天の学舎

QMAは「天の学舎」がスタート。
みかきもり@シャロンでプレーしています。当たったらどうぞ宜しくお願いします。
天の学舎のことはまだまだよく分からないけど、今までどおり普通に遊んでいけたらなぁと思う。

サブカも作った。

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さすがに学籍番号が若い。

天体接触

17年ものあいだずっと眼鏡を使ってきたのだが、今日ついにコンタクトレンズに移行した。
就活するにあたってさすがに赤フレームの眼鏡ではまずいだろうと考え、よしどうせなら良い機会だしコンタクトにしてしまおう、というのが直接の動機である。
当然ながらこういう代物を目に貼り付けるのは初めてなもので、取り外すにも貼り付けるにも難渋した。

昼に眼科にいって、コンタクトを購入して帰るころにはとっぷり日も暮れていて、なんとはなしに新しいことをしたなという新鮮な気分と、ああ大学の演習発表が全然終わってなくてどうしようかという鬱々とした気分が混じり合って妙な心持ちのまま、自分の家がある隣駅まで歩いて帰った。

コンタクトを入れたせいで、いつもより目が潤み、家に向かうたくさんの対向車のヘッドライトが滲んでいて綺麗だった。
そういえば眼鏡を外して街を歩くなんて17年ぶりなんだな、などと思いながら歩く。17年前、小学2年生の頃といえば、記憶がわりとしっかりしてきた頃合いであり、それ以前の記憶はどこかふっつりと今と接点を断っているような気がする。つまり私の記憶は小学2年生から、連綿として今に繋がっているような感覚がある。眼鏡はそのころからずっと、当たり前のように私の身体の一部を為していた。

眼鏡がないときというのは、それは殆ど寝てるときだけなので、本当に妙な感覚なのだけれど、国道を歩いている間に自分が夢遊病の患者になったかのように錯覚してしまった。そして、ものものしい言い方になってしまうけど、自分が如何に眼鏡というツールを通じて外界と一定の独特な距離感を保ってきたか、ということを自覚させられたのである。

ラヂオスタアの悲劇

ぷらたないとさんのブログの記事で取りあげられていたので、私も書きかけのまま放置していた記事を一つ。

***

講義の合間に本でも読もうということで、近くの書店を物色していたら、ちょうど村上春樹フェア的なものが催されていた。何気なく眺めていたら『村上ラヂオ』というタイトルの文庫本が目に付いたので、ぱらぱらページを繰ってみて、面白そうだったので即時購入。

1つのテーマに対して3ページに満たない分量で書かれていて、それが纏められているという構成になっている。比較的読みやすい彼のエッセーの中でも図抜けて読みやすい。そして面白い。ギャグ線高い。文通で奥さんの心を捉えたとかなんとか聞いたことがあるけれど、さもありなんという感じ。

ところで私はハイチュウが好きで、何かの帰りがけにコンビニに寄ったときなどよくハイチュウを買って帰るのだが、いつも買ったときは「一粒一粒ゆっくり食べよう」と誓うくせに、帰り着いていざ頬張り始めたらもう止まらなくなる。一粒食べ終えた瞬間にもう次のを開けている。私はこれを勝手に「一過性ハイチュウ依存症」と呼んでいる(まぁ依存症に一過性もクソもあるかって感じだが)。ともあれ、ハイチュウを目の前にしてしばらく我慢するなんて絶対無理ですね、ひとりでディズニーランドのアトラクションを全部回るくらいには無理。

なんで唐突にハイチュウの話題を出したのかというと、その『村上ラヂオ』を読んでるときの自分の状態が、そっくりそのまま「一過性ハイチュウ依存症」だったからである。純然たる暇つぶしとして時間をかけて読みたいのに、一つのタイトルを読み終えたら次、って感じでどんどん進んでしまう。口当たりもよいし、止まらなくなってしまう。村上春樹の最大の武器って、「読みやすいのに、読みごたえがある」ってところにあると勝手に考えているんだけれど、どうだろうか。

というわけで、一コマの講義で読み終えてしまった。
再び書店に走って、続編の『村上ラヂオ2』を買って、またすぐ読み終えてしまった。
小説は正直マンネリだと思うけど、エッセーは文句なく面白い。人を選ぶのは間違いないから、強くお薦めはできないけれども。

相撲の話

8日、明治神宮で奉納土俵入りが執り行われた。奉納土俵入りを観に行くのはこれで3度目となる。
初詣での参拝人数で毎年第一位を記録する(誰がどうやって数えてるんだろ)この神社は、8日に至ってなお参拝客が多かった。
2時間くらい待って、休場が取り沙汰されていた日馬富士が最初に不知火型の土俵入りを披露した。足首を痛めているとのことで、心なしか四股に力がなかった。
続いては今年、優勝回数を30という大台にのせんとする白鵬が、同じ不知火型の土俵入りを奉納した。堂々たるものだった。あたりまえだけど、ほんとにデカイよね。

だが私は両横綱によりもむしろ、目の前に座っていた協会役員に興奮していた。
北の湖理事長は入院中とのことで欠席だったが、九重、貴乃花、八角、伊勢ヶ濱、玉ノ井、松ヶ根…という錚々たるメンバーがそこに鎮座していた。野球でいえば王、長嶋、落合、松井秀みたいな、サッカーでいえばペレ、マラドーナ、ヨハン・クライフみたいな、つまりその世代毎のエースが勢揃いしているという状況。生ける伝説といって差し支えなさすぎる面子である。

そういえば日馬富士は雨男との話をちらと聞いたことがあるが、この日も雨だった。
そしてその数日後に、日馬富士の休場のニュースが入った。


2014年の初場所が始まった。
なんといっても今場所の目玉は綱取りがかかる稀勢の里だが、だったが、初日にして良いところ無く黒星。
千代の富士みたく初日黒星からの14連勝で優勝・昇進、みたいなミラクルは期待できまいが、「ポカも含めて」(『ちはやふる』23巻)稀勢の里なのだろう。そこはもうしょうがない。強いのは確かだし、ポカも含めて好きなのかもしれない。

今場所は両国に観に行くかどうか未定。観に行けたら良いけど。

『春の雪』メモ書き

歌留多の札の一枚がなくなってさえ、この世界の秩序には、何かとりかえしのつかない罅(ひび)が入る。
(中略)なくなった一枚の歌留多の探索が、どれほどわれわれの精力を費させ、ついには、失われた札ばかりか、歌留多そのものを、あたかも王冠の争奪のような世界の一大緊急事にしてしまうことだろう。

(中略)故意に隠されていた一枚が手もとに戻って、歌留多の札が揃ったことの、……そして歌留多は再び、ただの歌留多にすぎなくなったことの、……何とも云いようのない明晰な幸福感。

――三島由紀夫『春の雪』(新潮文庫、1977年)以下同じ。47p、49p

友が恩恵でも施すように、秘密を施してくれることは耐えがたかった。(122p)


その幾分薄目な脣にも美しいふくらみが内に隠れ、笑うたびにあらわれる歯は、シャンデリヤの光りの余波を宿し、潤んだ口のなかが清らかにかがやくのを、細いなよやかな指の連なりが来て、いつも迅速に隠した。(88p)

それは時間の結晶体の美しい断面が、角度を変えて、六年後にその至上の光彩を、ありありと目に見せたかのようだった。聡子は春の翳り(かげり)がちな日ざしの中で、ゆらめくように笑うとみると、美しい手がすばやく白く弓なりに昇ってきて、その口もとを隠した。
彼女の細身は、一つの弦楽のように鳴り響いていた。(153p)


他人の心の結果は読めても、心の反応については不敏な(173p)


こう言ったら、こうしたら、どんな風に内心感じのかってことが全く読めないのに、どんな風に感じかということについては文句なくわかりやすい、そんな人っているよなぁ。
何をすれば喜んでくれるのか、怒ってくれるのか全く見当も付かないのにもかかわらず、今現状でその人が嬉しがっているのか退屈しているのかってことについてはとっても分かりやすい。みたいな。

清顕の口を出る一語一語は、正にこういう場合にはこう言うべきだと、彼が考えていたとおりに円滑に流れ出て、何ら感情の裏附のない言葉のほうが、人を一そう感動させるという現場をありありと示した。(200p)


彼は聡子を喪った。それでよかった。そのうちにさしもの怒りさえ鎮められてきた。感情はみごとに節約され、あたかも火を点ぜられていたために、明るく賑やかである代りに、身は熱蠟(ねつろう)になって融かされていた蠟燭が、火を吹き消されて、闇の中に孤立している代りに、もう何ら身を蝕む惧れ(おそれ)がなくなった状態と似ていた。彼は孤独が休息だとはじめて知った。(204p)

※同じページに「みかきもり~」の一首が登場する。

若者が遊惰な風俗や歌舞音曲を通じて、ただ若い柔らかい感性に愬え(うったえ)る口当りのよいものだけをとり入れて、それに同化してしまう危険に比べれば(245p)


海はすぐそこで終る。これほど遍満した海、これほど力にあふれた海が、すぐ目の前でおわるのだ。時間にとっても、空間にとっても、境界に立っていることほど、神秘な感じのするものはない。海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思いは、あたかも一つの時代から一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会っているような気がするではないか。(272p)


今日の涙を見ても、聡子の心が清顕のものであることは明らかだったが、同時に、心の通い合うだけでは、もう何の力にもならぬことがはっきりしたのだ。
今彼が抱いているのは本物の感情だった。それは彼がかつて想像していたあらゆる恋の感情と比べても、粗雑で、趣きがなく、荒れ果てて、真黒な、およそ都雅からは遠い感情だった。どうしても和歌になりそうではなかった。彼がこんなに、原料の醜さをわがものにしたのははじめてだった。(337p)


そしてその儀式の速度には、一滴々々疲労がしたたって積るような、胸苦しい喜びの緩さ(のろさ)があった。(382p)


聡子が一言も言葉を発することができないこんな状況へ、彼女を追いつめたのは清顕だったのだ。年上らしい訓誡めいた言葉を洩らすゆとりもなく、ただ無言で泣いているほかはない今の聡子ほど、彼にとって望ましい姿の聡子はなかった。
しかもそれは襲(かさね)の色目に云う白藤の着物を着た豪奢な狩の獲物であるばかりではなく、禁忌としての、絶対の不可能としての、絶対の拒否としての、無双の美しさを湛(たた)えていた。聡子は正にこうあらねばならなかった!そしてこのような形を、たえず裏切りつづけて彼をおびやかして来たのは、聡子自身だったのだ。見るがいい。彼女はなろうと思えばこれほど神聖な、美しい禁忌になれるというのに、自ら好んで、いつも相手をいたわりながら軽んずる、いつわりの姉の役を演じつづけていたのだ。(229p-230p)



一年経ってなお揺るぎなく、間然するところがない。
そういえばこの小説を一年ぶりに読み終えたその日の夜、偶然にも雪が降って、「灰のように漂っ」ていた。

ジョギング

<12月>
総走行距離:148.5km
日数:15日
体重:61.1kg→62.1kg

12月は、2つの自己ベストを更新した。

①10km走:47分38秒。
死ぬほどきつかった。2度とこのペースで走りたくない。

②距離:24.9km(2時間33分53秒)
死ぬほどきつかった。2度とこんな距離走りたくない。

最近は寒いです。仕方ないですね。冬だし。
あと右膝の痛みが日に日に少しずつ増していて、1月は大幅にセーブしないといけないかも。
正月でついた贅肉を落としたいんだけどなぁ。

今日は2014年の走り初め。
いつもよりだいぶ短い距離を走ったけど、それでも膝に痛みが走る。ううむ。

さくら398

「元旦に立てた目標は、およそ14日前後で頓挫する」というプリンストン大学の研究チームによる研究結果が、先日『ネイチャー』に掲載されていた。というのは真っ赤な嘘で、私が今考えた。
でもこと自分に関して言えば、これは事実だと思う。

というわけで、2014年の目標。
まず、「メールの返信はすぐに返す」。
そして、「夏休みに槍ヶ岳に登頂する」。
以上2点を目標として掲げたい。

年末年始は実家に帰省した。正月帰省にあまり良い思い出はないけれど、今回は手放しで楽しかった。
飲んで食って旅行して寝て、そんな感じだった。

行きも帰りも新幹線の自由席を使った。
東京~鹿児島中央だと7時間弱かかるけど、乗り物に乗っているだけで楽しめる性質を持ち、なおかつ昨年の夏に青春18きっぷを使って旅をした身にとっては全然苦にならなかった。ただ帰りの新大阪~東京だけは流石に座れなくて、立ちっぱなし。去年読んだ三島由紀夫の『春の雪』を、ちょうど一年経ってまた読み返しながら時間を潰していた。
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Author:みかきもり
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「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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