそれを体得するためには、「私の愛にはどんな『嘘』があったのか」ということを検討しなくてはならない。
このまま振り返ることなく捨て去りたいと願ってやまない記憶に向き合って、何か核となる「嘘」を抽出せねばならない。

とりあえずの結論としてはこうである。
「私の愛は自己犠牲的に見えるだけで、その実質にはエゴが含まれていた」
「エゴを突きつけるタイプの愛を持ち、それに基づいた言動をとること自体は何ら罪ではない」
「自分の愛にエゴが含まれていることに、自分自身でまったく気付いていなかった」
「自分にはエゴを突きつける愛という『技術』がない」

したがって、
自分独自のエゴを自覚し、分析し、場合によってそれを突きつける技術も勇気もなかったがゆえに、私の言動は「反射的に」自己犠牲っぽく見えるものとなっていたが、それは本質的な「相手を思いやる心」から生まれた言動ではなかった。さらには自分自身で本当に自己犠牲的な愛を達成できていると思い込んでいた。したがって最終的に、互いを必要以上に傷つけ、稀有な関係が破壊されるにいたった。

(そして、当面の仮説は次のとおりである。
「エゴを突きつけるタイプの愛と、自己犠牲的な愛には、つながりがある」
もしその答えが分かったら、その中に自己犠牲的な愛の価値を見定める鍵があるのではないだろうか)

図形にすれば一瞬で解ける数学の問題を、わざわざ数式を駆使して代数的に解こうとしているかのような不毛感がある。多数の健全な人々ならば、それを「経験」というかけがえのない機会を通して体得していくのだろう。
そして私はそれが出来ていない。
こんなに考えているにもかかわらず、全く言動にはうつせていない。

全くの無駄ってわけでもないけど、なんだかそれってあんまり意味がないなと思う。

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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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