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くつ

靴を買いにいこうと思って、新宿のとある店に行った。
1万円以内でカッコイイ靴があればそれにしようと決めていた。

しばらく店内を回っていると、6,500円と印字された値札がついている靴を見つけた。
デザインも気に入ったので買おうと思って、レジに持っていこうとした。

値札をよくみたら65,000円だった。


一瞬、乱視が酷くなったのかと思った。
店を間違えた。

(結局、5,000円のスニーカーを買いました。)

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昔の日記

私は高校2年の5月から、浪人1年の冬まで継続的に日記を書いていた。
それからは断絶と復活(前者の期間の方が圧倒的に長いが)を繰り返しながら、未だに日記を書く習慣は続いている。
ただし記録される内容はだいぶ小規模になった。
高校生の頃は自分が何をして、何を考えているかを緻密に記録(むしろ書くことで考えを生み出してるという感じ)していたが、今は淡泊な行動記録に一言程度の感想を添える程度のものである。

このブログ自体は浪人1年の夏から、浪人3年目を経て大学3年の今に至るまで続いている。ある意味では日記の性格をこのブログが継承していると言えるかもしれないが、やはり「自分しか閲覧できない」と「無限定に世界に発信されている」との差は大きいとも感じる。

今年の正月に帰省したとき、実家に眠っていた日記8冊を回収してきた。
リアルタイムでそれらの日記を綴っているときは、これが他者に見られたら死ぬしかないくらいのことを書いているように考えていたものだが、いざ数年ぶりに日記を紐解いてみたら実に他愛のないことしか書かれていなかった。誰々のことが好きだとか、受験がんばらなくちゃとか、そんなことしか書かれていない。自分の黒歴史に恥ずかしくなるかと思いきやそんなこともなくて、ただ純粋に笑えたり、たまに感動できたりもした。即座に間違いを指摘できる箇所もあって、それが自分のなけなしの成長の証しのようにも感じられた。

最近は思うことがあって、日記をぱらぱらと読み返している。
読み返していると夜が明けそうになっている。


ところで、平成19年9月26日の記事には、こんなことが書かれてあった。

「中央駅のホーム。
1人、希望と不安を手に持って、東京に旅立つ。新幹線の一人旅。
そこに別れがあり、未来には出会いが。
そんなひそやかな夢をかなえることを目指して、がんばっていこうね。」

そういえばこれ、叶ったんだなぁと思って、なんだか救われたような気持ちになった。

未だ

自分が本質的な部分で何を考えて生きているのか、どういう行動原理で動いているのかなんて、他人からすれば「ネガティブ」の一言で片付けられてしまうもので。

リアルでも、本当に仲の良い数人にしかそういう面は明かさなくなった。
twitterとかブログとかでも、そうそう簡単に無限定に自分の内面を話すことは無くなった。
それが出来る人を見ると、呆れる半面、真に羨ましくも感じられる。

こんなにネガティブだけど、それなりに頑張ろうとしている自分を、自分だけは見捨てずに居なければいけないはずなのだけれど、時々、他ならぬ自分自身が真っ先に見捨てようとしているのに気付いて、笑えてくる。

いつから、何が原因でそうなったのかはもう分からないけれど、ともかくネガティブさそのものが年輪のようにして形成されてきた僕自身の本質だということは事実なので、それ自体を否定されることは悲しいけれど、しかし「ポジティブに考えよう」という意思そのものが無いというのはいただけないとも思う。頑張ってポジティブに物事を捉える訓練をしていきたいな。

***

人と話したり接触したりすることは全然嫌いじゃないくせに、人間関係を広げていくことは本当に不得手。
限定的な人間関係を深めていくのが得意で、かつそれが本当の幸せだと知っていながら、その人間関係の狭さにコンプレックスを抱いていることもまた、確かである。
自分の人間性というものは、あまりにも意味不明すぎて。泣けてくる。

さえする

阿部真央の「じゃあ、何故」という曲の中に、「冷めすぎて【さえする】君の~」というフレーズが出てくる。
初めて聞いたときは「んん?『さえする』??」ってなったけど、

何らかの理由があって「全て何も無かったことにする」場合、ふつうの人は良心の呵責やらで、そんなに冷酷に徹しきれないものなのだろう。けれどこの「じゃあ、何故」で歌われている「猫の目」を持った女の子は、その手の良心の呵責なんて欠片も見せずに「何も無かったことに」してしまったのだろう。

だから、
「全て何も無かったことにするには(普通の人ならそこまで冷徹に出来ないのに、君は冷徹になるどころかむしろ)冷めすぎてさえ(無かったことに)する」
ってことなのだろうと思う。さえ/する。
この「猫の目」の女の子は、そんな冷めすぎてさえいる自分に酔っているのだろうなぁ。

…と解釈したが、そうすると【さえする】の隅付きパーレンの意図が分からなくなる。多分一生分からないだろうな。
ともあれ、阿部真央の中では一番好きな曲であり、歌詞である。
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みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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