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私には、自分にとって大切な人を大切に出来ないという特性がある。
大切な人というのは、自分がこの人とは関係を続けていきたいと思える人だったり、あるいは自分との関係を大事にしてくれる人のことである。

「理解すればするほど、その人のことを好きではなっていく」という、いわば人間関係の一般原理もはたらいているのかもしれないが、どうもそれだけではないな、という感覚が、特にここ数年はあった。私自身に特有の、ある明確な心の欠点があるのではないかという考えがずっと心の中にあった。

私と出会ったばかりの人はたいてい、私を「いい人」「話しやすい」と評してくれる。
そういった類のことを言われるたびに、内心ではこの人たちを裏切ってしまうのだということが念頭にあって、恐怖していた。

実際の所、ほとんどの人とは「程よく」仲が良いままである。
しかし、意図的にしてもそうじゃなくても、強く踏み込んだ関係にはなっていない。

なぜ、私は大切な人に対して冷酷な態度がとれるのか。
自分の中でその人物が重要度を増していけばいくほど、私の中ではその人に対する理想化が始まる。
これは恋愛に限ったことではなく、通常の人間関係においてもそうである。

だからこそ、その理想が壊れる場面に立ち会ったとき、心が異常なほどの反発を見せるのである。
その人が弱みを見せたとき、私はそれを許すことができない。
どうでも良い人が弱みをみせてくれたときは、穏和で・適切な対処が出来て、結果として仲は深まるのだが、それは私が相手のことを理想化するほど大事だとは思っていないからなのだ。
私にとって本当に大事な人が弱みを見せたときは全く違う。
私はそれを裁きたくなるのだ。
それも、健全な関係においてはありえないほどの厳しさで。

この「他罰志向の強さ」が、稀有な人間関係を喪ってきた一番の要因である。


――他にも書きたいことはたくさんあるが、それは考えがまとまってからにしたい。
この問題について考えるのはとても疲れる。

しかし、自分という人間にあるいくつかの致命的な欠陥がそれぞれ独立して存在すると思っていたところ、実はそれらが全部1つのくくり(境界性人格障害)で説明できうるというのを知ることができたことで、対処の道筋が見えたこと、そしてそれらの症状に自覚的になれる。

気持ちの面でだいぶ楽になれたことは確かなこと。

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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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