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『アラジン』

『アラジン』で、アラジンがジャスミンと空飛ぶ絨毯に乗って飛び回るときに流れる「A Whole New World」という曲がある。たぶん、誰でも一度は耳にしたことのある曲。

原文だと、出だしで「I can show you the world」と唄われているが、吹き替えだとその部分は「見せてあげよう」と歌われている。
一見「(世界を)見せることが出来るよ」としか訳せないのに、どこに「見せて"あげよう"」というニュアンスで訳せる余地があるのかなと思って辞書で調べたら、canには「…できる」→「…してあげましょう」というように、文脈によって勧誘のニュアンスを含むことがあると書かれてあって、へぇ!ってなった。

そうだよなぁ、この世界にある、ありとあらゆる素晴らしいもの(shining, shimmering, splendid)を見たい、見せてあげたいよなぁって、部屋で1人で納得していた。
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物をこそ

びっくりした話。

なんとなく、気に入ったフレーズが浮かぶことがある。

私は「キャメル」という単語を知らず、検索してそれが色の名前であることを知った。
そこでふと、「上品なキャメルのコート」というフレーズを思いついた。
そのフレーズから止め処なく想起される様々な憧憬は、実に愉快なものであった。

それから数週間が経ち、私は暇つぶしに村上春樹の『ノルウェイの森』を手にとった。
私はこの本が好きで、折に触れて読み返している。
序盤の数ページを手繰っていると、そこに一字一句も違わない、「上品なキャメルのコート」というフレーズが出てきた。
40近い「僕」が、直子のことを思い出そうとしているシーンである。

私はこのフレーズに注意を払ったことは一度も無かった(もしそうであったなら、私は「キャメル」という単語をこの段階で調べているはずだから)。
まして、記憶に留めているなんてことは、あり得ないはずである。
それにもかかわらず、私は自分が思いついたはずのこのフレーズが、明らかにこの『ノルウェイの森』の一節に由来していることを直感的に理解した。

なんとなく読んだ、「目でなぞった」だけの箇所が、無意識のうちに私の記憶庫に格納されていたというだけでも驚嘆に値することだが、しかもそれを、「『ノルウェイの森』で見た」という情報を忘れたままに、ふとした折に思いつくようにして思い出し、しかもそこに色々な大事なものが結びつくというのは、まさに不思議としか言いようがない。

私はこういう現象が巷に溢れているのを知識として知っているし、経験も何度かある。
遠藤周作もどっかで似たようなことを言っていた。
たまにアーティストが「曲をぱくった」と言われるのは、意図してぱくっているわけではなく、たまたまどこかで聞いたメロディを「思いついた」と錯覚して曲にしてしまうからであろう。
しかし、流石に今回はびっくりした。


「思い出す」と「思いつく」の不思議な関係。

卒業論文。その2

卒論。なんとか書き終えて、製本して提出してきた。
前記事を書いた後に体調を崩して、高熱と吐き気と頭痛がひどくて「ああ、終わったな。」と思ったけど、ロキソニンとみかんのお陰でなんとか助かった。
1年もの間ずっと、嫌だなぁ逃げたいなぁと思ってきたけれど、最後はひたすら無だった。焦りや不安もなければ、楽しさや幸福感もなかった。書き終えてからも、達成感すらわかなかった。とりあえず最大の懸案が消えたけれど、現実感はない。ただただ、次の懸案にそろそろ直面せねばならないな、と。

今日は提出のためだけに大学に行き、3時間ほど1人でカラオケで歌い、バッティングセンターで手が痺れるまで球を打ち、讃岐うどんを食べ、家に帰ってぐっすり寝て、起きて借りてきた『塔の上のラプンツェル』を観て(面白かった)、久しぶりにランニングして、こうしてブログの記事を書いている。なんだか受験が終わったときのような気分。明日も(というか今日)終日暇なので、まったり過ごしたい。気が向いたらどっか行く。

卒業論文

「文章を書くことは肉体労働に近い」とは、たしか村上春樹の言であったと記憶しているが、卒業論文が佳境にさしかかるにあたって私はこの言葉を実感せずにはいられない。もうめちゃくちゃ疲れる。ブログも書き、日記も書いていて、「文章を書く」という営為に比較的慣れているはずだが、それでも辛い。チョコレートや栄養ドリンクを絶え間なく摂取して、机の上に散乱している参考文献に目を通しつつ、ウンウン唸りながら不毛にPCに向かっていると、脳内は非現実の世界を飛躍しはじめ、温泉とか雪山とかそんな浮ついた情景のなかをふわふわと漂いはじめる。出来れば誰かと行きたいが、無理なので一人で行く。終わったら絶対小旅行をキメてやる。考えてみれば、あと数日のうちに、一年以上もずっと懸案だった卒論から解放されるのだ。大変喜ばしいことだ。クオリティが低くて卒業できない可能性もあるけれど、それはもう知らない。とにかく書き上げて、提出してやる。だからこんなところで文章を書くリソースを使っている場合ではないのだ。でも文章を書くこと自体はわりと好きだから別にいいや。頑張る。

キャメルのコート

冬の昼下がり、こたつに入ってみかんを頬張りつつぼーっとテレビを眺めながら、ふと浮かんだささやかな思いつきのために、自分の能力と人生の一部とを全力で捧げる。
――そんな生き方がしたいなぁとふと思った。

たとえば山際淳司『スローカーブを、もう一球』に収録されているような、『たった一人のオリンピック』のように、大学生が思いつきでオリンピックに出てやろうと思うような、そんな生き方。
「自分の人生」というものを、紙切れかなにかのように扱うような、そんな生き方。

そんな他愛もない思いつきは、叶おうと、叶うまいと、当初思い描いていたものとは大きく異なるものになっているのだろう。きっとそれが楽しいのだ。


(『スローカーブを、もう一球』は、私のなかでトップ10に入るくらい好きな本です)

絢爛

1000番目の記事。

***

先日、水族館の女の子とご飯を食べにいった。3度目のデートである。
昨日と今日(http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-980.html)という記事の末尾に、「3度目のそれで、その結果を相手に問う」と宣言しているが、問うていない。

実は2度目のデートのあとで、共通の友人2人に協力してもらって、その子の気持ちを聞き出してもらった。

・私にたいして今は恋愛感情は持てていない。だが今後そういう気持ちになる可能性がある(彼女にとっての何かしら致命的な欠点が私にあるわけではないらしい)。
・「お兄ちゃん」という感じ。安心感や頼りがいはあるが、ドキドキはしない(よく言われるので、これが長所でもあり短所でもあるのだろう)。
・デートは「普通に」楽しい。計画をたててくれるのが嬉しい。誘われて断る理由はない。
・自分が女性として好かれているのはうすうす気付いている、けれどいくつか引っかかる点もあるので確信は持てていない(最近連絡がこないとか、他の子ともデート行ってるのを聞いたとか)。
・今もし告白されたら悩む。もう少し考えたい。
・他に言い寄ってきてる男はいない。

という感じである。要は当落線上ということだろうが、もし先日告白していたら振られていただろうと思う。危なかった。情報網があるだけで行動の精度がこんなに違ってくるものなのかと実感した。

先日のデートは近場の飯屋に行って、ご飯を食べて、帰ってきただけである。
1,2回のデートは私自身も「普通に」楽しかったので、今回は彼女の内面に触れるようなことを聞いてみたい、もっと踏み込んでみたいと考え、それを目標にして臨んだが、かわされた。原則誰に対してもオープンに接するという高い能力を持った子だが、踏み込ませる人はかなり慎重に選ぶタイプなのだろうと思った。
3度目にして私は敗北感を覚えて少しへこんでいたが、後々聞いたところでは彼女はいつも通り楽しんでくれていたらしい。

それまでと違うもう一つの点は、その日に彼女を次のデートに誘わなかったことである。
1度目はLINEで「また誘う」と宣言したし、2度目はサシ飲みしてる間に次のデートの予定を合わせたが、今回は何も無し。これは何かの作戦だとか、日和ったとか、気持ちがさめたとか、そういうことではなく、単純に卒論が忙しくて都合がつきそうになかったからである。

彼女はそれに違和感を覚えたらしい。
「いつもは日中に誘ってくるのに、今回はそれがなかったから、もう次のデートはないのかなって思いました」とのこと。私はそれを伝え聞いてびっくりした。彼女はそういう素振りを私には一切見せなかったからである。ただその時を楽しんでるだけのように私には見える(見えた)けど、実際は色々なことを考えたり感じたりしてくれているというのは、それが関係の発展に繋がるかどうかはさておいて、男としてとても嬉しいことだ。

ともあれ、彼女にとって

・誘いは断らない
・今は好きじゃないけど今後好きになるかもしれない
・最近は自分が好かれているのか確信が薄れている

という距離感に自分がいるという事実を踏まえれば、一番大事なのは告白をもうちょっと待って数回デートを重ねてみることなのかなと思う。私の評価が悪くなることはおそらくない、かといって良くなる保証も全くないし、あまつさえ好きになってもらうというのはデートでは厳しいかもしれない。ともかく焦らず、既成事実を積み重ねていければよい。

しかし、自分の好意の有無が気にされているというのは極めて大きいと考えている。
明らかに彼女は私のことをそれなりの時間を費やして考えてくれているので、もしかしたら、があるかもしれない。私は別に意図してそうしてきたわけではないが、結果的に「相手に自分のことを考えさせる」という恋愛において基本的な戦略を成功させていたことになる。

私の相談相手の1人は、「今後好きになってもらう可能性があるのに、告白して万が一にもミスって関係が終了するというのが一番あってはならないこと」と言ってくれた。確かにその通りである。このままではジリ貧だろうし結論を急ごうとしていたけれど、すんでの所で思いとどまることができた。
(しかし私には、勝負を急いで土俵際で逆転される力士や、『もののけ姫』で人間の罠に甘んじて引っかかる猪たちを笑えないな、とつくづく思った)

要するに、「ま、こいつでいっか」と思ってもらえればよいのだ。

***

ただ、一番大事なことは、一緒に居られる時間を大切にすることである。
私はろくでもない人間のくせに無意識のうちにデートすることに慣れてしまっていたのだろう、3度目のデートをどこか漫然とやり過ごしてしまったように思う。

いやいやいや、と自分に言い聞かせる。いいか、一生のうちでこんなに可愛い女の子とデートできる機会なんて滅多にないし、次があるという保証などどこにもないのだ。あれこれ思い悩むのはあとにして、ともかくその時々を素直に楽しめ、と。

妹にも「付き合えるにしろ、付き合えないにしろ、『この時間が幸せだったな』と思う日がくると思うから、(結論を焦らずに)まだ楽しむのもありだよ!」と言われた。妹は3歳下だが、恋愛に関しては大先輩である。本当にその通りだと思う。
今を、悔いのないように楽しむこと。これを強く念頭において頑張る。
プロフィール

みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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