『白い巨塔』

課題のレポートの関係で、久しぶりに『白い巨塔』(2003年のテレビドラマ版)を見た。
見たといっても最後の3話だけであるが。

『白い巨塔』は10年以上も揺らぐことなく、私が一番好きなドラマである。
色んなテーマ性を孕んだ作品であることは間違いないけど、今回またじっくり鑑賞してみて、畢竟これは財前の「男としてのかっこよさ」の物語なのだろうなと感じた。全てがかっこいい。
どこまでも野心家で、ずば抜けて実力があって、したたかで。でも弱さもあり、逆にそこに強い人間味があって。

最終回では、財前の母親が財前の死に顔をみて、「五郎、よく頑張ったね」と言うシーンで泣いてしまった。

スーパースター

水族館の女の子(http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-1000.html)との、その後について。

結論から言えば、「友達から」というかたちになった。

***

1月に予定していた4度目のデートが「予定が出来た」ということで無くなり、2月に予定していた映画のデートも「予定が」ということで潰え、私はこの段階ではっきり負けを確信した。
また、1月以降に、その子に少なくとももう2人の男がアプローチを掛けているということを知った。

私はわりと穏やかにその子のことを好きになってきたつもりだったけれど、他の男が近づいていることを知って極度の嫉妬を覚えた。ここまで自分の気持ちが大きくなっていたのをそのとき初めて知った。何も考えられなくなって、せめて自分が先に想いを伝えておこうと決めた。負けを確信しての告白は正直したくなかったけど、何も伝えられないよりはましだと思った。

その子の答えは、
(私は)「一緒にいるのは楽しい、安心感があって、優しくて、頼りがいがあって、けれど好きかどうかと言われると、そういう感情とは違っている。お兄ちゃんみたいな感じ。人間としては好きだけど、男としては好きではない」
というものであった。
そして、
「付き合うことも選択肢としてはあったけれど、こういうあいまいな感情のまま付き合うのは互いにとって良くない」
「気をもたせるのは悪いし、告白されて関係が壊れるのがとても嫌だったから、デートは断ってきた」
「きっぱり断ることが出来なくて、自分は最低だと思う」
とのことであった。

私は「あきらめない」と宣言したうえで、

・デートしてきたからといって私が「気を持つ」なんてことはない。可能性なんて関係ないほど好きになってる(付き合えなさそうならあきらめる、なんてことが出来ないほど気持ちが発達しているということ)
・その子のことは、たしかに異性としても好きだけど、友達としても好きである。告白が失敗したからといって友達としての関係まで崩れる必要なんてないし、気まずさを感じることもさせない。
・一緒にいて楽しいというのは何よりも大事だと思っているけど、あなたがそれを感じてくれてるのがとても嬉しい

ことを伝え、だから「嫌だからデートに行きたくないというわけじゃないのなら、(あくまで友達として)映画観に行こう」といったら、行きますと言ってくれた。

一般的に、しっくりこないまま付き合ってそれから好きになっていくというパターンは多い。
だからここで、「付き合おう」と言うこともできたけど、私自身が逆の立場なら、しっくりこないまま付き合うことは出来ないだろうし、自分が出来ないことをその子に押しつけることは出来ないと思った……ということも、本人に直接言った。努力でどうにかなる問題じゃないのかもしれないけれど、いつか絶対に再挑戦するし、そのためには出来るだけのことはするとも言った。でも今は無理であるという現実も受け入れるとも言った。

他にアプローチしている男のことについて聞いたら、どっちも「無いなって感じです」ということで、ひとまずは安心した。

私は、こんなに素晴らしい子をちゃんと好きになれた自分のことも好きになれた。
それで傷つくことは覚悟の上だから、誰かを恨んだり憎んだりするなどということはない。
「一緒にいて楽しい」は確実に、上位の感情に転換する可能性がある。だから、その可能性が少しでもある限りはそこに掛けたいし、それくらい価値のある子だと感じている。

付き合うことは出来なかったけれど、「2人で会う」関係は保つことが出来たし、他の男が寄ってきても自分のことを思い出してくれるくらいには全力で想いを伝えることができた。とりあえずは打ち明けられて満足である。この告白が、何かのきっかけになれればよいなと思う。異性としての関係に発展すればそれはとても嬉しいけれど、たとえこのままそうならずとも、きっとそれはそれで、この2人はかけがえのない関係になるだろうなと感じている。

自分がこの恋愛を通して成長できたのもとても嬉しかった。
少し前まで、女の子を誘うなんて自分にも他人にも想像さえ出来なかったようなレベルの低い男が、いまや「一緒に居て楽しい」と思わせるほどにまでなれたのがすごくありがたいことのように感じる。周りの応援のおかげである。

そして、その子とやっと本音で語り合うことができたのもとても嬉しかった。
別れ際に、「これからもよろしくね」といってその子と握手したのだが、その手が死ぬほど柔らかくて、この柔らかさは一生忘れたくないなと思ってしまった。




※注釈:「水族館の女の子」に関する過去記事。

実はもう1人気になる子がいる。交際経験は1人で(注:実は2人)、彼氏を欲しがっている。
とてもしっかりしていて、好意的な反応をするのが上手く、そしてなによりも、そこまで強く外見に気を遣ってる風でもないのにもかかわらず、キレイで可愛い。しかるべき努力をすれば到底私の手には負えないくらい高いレベルの女性になるだろうなという感じ。
ここまでの逸材なのにまだ誰も手を出していないのが不思議なのだが、ともかくこの子の存在も頭の片隅にはある。

距離感はどうかというと、明らかに人間的な好意は持ってくれてるけど、恋愛的な「気になる」には全然達していないだろう。
頑張って「為コミ①~方法論編」で書いたことを意識しながら接して、「誘える閾値」を確実に越えるようにしたいけれど、ぼさぼさしてたらすぐに取られちゃう気がする。

(恋愛観②:興味のベクトル:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-965.html

その子は外見・内面・振る舞い・頭の良さ・面白さという、私が大切だと思う項目全てにおいて満点を付けられるくらいの存在であった。ここまでポイントが自分の中で高いと、逆に私はあきらめる。私程度の男では到底手におえないと考えてしまうからである。だから私はこの子のことを好きになることはない、と思っていた。その子のまだ都会慣れしていない感じが他の男に受けないのか知らないが、その子には彼氏がいなかった(いない)が、もしそのある種の野暮ったさが抜けて洗練されてきたら、もう私の手には届かないところに行ってしまうだろうと感じていた。

ここまでレベルの高い子を好きにはならない、そう感じていたとはいえ、やはり私は2人をたびたび無意識に比べてしまったし、そのたび自分の「ライブの子」に対する感情が、もはや「仮」にすらなり得なくなっていることを悟った。こんなにどストライクで素晴らしい女の子、しかも今を逃せば一生アプローチ出来ないかもしれないくらいポテンシャルの高い子を見ないふりをして、好みでもなければ可能性も低い子をそこそこのやる気で追いかけるのは、かなり難しいことではないのかと。

(ライブのはなし:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-981.html


9月12日:対抗の子を水族館のイベントに誘う。OKもらえた。
(中略)
結局、9月にBにアクションを起こす。
初回では、デートスポットのチョイス、誘い方、誘うタイミング、どれをとっても我ながら非の打ち所の無い誘いが出来た。ここまで上手に誘えたことはなかった。幸運なことにBも「ちょうどそれに行きたいと思ってたけれど、誰かと行く予定はない」という都合の良すぎる状態だった。
それから実際にイベントを見に行き、夕食を食べ、もとから外見・内面・振る舞い全てAよりBの方が好みだったのだが、相性もBの方がぴったりくるなと感じた。
この3ヶ月の間で5人の女の子と合計10回デートに行って思ったことだが、2人きりでデートに行ったときに感じたことは嘘をつかない。どんなによさげに見えても「2人きり」がつまらなかったらその関係性に未来はないし、2人きりが楽しいということは何よりも大きな事実となってくる。

まだAとの2人きりを経験してない段階で、私の中で「本命-対抗」は逆転した。
Bを本命に据えて、本命だったAが対抗となる。
(中略)
昨日がBとの2度目のデート。夕食→映画→居酒屋、という流れ。
前回の反省だった「自分から話題を振る」「相手の子の面白さをもっと引き出す」「褒める」の3点も全部こなせたし、正直3度目のデートは絶対に断られない自信があった(実は2度目の映画デートを誘うときはだいぶ日和った)。

(昨日と今日:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-980.html

新生活

3月以降のことが色々不確定すぎるけれど、とにもかくにも引っ越しのことを考えなければならない季節が来てしまった。

今日知り合いに「新しい家決まった?」って聞かれて、3月にゆっくり探すつもりだった私は当然のように「まだだけど」って答えたら、「お前、それはヤバイよ」と言われた。この時期に全く家探しのことを考えていないのは相当ヤバイことであるらしい。

そもそも就職のことすら全く考えてない時点で終わってる気がしないでもないが、それは置いておこう。

自分という人間は本当にこういうところが病的にダメなのだ。
近い将来のことに対する危機感がまるで欠落していて、したがって先手をうって行動できない(3浪したのもそのせいだろう)。
こういう意味で生活能力が死んでいるような気さえしてくる。
おまけに大学に友達が一人もいないので、この手の情報は能動的に動かなければ全然入ってこない。

そもそも私は引っ越しのことを知らなさすぎである。
段ボールってどこから用意するのかとか、費用がいくらとか、住所変更の手続きってどうやるのとか、なーーーーんにもわからない。追いつめられない限り、分かろうともしていない。

なんかもう全てがめんどくさいなぁ、という感じである。

でもみんな、この手のめんどくささに対して、めんどくさいなぁと思いつつ対処しているわけで、なんかそれは非常に畏怖すべきことであると感じている。自分だけがこういうめんどくささを抱えているわけじゃないのだ。はぁ。

『アナと雪の女王』その2

映画館に観にいった『アナと雪の女王』(http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-936.html)を、今日DVDを借りてもう一度見直してみた。

映画館に観に行ったときの記事ではネタバレが怖かったので(一応)内容には踏み込んでいないのだが、『アナ雪』にはそれまでのディズニー映画にはないような奥行きがある。

クライマックスのシーンで、アナが完全に凍ってしまった後、エルサがアナに抱きつくことでアナが復活する、というシーンがある。
あのシーンを映画館で観て私は、「ああ、エルサのアナに対する愛が、アナの心を溶かしたのだ」と解釈した。そして、「この作品をつくった人は、男女間の愛ではなく兄弟愛(姉妹愛)こそが『真実の愛』だと言いたかったのだな」というように読んだ。

そして今回DVDで注意深く観てみると、それは違うのだなと思った。
オラフが暖炉で、自分の身体が溶けるのも厭わずにアナのために薪をくべるシーンで、こういう台詞がある。

「愛っていうのは、自分より人のことを大切におもうことだよ」
(原文: Love is putting someone else's need before yours.)

これは私自身ほんとーにその通りだなと思うのだがそれはさておき、このオラフの愛についての定義;つまり、「自己犠牲の愛」というものが、この作品で主張されている「真実の愛」であることは間違いない。

それで、「凍った心を溶かせるのは、真実の愛だけなのだ」というトロールの台詞を踏まえれば、クリストフやオラフはまさにこの真実の愛をもった者たちである。

そして、アナが身体ごと凍ったシーンで、クリストフがアナに触れる前にエルサがアナに抱きついている。

したがって、もし真実の愛を持ったクリストフが先にアナに触れていれば、アナはやっぱり復活していたのだろうし、もしかしたらオラフがアナに触れていても、アナは復活したのだろう、と私は考えた。

だから、アナ雪の作者はきっと、「男女間の愛<兄弟愛」と言いたかったわけではなくて、「真実の愛は男女間の愛に限らず、兄弟間でも成立する。愛の形は色々あるのだ」と言いたかったのだなと思った。


私自身はこの解釈に満足したのだが、その5分後くらいに、「[映画][アニメ]アナの魔法を解いたのはだれか?「アナと雪の女王」」(http://d.hatena.ne.jp/chili_dog/20140528)という記事を見つけて、こちらの解釈の方が正しいなと思った。

そもそもエルサがアナに触れたからアナが復活したわけじゃなくて、自分が完全に凍ってしまう・死んでしまうのも省みずに殺されそうなエルサを救おうとしたという行為にこそ「真実の愛(=本作では、自己犠牲の愛)」があり、そのアナ自身のもつ真実の愛がアナの心を溶かしたのだ、ということだろう。

先述のトロールの台詞のあとで、「真実の愛…?」「大好きな人のキスじゃないの?」という会話が続くので、アナやクリストフ、果ては観客も勘違いしてしまったのではないだろうか。そもそも、エルサはアナにキスしているわけではない。

エルサのアナに対する愛情ではなく、アナのエルサに対する愛情こそがアナの心を溶かしたということを踏まえれば、アナ雪の言いたかったことは「愛っていうのは自分より人のことを大切におもうことだよ」(自分より相手を優先して行動すること)というオラフの台詞そのまんまであろう。そこに関係の形式(親子、兄弟、友達、恋人、他人)は問われない…というところまで読み取るのは踏み込みすぎだろうか。

エルサのアナに対する自己犠牲(遊びたい気持ちを抑えて部屋にひきこもり、アナを傷つけないようにする)、オラフのアナに対する自己犠牲(暖炉など)、クリストフのアナに対する自己犠牲(自分の想いを封じ込めてハンスにアナを託す)などなど、ありとあらゆる「相手を優先する」形が劇中に登場しているので、私はそこまで踏み込んでみてもいいのかなぁと感じている。


***

もう1つ細かい点では、トロールに面会する前後で、クリストフのアナに対する気持ちが変化していることを如実に示すシーンがある。
トロールに面会する直前、寒がっているアナにたいしてクリストフは何かしようとするけれど、何もしない。単に面倒だったとかじゃなくて、多分余計なことをして嫌われるのがいやだったのかなと思う。
面会した直後、一気に弱ってしまったアナに、クリストフは躊躇なく自分の帽子をかぶせて、アナの寒さを緩和させようとする。
ここを分水嶺として、クリストフのアナに対する想いというのは本物になったのだろう。

***

『アナと雪の女王』は何も考えずに観ても面白い。映像は綺麗だし、オラフは楽しいし、戦闘シーンは見応えあるし。
でも深入りして、色々考えながら観ても面白い。すっごく良い映画だと思う。

なんというか、私もそういう人間でありたいというか、
誰かにとって何も考えずに接してても単純に楽しい人間でありながら、深入りされても奥行きを見せられるような人間でありたいと思った。

『ベイマックス』

映画館にいって『ベイマックス』を観てきた。
非常に面白かった。
ベイマックスとても可愛かった。

最近はディズニー映画をDVDで観たり、あるいは映画館に観に行ったりするのがマイブームである。
いつか劇団四季にも行ってみたい。

2015年

あけまして。実家に帰省していて、数日前に帰京。
今年の目標みたいなものは特に設定していないけれど、

・自分の欠点だったり未熟なところだったりを、ひとつひとつこまめに潰していく

ということは、去年から引き続き徹底してやっていきたい。
相手の変化に敏感になる・その変化に言及する、良いと思ったことは素直に自分の言葉で伝える、嫌なこともはっきり嫌だと言葉で伝える、などなど。要するに、自分の限定的な人間関係を豊饒なものにするためのことを、めんどくさがらずにちゃんとやる、ということ。
プロフィール

みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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