てんきゅっ

RYTHEMの解散が決定した。


重大発表のお知らせがあったときから、うすうす予感はしていた。
しかしいざこうして形になってしまうと、やはり寂しいものがある。


RYTHEMとの出会いは、自分がまだ高校生の頃、当時好きだった人が一番好きだったアーティストだということで自分も聞き始めたというものだった。

アルバムもシングルも、全部ではないが殆ど集めた。
その人と話すネタを集めるという面もあったけど、RYTHEMそのものの楽曲も好きだった。



当時は、『桜唄』がもうすぐ発表されるという時期だった、



結局それは片想いで終わってしまった。
RYTHEMだけが残った。
『蛍火』の歌詞が自分は好きだった。



それから3年くらいだろうか。


RYTHEMの曲が「幻想性」を離れ、RYTHEMにしか唄えない歌がRYTHEMに唄われなくなってから、僕はCDを集めるのをやめた。ツナイデテが最後だったと思う。


確かに、もうRYTHEMの曲を積極的に聴くことはもう無かっただろう。

しかし、RYTHEMはRYTHEMで、これからも続いていくのだろうとも思っていた。


RYTHEMの2人が離れるなんて、僕には全く想像が出来なかった。
2人の世界をこれからも作りあげていって欲しかった。


そして昨日、正確には一昨日、RYTHEMは生中継で解散を発表した。
2月27日の東京でのライブをもって、正式に解散するとのこと。


チケットが取れるなら、是非ライブを見に行きたい。
最初にいったライブが最後になるというのは、皮肉以外の何ものでもないが。



自分の好きなアーティストが解散して悲しいというよりも、RYTHEMという2人がそれぞれの道を歩んでいくんだということがショックだった。


RYTHEMは青春そのものだった。
それが終わってしまうというのは、自分の中の何かに決定的な終止符が打たれたのだ、とも思う。

コンパス

①己の欲せざる所、人に施す無かれ


②言ったことは行動して証明する、それができないなら最初から言わない

二十億光年の

twitterを見ていると度々「孤独と向き合うこと」に関するツイートが見られる。
そういえば、個人的に尊敬するいろんな歌手の作る歌詞の中にも、「孤独」という言葉がよく出てくる。


周りに誰もおらず独りぼっちであろうと、喧噪の渦の中にいようと、恋人がいようといまいと、結局人間という存在は本質的には孤独なんだろうなと、ごくごく使い古された観念であるけれど、一応理屈の上では理解している。


孤独と向き合うことは、自分の心の中に確固たる居場所を作ることであるらしい。

しかし未だにその意味するところがわからない。


結局、自分自身がそういう経験をしてみないことには始まらないということなのだろう。
若い頃すべき最も大切なことである、らしいのだが。

(しかしもし、他者が自分の今の状況を見れば、充分に孤独だと思うかもしれないが)

「憎めばそれだけ学ぶ」

嫌いなものや人間を見ると、どうしても「なぜ嫌いか」を分析してしまう。

自分がそれを嫌いであることを無意識に正当化しようとしてそうなってしまうのだろうが、最近論理的に突き詰めて考えていくにつれて、どうしても「認めないといけない領域」があることに気付いた。

つまり嫌いなもののうちにも、共感できるというか正しいと思うところ・領域が必ずある。
感情が先走ればそこを無視すれば良いのだろうが、感情を押し殺せばそういう領域が見えてくる。

それによって「嫌いであること」はより堅牢に正当化される。

逆に考えれば心のどこかで、嫌ってはならない場所が嫌いな事象にはある、ということなのではないだろうか。
そこに後ろめたさを感じて、嫌いという感情にとらわれ、解析してみたくなるのだろう。

当たり前すぎることだけど、絶対悪も無ければ絶対善も存在しない。


しかし、こういう癖をつけることで、嫌いという感情に「より正当に」折り合いをつけられることは凄く助かることだと思う。
自信をもって嫌いになれることで、嫌いという感情は格段に軽くなるだろう。ということ。

誕生日の贈り物

あと3日ほどで父の誕生日が訪れる。
誕生日となると決まっていつも、どんな贈り物をすべきか迷う。


たとえばお酒関係で考えるなら、ビアマグとかいいかなぁと思ったりしたけど、それは父の日に贈ってるし…

健康グッズとか本とかも違う気がするし。
タバコ関連のも充分という感じがするし。

「タバコは健康に悪いものである。だから、タバコ関連の贈り物をすることは愚かだ」
という言説も溢れてるようで。
でもそれは見方が平面的すぎますね。タバコは絶対悪だと思い込んでいる方が多いと言うことは、ある意味で禁煙奨励教育はそこそこの成功を収めていると言えるでしょう(笑)


しかし、こうやってプレゼントを何にしようか思いを馳せているうちに気付く。
「誕生日を祝うということは、かくあるべきだ」と。


相手の欲しいものを買う、相手の需要に即して贈り物を考える
…という要素もある程度は必要でしょうけど、それ一辺倒というのは一種の「逃げ」かと思う。
だって本当に当人にとって欲しいものは本人が既に買っているから。

おそらく誕生日を祝って貰う側としては、欲しいモノを与えて貰えるとは最初から期待していないんだ。


つまり誕生日会は相手の欲しいモノを買い与える儀式ではない、ということなのかなと。

であるから、送り手側が必死になってプレゼントを考えなければならない。
お金をぽんと与えるというのは(それは親→子しか普通はありえないけど)、やはり淋しいものなんじゃないのかな。それで喜ぶようだったらそれまでの関係だってことですけど。


で、当の父親はかつてこんなことを言っていた。
「プレゼントそのものよりも、気持ちが大事だ」と。

個人的には頭で理解しつつも、どこかでそれを安いプレゼントを選ぶ際の方便にしてはならないと思っていたけど、今となってはまさにその通りだと確信しています。


気持ちのこもってない、ただ欲しかっただけの商品を贈られるよりも
贈り手側が悩みに悩み抜いた末のプレゼントの方が実はありがたがってくれる、くれてたのかもしれない。


相手の需要に即した何かを贈るのは、もらい手が小学生以下である場合だけでしょう。
重ねて言うとその要素も一定は必要ですが。


…と、言うわけで今、絶賛悩みの渦に巻き込まれております。
「相手と自分の仲を象徴するようになるようなもの」が理想だよなと思いつつ、なかなかそういうものは無いわけで。
やっぱりグラス関係かなぁとか。コップ系はいいよね。使うつど思い出されるし。日常品と飾り物的要素を兼ね備えてるというのもいいかもしれない。

スターライトストリーム

初めてフィギュアを購入した。

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ストライクウィッチーズに登場するサーニャ。
同作ではエーリカが一番ひいきだけど、amazonのレビューやメーカーや予算その他諸々を考慮してアルター版のサーニャを買うことに決めた。

6250円だった。


買ってみた感想としては、意外に重い。
机の上に専用の飾り台みたいなものを設置してそこに飾ることにした。
いい買い物だったと思う。
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みかきもり

Author:みかきもり
みかきもり/翠凜/りぬす

「本当の優しさ」「自分を好きになる」

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