呪い

『アナと雪の女王』と『もののけ姫』を観た。
一度ちゃんと集中して観たときからだいぶ時間がたってからまた観てみたが、どちらも色褪せないなぁと感じた。

図らずも、この2つの映画には共通するテーマがあって、それは「いかにして人は自分にかけられた『呪い』と立ち向かうか?」というものである。
エルサは氷の魔法という呪いに、アシタカはタタリ神にかけられた呪いに、それぞれ立ち向かっていく。
それぞれの作品で示唆された、その問いに対する答えは、ニュアンスの違うものだったように思えるけれど、エルサもアシタカも「呪い」にもがきくるしみ、そして克服する。
その姿はとても美しいし、私にとっては1つの道しるべになりえるだろう。

私には、自分にとって大切な人を大切に出来ないという特性がある。
大切な人というのは、自分がこの人とは関係を続けていきたいと思える人だったり、あるいは自分との関係を大事にしてくれる人のことである。

「理解すればするほど、その人のことを好きではなっていく」という、いわば人間関係の一般原理もはたらいているのかもしれないが、どうもそれだけではないな、という感覚が、特にここ数年はあった。私自身に特有の、ある明確な心の欠点があるのではないかという考えがずっと心の中にあった。

私と出会ったばかりの人はたいてい、私を「いい人」「話しやすい」と評してくれる。
そういった類のことを言われるたびに、内心ではこの人たちを裏切ってしまうのだということが念頭にあって、恐怖していた。

実際の所、ほとんどの人とは「程よく」仲が良いままである。
しかし、意図的にしてもそうじゃなくても、強く踏み込んだ関係にはなっていない。

なぜ、私は大切な人に対して冷酷な態度がとれるのか。
自分の中でその人物が重要度を増していけばいくほど、私の中ではその人に対する理想化が始まる。
これは恋愛に限ったことではなく、通常の人間関係においてもそうである。

だからこそ、その理想が壊れる場面に立ち会ったとき、心が異常なほどの反発を見せるのである。
その人が弱みを見せたとき、私はそれを許すことができない。
どうでも良い人が弱みをみせてくれたときは、穏和で・適切な対処が出来て、結果として仲は深まるのだが、それは私が相手のことを理想化するほど大事だとは思っていないからなのだ。
私にとって本当に大事な人が弱みを見せたときは全く違う。
私はそれを裁きたくなるのだ。
それも、健全な関係においてはありえないほどの厳しさで。

この「他罰志向の強さ」が、稀有な人間関係を喪ってきた一番の要因である。


――他にも書きたいことはたくさんあるが、それは考えがまとまってからにしたい。
この問題について考えるのはとても疲れる。

しかし、自分という人間にあるいくつかの致命的な欠陥がそれぞれ独立して存在すると思っていたところ、実はそれらが全部1つのくくり(境界性人格障害)で説明できうるというのを知ることができたことで、対処の道筋が見えたこと、そしてそれらの症状に自覚的になれる。

気持ちの面でだいぶ楽になれたことは確かなこと。

魂の障害

自分という人間に、ある種の「病」があるという感覚。
互いに疲れ、重要な対人関係がくたびれはてて消えていく場面に立ち会うたびに、その感覚は強くなっていった。
若気の至りでは片付けられない、なにか根本的な病巣が、自分の魂に巣くっているのではないか?

たまたま知ったことだが、その「病」には名前があった。境界性人格障害というらしい。
強い自己愛と、低い自己肯定感。
「全か無か」を揺れ動く、対人評価の不安定さ(深い関係の人間限定)。
表面上の人当たりはよいが、本当の意味で関係が深まった人間に対しては振り回す(極端な場合では、前触れなく切り捨てる)傾向。
そして、明確に自分より優れた人間に対しては、そういった傾向が嘘のように抑えられている。

その特徴の全てが全て当てはまるというわけではないけど(自傷行為や自殺願望、反社会的行動、絶え間ない虚無感など)、上に挙げた傾向こそ、長年にわたって自分と、自分に深く関わってくれた人とを苦しめてきたものである。
プロフィール

みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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