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大賢者&ドラハイ優勝

5月26日 大賢者昇格

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28日はついにドラハイで優勝!プラチナメダルを2枚もらうことが出来ました。


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和歌問キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
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ミモリサマ

今日は夜の1時から昼の4時まで寝てました

起きたあとに松屋にいって飯を食べて、バイトに行きました

彩るりずむ

こうも夜だと、昔好きだったもののことを思い出す。

RYTHEMが解散してから一年と三ヶ月が経つ。
件のミルキィ武道館ライブに行ったとき、実はリズムの解散ライブのことを思い出したりもしていた。

ちなみにその解散ライブの話は記事になっていた。
http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-201.html

あの時はとにかく人がいっぱいで、ずっと立ちっぱなしで歌を聴いていたようなイメージがある。


このライブをもってRYTHEMの2人は別々の道を辿ることとなった。
リズムへの関心も日に日に薄れ、やがて僕は大学生となり、バイトを始めることとなり、KOTOKOを好きになりミルキィホームズを好きになり、…

ふとしたきっかけから、「そういえばあの2人は今何をしているのだろう?」と思ったわけだ。


そして2人は各々独自に、プロジェクトなるものを始動させていた。
新曲も出していた。聴いた。

「この2人が、ハモリを捨ててまで得たかったものとは何だったのだろう?」と思った。

だが彼女たちには、その唯一無二を捨ててまで、何かをしたかったのだろう(または何かを捨てたかったのだろう)。そういうものなのだろう。どんなにそれが稀少であったとしても。

これほど仲が良かったはずの2人が、…という思いも正直ある。
やはり、「そういうもの」だということにして、納得しなければならないのだろうか。


高校時代の記憶。
高校時代の思い出は全てRYTHEMの楽曲の中にあると言っても過言ではない。

その頃の記憶は、だんだんと、自分が思っているよりも遙かに、薄くなっている。

目指していた大学があって、当時好きだった女の子がいて、
そのどちらも叶うことは無かったけれど、
ともあれまぁ、こうして故郷を離れてぼーっとしている。よくわからない。
昔を思い出すという作業は、やがて今を見つめるまなざしとなり、そして未来への洞察を投げ掛ける。

今の生活も楽しい。数年前に比べれば、充実していると言えるだろう。
でもたまにはこういう日があってもいいではないか。

「Forsan et haec olim meminisse iuvabit」
いつか"これら"のことを思い出すことも、喜びとなるだろう。

「ながらへばまたこの頃やしのばれむ  憂しと見し世ぞ今は恋しき」
「この頃」に対する眼差しが違うけれど、これも似たような歌。

金☆環☆日☆食

結局眼鏡持ってなかったし曇ってたしでよくわからんかった。



今日のバイト先での会話
「日曜日の武道館ライブが終わってから現実に戻れません」
「誰が一番好きなんですか」
「ぴんくの人です」
「あの一番可愛い人ですか」
「そうです」
「あー」
「…現実に戻れないなぁ」
「…^^;」


「聞こえなくてもありがとう」って良い歌だなぁ

ミルキィライブin武道館

ついに武道館でミルキィホームズのライブが開催された。

(僕にしては珍しく)4人で行ってきた。
現地集合ということになったので、両国で謎の力士出待ちをしたあと、九段下へ向かった。
僕にとって初めての声優ライブである。

武道館に入るのも無論初めてだった。
意外と狭くて、2階席だったのだけれど、これだと案外近く見えるかもしれないなと思った。

僕より先に着いていた、語学のクラスで一緒だったという間柄の人は、こういうライブに行き慣れているらしく(そういうそぶりは去年一年間一緒だったのに全く無かった)、色々な話を聞くことが出来た。
僕はサイリウムを買ってなかったし、買うつもりも無かったけれど、やっぱり買おうかなということでボッタクリ価格のサイリウムを会場内で買ってきた。
とりあえずピンク色と青色を買ったけれど、あとから思えば緑と黄色も買っておくべきだったな。

開演は17時。
正直相撲の優勝争いが気になって、開演を待つ間にワンセグでちらちら見ていたが、11分頃に会場が暗くなった。
武道館がどよめき、サイリウムが光り始める。

一曲目は「ナゾ!ナゾ?Happiness!!」
なぞ!なぞ!なぞ!なぞ!なぞ!う~いぇいいぇい!

会場のボルテージが突然マックスになって(それはそう)、僕はただ立ち上がったままサイリウムも振らずに4人を目で追っていた。

2曲目からは既に知らない曲だった。
会場でアドリブでのれるとはいえ、予習しておくべきだったと後悔。
楽しむための努力は惜しむべきではなかった。
ぼんぼん振られる無数の光の束を見ているうちに、突然ラテン語の「e pluribus unum」という言葉が浮かんだ。

多数で出来た、一つ。

何曲目かまでは控えめにサイリウムを振っていただけだったが、三森すずこのソロ「グッデイ・エブリデイ」になると会場がピンクのサイリウム一色になった。

「朝ですー」

僕は突然狂ったようにピンクのサイリウムを振り始めた。
PVのみもりんが可愛すぎると同時に、「いま」「ここで」歌っているみもりんも途轍もなく可愛かった。
「みもりぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいん」
僕は叫んでいた。

知らない曲が続くなか、アルセーヌ様役の明坂聡美やココロちゃん役の南條愛乃が登場しつつ(ここでも歓声が凄かった、そして明坂さん可愛かった)、いよいよあの歌に向けてテンションが漲ってきた。


「正解は1つ!じゃない!!」

前奏が流れた瞬間、みんなが立ち上がった。
この曲のノリの良さは何なのだろう?凄まじく楽しい曲だ。


問・題・解・決!!


流石にこの曲では容易に合いの手を入れることが出来て、それはもう爽快であった。
本当に爽快だった。気持ち良すぎる。ライブって楽しいなぁ。

サプライズゲストでDAIGOが来たり、アンコールが2回行われたり、
そんなこんなしているうちに、あっという間にライブは終わってしまった。


そういえば、なぜこういったライブでは拍手が目立たないのだろう?と思っていたけれど、サイリウム持ってると拍手出来ないんですね。だから「Foooooo」と口で言うんだなぁ。


正直これほど楽しいとは思ってなかった。
4人とも好きだけど特に三森さんが好きな僕は最後はずっとみもりんみもりん言っていたような気がする。
ここで言っておかないと…ねぇ。

僕が次にこの4人に会うのはいつになるだろう?
もう2度と目にすることはないのかもしれない。
ライブというのは、そんな観照でもってグッと楽しくなる。(唐突すぎるが、浜田省吾はそれを知悉していて、ゆえに彼のライブは現実への帰還に著しく支障を来すほど楽しい)

本当に楽しかった。
そして、もっと楽しみたかった。もっと楽しむべきだった。
次があれば…もっと楽しめるように頑張る。



…ライブが終わったあと、サイゼリアで爆安のワインを飲みまくって、いや言うほど飲んでいないはずだが、酔った。
二日酔いがあると無駄に早起きになる。そして金環日食を待ちつつ、こうしてこんな文章を書いているわけだ。

カバンをあけたら、光を失った2本のサイリウムが転がっていた。


2012年夏場所

終わってしまった。
今回の優勝争いの展開というのは、本当の本当に予想外であって、正直言ってこれほど面白くなるとは思わなかった。

最後の最後まで不透明な混沌とした優勝争いを制したのは旭天鵬。
僕が相撲を見始めて、おそらく初めての平幕優勝であり、しかも昭和以降では最年長での優勝となる。

予想外な展開なりに、それなりの見通しというものがあるものだが、もちろん稀勢の里がこれほど優勝争いに絡んでくるというのも正直なところ予想外だった。
だがしかし、そこにおいて旭天鵬が最後の優勝決定戦を制するその瞬間まで、優勝可能性のある力士に「旭天鵬」という四股名が僕の頭の中に浮かんでくるということはついになかった。
予想外どころではない。まだ信じられないくらいだ。競馬で言えば間違いなく万馬券。

僕は常々「力士に国籍は関係ない」と言ってきたが、今回は本当に数少ない、日本人力士が5年ぶりくらいに優勝するチャンスであったので、日本人力士が優勝するのを久しぶりに見てみたいと思ってしまっていた。
今回もまたモンゴル人力士が幕内最高優勝を果たすこととなったのだが、いやはや。
(といっても旭天鵬は日本国籍を取得しているから、日本人扱いではあるのだが)

旭天鵬か…すごいな。
本当にびっくりである。実に印象に残った場所であった。

春の夜の夢ばかりなる

夜である。外は静かである。
明日は2限がある。僕は遅くとも9時までには起きなければならない。
眠気は充溢し、課された宿題もない。この時間において、床につくことは最も望ましいことであるし、最も必要なことでもあるし、最も簡単なことでもある。それに、寝るべき理由こそあれ、寝ない理由はない。


では、なぜこうして僕は眠気を堪えながら起きているのだろうか。


本当に謎な、この妙な「行動原理」。僕をただ寝させずにいる、起き続けさせている原動力。
寝るための理由は手に余るほどあっても、寝ない理由は毛ほども存在していない。
「だから」僕は寝る、という図式が普通成り立つはずである。でも寝ていない。こうしてどうでもいいことを書き綴っている。僕を寝させないものは果たして何であろうか?何だろう。

と、こう考えているうちに、何とも奇っ怪な観念が浮かび始める。
「こういう状況において、僕を寝させない『何か』こそが、僕という人間の本質であるのだ」、と。

自分とは何か?それを問うことは、もう立派な哲学である。
自分、という矛盾。
(「人間という矛盾」、これはとある講義で聴いたフレーズなのだが、僕はこの言葉が大好きだ)

たとえば、何かを好きであること。
何か好きなものがあって、それをそこまで好きでないと自覚するに至ったとき、何となく自分が自分でなくなるような気がした…という経験は、誰にでもある…のだろうか。僕にはあるが。

何かを好きであること、それこそが僕という人間の本質の一部なのかもしれない。
ただし、好きでもないものを好きだと言ってしまうことは、時として本当に最悪な結果をもたらすことがある。だから人は、自分に対して絶えず敏感であるべきだと思う。

何かを好きであることがアイデンティティを維持している、ということは、あまり良くないことであろう。
いや、そうではない、アイデンティティを維持するために何かを好きになろうとする態度は、唾棄されるべきものであろう、と言いたかった。好きになる、という動詞は偶発的にしか成り立たない。
だから僕は、何かを好きだ好きだと言ってまわる人間が本当に嫌いなのだが、それはどうでもいい。

でもやはり、何かを好きであることが、アイデンティティと密接に関わる、関わってしまうという側面は、やはり無視できるものではないであろう。

何に対しても興味が持てなくなりそうな時というものがあって、そういう無価値の均一化が進むような危機的状況というものは、結局は長くは続かないものだけれど、やはり恐怖である。


「何かを好きであること」が自分の本質の一部であるとともに、自分が心の内に抱えている、どうしても治療することの出来ない…(なんと表現すべきだろう?)「わがまま」さ?
それもまた、それこそが、自分という人間なのだろうと思う。

たとえば僕にtwitterを止めさせた「それ」であり、mixiを止めさせた「それ」であり、それらを包括する、人間関係におけるあらゆる煩雑さに対する生理的嫌悪、…多分なのだけれど、僕は他の人よりそういう傾向が強い。

twitterのアカウントを消滅させた理由はたくさんあるけれど、それがどうして「止める」に繋がったのかを説明するのは難しい。
ただ、言うなればtwitterに引きずり回される自分が嫌になったのかもしれない。色んなことを考えたけど、やっぱりそうとしか言えないのだ。
端的に言えば、僕はtwitterが好きだったのだろう。だから放置を試みたけど、結局それは難しいことであった。
関係における「放置」というものは、最も愛のない、残酷な形態である。僕は基本的に「全か無か」を消極的に問う人間なのだろう。だから消した。


「意味のある、ツイート」。嗚呼、そういうことか。今を共有するという巧さ。
僕は下手だったのだなぁ。


twitterの話はどうでも良い。
ともあれこの奇妙さ不可解さを「奇妙・不可解」で処理せずに、言葉や熱意を尽くして「説明」することはとってもとっても必要なことだと思う。
またそれはいつか、気が向いたときに、そして今ほど眠くないときにしよう。


***

「氷菓」というアニメが面白い。
今期は「アクセルワールド」と「さんかれあ」、「アムネジア」の3つを中心に見ていたのだけれど、「氷菓」の手応えは抜群である。3作品が「氷菓」に差されるのがもう目に見えている。今は「やや面白い」でも、この先もっともっと面白くなるであろうことを、何故か確信できる。
「アクセルワールド」は最初の何週かは一番楽しみに待っていたアニメだったけれど、やはりこれ以上面白くはならんだろうなというのが分かる。


***

「そのときになれば、わかること」
というものは誰にだってあるだろう。

僕の場合、そういう事柄はその時になって初めて分かってからでも遅くないだろうという結構強い確信を持っているので、それを押しつけられるのは我慢ならんのだ。

大人になればわかること。立場が変わればわかること。
だから僕は僕より大人な人間や、立場が上の人間から、その立場なりの価値観を押しつけられるのは腹が立つし、大体そんなことされても、僕が実際にその立場や年齢に達しなければ実感しようがないはずなのだ。

無論それは、年上や立場が上の人を尊敬しないということを意味するわけではない。


小学生には小学生の、中学生には中学生の、未成年には未成年なりの、年寄りには年寄りなりの、価値観や悩みがあってしかるべきだ。
たとえば、僕が中学生だからというただそれだけの理由で、中学生になれば誰でも悟るような事柄を得意顔で小学生に押しつける、そんなまねをするような人間にはなりたくない。

「いつかわかるよ」、いつかわかるなら、今教える・教わる必要はないでしょう?
いつかわかることは、今わかってもそれは分かった気になってるだけだし、時が来れば(語弊を恐れずに言えば、無条件に)大抵の人間は勝手に学んでいくものだし、「先んじて知っておく」ことにどれだけの意義があるのか甚だ不透明だからである。

中学生は全力で中学生たるべきなのだ。


***

空が明るくなって来た。というか完全に青空である。どうしようもねぇ。

こんな空を見ていると、なんでさっきあれほどまで起きていたかった(というより、寝たくなかった)のか。いよいよもって分からなくなってくる。
麻雀でもしようか、QMAの問題回収でもしようか、図書館で借りてきたロシア文豪の本でも読み進めるか、サイトを巡回しようか、何か買いに行こうか、色々あるけど、何とはなしに鬱屈感が募る。
生活の難易度そのものは、確実に去年より簡単になっているのに。


やらなければヤバイことは絶対にやるのに、やらなくてもいいけどやらないと後悔するよ?ということは基本的にやらない。
やはり僕の人間性は意味不明だ。
「やらなかったこと」のツケが短期で現れるか長期で現れるかの違いでしかないのだろうか?にしても、あまりにもぶれるような。

***

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ




井伏鱒二。いやはや、すごい。

「価値」というものはどうして成り立つのか?それは、何事にも限りがあるという事実があるからだ。
限りのないものに価値は無いし、限りのない人生なんてものがもし成立したら、その人生は途端に無価値になる。
出会いや別れという概念は無に帰するだろう。まぁそんなことは言うも愚かなりで、当然の当然なのだが。

だから本当に、どうして不老不死というものが羨望を浴びているのか全くもって理解できない。

ちょっと違うけれど、死の影を携えている女の人は、本当に美しい。


***

ブログの名前を変えた。
「葵」「プラチナ」「絵巻」、どれもただ単に、僕が好きな言葉を並べただけである。




どしたのきせきせ

今日、夏場所13日目は白鵬・稀勢の里戦であった。おそらく、最も需要のある(?)対戦カードだろう。
バイトが無ければ絶対に見に行ったというのに・・・!

結局今場所は一度も見に行き(行け)ませんでした。9月に期待です。


肝心の相撲は、白鵬が圧倒的な強さを見せつけて勝利。
優勝争いの混沌はここに極まった、という感じです。

「時効に…?」

「氷菓」面白いです


漠然とした不安というものは、実は直近の懸案事項と密接に関わっているのかなぁと最近思うようになりました。
今日も今日とてどこかへ出掛け、何かに没頭しながら、どこかで気もそぞろ。

最近、自分について恐ろしく鈍感になってやしないか?と自問自答する日々。
いつかこれらのことも、「時効」になるのだろうか?

強く生きろ、とは言わないから、せいぜい「ちゃんと」生きるべきだな。

トンちゃん

・昨日最もくやしかった誤答
「アニメ「けいおん!!」に登場する、軽音部室で飼われている亀の名前は○○ちゃん?」
→ドン

一瞬頭が真っ白になって、酷い間違いをかましてしまった。
アニメ&ゲームというジャンルは僕にとって最大の壁なのであって、そこに来て数少ない、解けるはずの低正答率問題が出たというのに…

正解はトンちゃん


・昨日最もうれしかった解答
「次の天王星の衛星を、直径が大きい順に選びなさい【アリエル、チタニア、オベロン、ウンブリエル】」
これはチタニア→オベロン→ウンブリエル→アリエルです。
理系偏差値が滅法高いドラハイ予選で単独正解できたのは気持ち良かった。宇宙天文検定に投資しまくったのが少し報われたかな

プロフィール

みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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