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秋天!

昨日はバイトも大学もない、紛う事なき休日であった。
僕にしては大変珍しいことだが、なんの目的もなく外に出た。明確な行き先や用事がない限りは部屋に籠もっているというのが大抵の休日の過ごし方なので、あまりないことである。
ともあれ外の空気はとても涼しい。秋の深まりを象徴するかのような空気である。こんな感じで一年続けばいいのになぁ、とも思うけれど、やはり四季があるからこその秋なのでしょうね。

さてとりあえず駅へ向かい、適当な中華料理屋で餃子と炒飯を食べ、本屋に入った。
そこでNewtype specialと題された雑誌を買った。
噂で聞くところのまどかマギカ特集オンリーの特別号であった。表紙はアルティメットまどかだった。
僕は普通のまどかを好きだと思ったことはないけれど、アルティメットまどかは大好きだ。フィギュアを買いたいという欲求は切々と募るばかりだが、いかんせん値段が高い。

それともう一つ、三島由紀夫の『奔馬』(豊穣の海・二)を買った。
『蟹工船』を読んだらこれを読もうと思った。『春の雪』を完全に忘れるまでに手を付けることが肝要だと考えた。
そのあとは近くの喫茶店に入って一心不乱に『蟹工船』を読み進めた。
読書に於いて集中力というのはとても大切である、だがもちろんこんなことは言うまでもなかった。

これが土曜日のあらましである。




その翌日には秋の天皇賞があった。
一応府中競馬場からは近い(?)ので、それに両陛下の行幸啓もあるし、せっかくだから行こうと考えた。
朝は雨が降っていて、やっぱ今日はやめようかなと思ったけれど、なんとなくこういう時こそ行った方が良いだろうと思い直し、今秋はじめてコートを着て、外に出た。寒かった。

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東京競馬場前の並木は既にほのかに赤く色づいていた。


僕は13番のダークシャドウと、16番のカレンブラックヒルという馬を買うことを既に決めていた。
前者は会社の上司に聞いて「これや善し」という馬で、後者は今日までずっと勝ち続けてきた、とても浪漫がある馬であった。
僕みたいなスーパード素人が単勝・複勝以外に手を出すわけにはいかないと思い、いろいろあった考えを捨てて、2頭の単勝を買うことにした。オッズ的に、どちらかが勝てば必ず儲かるようになっていた。素人は余計なことは考えない方が良い、ただでさえ難しいG1レース、ましてこの面子…
しかしやはりあれこれ考えるのは楽しかった。無知なる者のなけなしの楽しみ。

場内に入り適当なファストフードを食べ(うまかった!)、人混みの中にわけいった。既に良い時間であった。
やがて天皇皇后両陛下がお出ましになられたのだが、結局僕は残念ながらどこにおわすのか最後まで判然としなかった…。

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やがて雨が降ってきた。そしてファンファーレがなった。興奮はここに極まった。あとは、13か16の馬がゴール板をいの一番に駆け抜けるのを待つだけである。
そしてついにレースの火ぶたが切られた。16の馬が2番目に付けている!いいのではないか?これは、いけるのではないか?僕は確かにそのとき夢の中にいた。大観衆のなか、いろんな色をした泡のような夢が、膨張し、溶解し、飽和していた。レースが終盤に差し掛かる。と、2の逃げ馬はまだ逃げている。これは不味い。「誰」か、どの馬でも良いから、あいつの逃げの完遂を防いでくれ――いつしかそんなことを祈りながら、のこり400ほどで、ついに馬群が2番を捉えた。16は?13は?僕の目はそればかりを追おうとしていた。そして一瞬のうちに馬群が目の前を通過していった。勝ったのは、12番。エイシンフラッシュという馬であった。

僕は人生で初めて覚える、心臓がギュウウウと収縮したまま戻らないような、凝固した感覚を遺しながら、夢の終わりを悟った。



端的に言えばとても悔しかった。素人に悔しがる余地があるのかどうか分からなかったけれど、でも確かにあの感覚はまさに「悔しい」そのものだった。

思えば馬券を買うとき(そんな経験は本当に少ないのだけれど)、これほど神秘的な感覚を覚えることもないような気さえしてくる。完全に無知な僕は、いやもしかしたら無知でない人ほどそうなのかもしれないが、「勘」というものが本当に有為なもののように思えてくるのだ。
そしてレースが終わった直後でさえ、この12という数字をつい何分か前の(まぁ15分以上前じゃないと危ないですね、「投票」締め切り時刻的な意味で)自分に「伝えられない」というまさにその点で、時間と存在というものの神秘を感じるのである。そして収束がどうたらとかわけのわからないことに思いを馳せる。あの大人数の中にあっては、よりそういう感覚が無駄に高められてしまうのだろう。


しかし今回のレースは本当に印象に残るものであった。
レースの展開そのものによって、そして僕自身の馬券の買い方、およびそれに乗せた期待の仕方によって、この秋の天皇賞がかくも印象深いものとなったのだろう。


そして帰りの電車の中で、僕は『奔馬』を紐解いた。
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小林多喜二『蟹工船・党生活者』

言わずと知れたプロレタリア文学の代表作。
少し前にブームになったような記憶がある。
明治生まれの小説家の作品といえば、東京帝大を出た超秀才の文豪のものがたくさん思い浮かぶけれど、そんな作品群とは違った同時代の小説というものを僕はあまり読んでなかったので…。

テーマ性もはっきりしていたし、文体も好き。
肌に迫るような臨場感も実に素敵だった。

資本家vs.労働者の構図というか、そういうものについても多少なりとも考える端緒を開いた作品という感じだった。

 

 今では我々は私的生活というべきものを持っていないのだから、全生涯的感情をもって(若しもこんな言葉が許されるとしたら)、憤怒し、憎悪するのだ。



『党生活者』の中には、主人公と彼の母が面会するシーンがある。
理想の社会を達成するまで、もう母と会うことはないだろう、そう作中の彼は独白していた。
さてこれが書かれたのは1932年であり、その翌年に多喜二は拷問され、この世を去ることとなる。そう考えると、なんというか、やるせない。

三島由紀夫『春の雪』

  

「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」




壮大なる輪廻転生の物語。
三島由紀夫の遺作『豊穣の海』は四部構成である。それぞれ順に、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』という表題が付けられている。三島は最終章たる『天人五衰』の結末の原稿を入稿したのち、現在の防衛省がある市ヶ谷駐屯地に向かい、演説をしたあと割腹自殺。三島の首の画像などは、今でもgoogleなどで検索すれば一発で出てくる。

昨日その第一部である『春の雪』を読み終わった。『奔馬』以降はまだ手もとにない。

美麗な筆で書かれた恋愛小説であったが、僕はその最後の、まさに最後の一文に端的に示された第一部の物語の結末を全く予見することが出来なかった。

物語がどう終わるのかというのを予想しながら読み進めることを、物語の楽しみ方の一つだとすれば、この作品は本当に見事だった。もちろん今更僕ごとき人間がこの作品の価値を評価するなんて…、という感じではあるが。

そしてそれを踏まえれば、嗚呼あの文章はこういうことを予感させていたのか…というのが分かってくる。蜘蛛の糸のようにうっすらと、綿密に張り巡らされた伏線が、ここに結実している。僕は捕らえられた哀れな昆虫の様に、ある種の感動をもって「悟る」のだ。本当の意味でのカタルシスである。

華麗で緻密な情景描写は言わずもがな。三島由紀夫のお手の物という感じ。
個々人の人物描写も本当に見事と言わざるを得ない。
「夢と転生」という一大テーマを取り扱っているだけあって、背景には仏教思想が横たわっている。教養の深さを覗わせる。

本題には直接関係がないけれど、芸術とセックスは密接に繋がっていて、ゆえに文学とセックスも密接に繋がっている。(多分です。僕自身、芸術とはなんぞやということを語れるほど物を知らないので…。)
男女の目合ひ(まぐあい)もやはりこの作品でも重要なものとして位置づけられている。
僕は村上春樹や村上龍といった作家の、どぎつい直球な性描写よりも、三島とか川端とか、そんな世代の作家の描写――観念を観念のまま抽出するような方法が好きだ。

僕にはそういう経験が無く、ゆえにこういう文章は書けない。それは一つのコンプレックスである。
しかしながら、本当に恐ろしく、僕を嫉妬させしめるのは、そんな経験が無くともこんな文章を書ける人間がいるという、まさにその存在なのかもしれない。



ところで「三島由紀夫が好きだ」と言って憚らない読者というのは、どこか俗っぽいというかにわかっぽいというか、そんな感じがしませんか?僕のただの妄想かもしれないけれど。

しかし僕はやはり凡なる才を持った者として、やはりこの人の小説を好きにならずには居られないのだ、とつくづく思う。

ともあれ僕にとっては、非の打ち所がない作品であった。
後半は続きが読みたくて夢中でページをめくってた記憶しかない。
しかもこれはまだほんの序章に過ぎないからなぁ…。嘆息。


ちなみに途中、百人一首「みかきもり~」の句が出てきてなんか嬉しかった。

伊藤左千夫『野菊の墓』

※ネタバレ注意です




「政夫さんはりんどうの様な人だ。」
「どうして、」
「さァどうしてということはないけど、政夫さんは何がなし龍膽(りんだう)の様な風だからさ。」




友人に勧められた小説『野菊の墓』を読んだ。
夏目漱石が「自然で、淡泊で、可哀想で、美しくて、野趣があって(中略)あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」と絶賛するほどの名作である。

悲恋の短編小説。
展開そのものは、今となってはごくありふれたものだが(もちろんこれが明治期に編まれたことを考えに入れれば、当時の恋愛観から観ると革新的な作品だっただろう)、それを差し引いても面白い。

主人公(政夫)・ヒロイン(民子)ともにウブで、可愛く、この二人が織りなす風景はまさに思春期の甘酸っぱさといった体である。僕もこんな青春期を送ってみたかった…

二人が恋(「恋の卵」と表現されている)に目覚め、やがて周りの環境によって別れることとなり、そして最後には此岸と彼岸の別れとなり…そういう二重の別れによって、この甘酸っぱさは単なる「思い出」とはまた質を異にしてしまっている。主人公が結婚して10年以上たった今でも、昨日のことのように思い出す時代となっているのである。


出だしは以下の通り。

  後の月といふ時分が来ると、どうも思はずには居られない。幼い訳とは思ふが何分にも忘れることが出来ない。最早(もう)十年余も過去(すぎさ)った昔のことであるから、細かい事質は多くは覚えて居ないけれど、全く當時(とうじ)の心持に立ち返つて、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありといふやうな状態(ありさま)で、忘れやうと思ふ事もないではないが、寧ろ(むしろ)繰返し繰返し、考へては、夢幻的の興味を貪つて居る事が多い、そんな訳から一寸物に書いて置かうかといふ氣になつたのである。



非常に美しく調子の良い出だし!
こんな文章が書けたら苦労はしないだろうなぁと、ほれぼれするような書き出しである。
特別な語彙を使っているわけでも、語調にそれほど拘っている様子でもなく、素直にすーっと思いの丈を綴っているような印象を受けた。なのに(だからこそ?)こういう美しい文章となっている。
果たしてこの作者はここを、「神が降りてきた」ように書いたのか、それとも推敲に推敲を重ねまくって書いたのか…。

出だしも美しければ締めも美しい。

  幽明遙けく(はるけく)隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。



カッコイイ!ピシッと締まっていて、まさにスパリと切られた茎の切り口を思わせるよう。


これこそまさにザ・小説といった塩梅だった。
2時間あれば充分に読み終わるほど短いし、極端に難しい小説というわけでもないし。気が向いたときにでも読んでみるのがよいかと思う。



ところで、この小説とは関係がないのだけれど、「人は一生のうちであとどれだけの本に触れることが出来るのだろうか、どれだけの詩や小説を読むことが出来るのだろうか…」などということを考えた。

小四で喜ぶ…?

小四喜あがった!もちろん初めて。
久しぶりの役満です。

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この後の対局でも絶好調で、初めて5連続1位を達成。
「天国猛動」も獲得できた。

季節外れの花火大会

調布花火大会に行ってきました。

一人で行ってきました。

500円のタコ焼きと500円のお好み焼きを食べました。

おいしかったです。

花火はとても綺麗でした。


おわり


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浄化


『魔法少女まどか☆マギカ~永遠の物語』(劇場版まどマギ総集編の後編)を見に行ってきた。
QMAを2クレほどやって(5位→3位と好調だった)、講義を受けて、そして新宿バルト9へ。

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5時半には既にこんな風に暗くなっていた。以下ネタバレあり

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霧たちのぼる

最近、自分はいろいろな人から支えられて生きているのだなと感じる機会が多くなった。
今までも変わらずそうだったのだけど、こんなに身に沁みて実感した経験はあまり無かったように思う。
特別何かが起こったわけでもないのだが…。よく分からない心境の変化だ。

だが悪くない変化なので、まぁよしとしよう。


先日、祖父母からカップラーメンやら何やらいろいろな食材が送られてきた。
中に手紙が同封されていた。
祖母の手なるその手紙の書き出しは「お元気ですか」、締めは「お体を大切に」、であった。

電話するのも良いかなと思ったが、こちらも手紙を書くことにした。
手書きで何かを書くのはとても好きなのだが、手紙というものを改めて書く機会というのはそうそうなかった。
今回の手紙は何年ぶりだったろうか…。

ともあれすぐに返事をしたため、大学の近くの郵便局に持って行った。
大学の記念切手なるものがあるらしく、その切手を貼って頂いた。そんなサービス(?)があったことを初めて僕は知って、少しだけ感動した。

最近は再び読書欲がむくむくと頭をもたげてきた。
今読んでいるのは三島由紀夫の『春の雪(豊穣の海・一)』という小説である。やはりこの世代の文章が一番好きだ。読みやすくなく、かといって読むのに骨が折れるというほどでもない。ストーリーよりも表現を愉しみたい僕のような人間にとって、この手の純文学は一番読んでて幸せである。

ギターも再び、短時間だけど毎日練習するようにして、無理のない範囲で運動も始め、英語の勉強(というよりリハビリ)にも手を付け、放置していた漢字の勉強も再開することにした。

秋という季節は偉大である。
やりたいことが一杯あって、どれから手を着けよう?と思っていたけれど、それを迷い箸している暇があるならいっそ全てに手を着けてみようか、などという気にさせてくれた。
どうせ僕のことだから長くは続かないけど、それでもいいかなと思う。やりたいときにやればよし。

思えば、冒頭に書いた妙な心境も、秋という季節のせいなのかもしれませんね。


琴瑟相和す

父母が結婚して25年が経った。銀婚式。
時の流れは早いもので…。

電話したら、ちょうどホテルで夕食をとっているとのこと。
ちなみに僕の今日のご飯は白米と卵でした。

ところでそのとき弟とも話したのだけど、僕が中学二年生から高校一年生まで書いた黒歴史的な漫画(実家に置いてある)を、弟が彼の友達に見せたらしい。なんてことを。

評判は「意外と面白かった」とのこと。
それを聞いて非常に嬉しく感じた僕も僕です。

ちなみに、8年くらい前リアルタイムで書いていたときも、同じような評価をもらっていたような記憶があります。
犬夜叉とブリーチとワンピースを足して3で割ったような漫画でした。未完の大作()

黄金賢者

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瑠璃魔龍で魔法石を稼いで到達。
この階級は通過点だ!…と言いたいところだけど、知識的にも資金的にもここが限界なのかなぁと思う。
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みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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