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スーパースター

水族館の女の子(http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-1000.html)との、その後について。

結論から言えば、「友達から」というかたちになった。

***

1月に予定していた4度目のデートが「予定が出来た」ということで無くなり、2月に予定していた映画のデートも「予定が」ということで潰え、私はこの段階ではっきり負けを確信した。
また、1月以降に、その子に少なくとももう2人の男がアプローチを掛けているということを知った。

私はわりと穏やかにその子のことを好きになってきたつもりだったけれど、他の男が近づいていることを知って極度の嫉妬を覚えた。ここまで自分の気持ちが大きくなっていたのをそのとき初めて知った。何も考えられなくなって、せめて自分が先に想いを伝えておこうと決めた。負けを確信しての告白は正直したくなかったけど、何も伝えられないよりはましだと思った。

その子の答えは、
(私は)「一緒にいるのは楽しい、安心感があって、優しくて、頼りがいがあって、けれど好きかどうかと言われると、そういう感情とは違っている。お兄ちゃんみたいな感じ。人間としては好きだけど、男としては好きではない」
というものであった。
そして、
「付き合うことも選択肢としてはあったけれど、こういうあいまいな感情のまま付き合うのは互いにとって良くない」
「気をもたせるのは悪いし、告白されて関係が壊れるのがとても嫌だったから、デートは断ってきた」
「きっぱり断ることが出来なくて、自分は最低だと思う」
とのことであった。

私は「あきらめない」と宣言したうえで、

・デートしてきたからといって私が「気を持つ」なんてことはない。可能性なんて関係ないほど好きになってる(付き合えなさそうならあきらめる、なんてことが出来ないほど気持ちが発達しているということ)
・その子のことは、たしかに異性としても好きだけど、友達としても好きである。告白が失敗したからといって友達としての関係まで崩れる必要なんてないし、気まずさを感じることもさせない。
・一緒にいて楽しいというのは何よりも大事だと思っているけど、あなたがそれを感じてくれてるのがとても嬉しい

ことを伝え、だから「嫌だからデートに行きたくないというわけじゃないのなら、(あくまで友達として)映画観に行こう」といったら、行きますと言ってくれた。

一般的に、しっくりこないまま付き合ってそれから好きになっていくというパターンは多い。
だからここで、「付き合おう」と言うこともできたけど、私自身が逆の立場なら、しっくりこないまま付き合うことは出来ないだろうし、自分が出来ないことをその子に押しつけることは出来ないと思った……ということも、本人に直接言った。努力でどうにかなる問題じゃないのかもしれないけれど、いつか絶対に再挑戦するし、そのためには出来るだけのことはするとも言った。でも今は無理であるという現実も受け入れるとも言った。

他にアプローチしている男のことについて聞いたら、どっちも「無いなって感じです」ということで、ひとまずは安心した。

私は、こんなに素晴らしい子をちゃんと好きになれた自分のことも好きになれた。
それで傷つくことは覚悟の上だから、誰かを恨んだり憎んだりするなどということはない。
「一緒にいて楽しい」は確実に、上位の感情に転換する可能性がある。だから、その可能性が少しでもある限りはそこに掛けたいし、それくらい価値のある子だと感じている。

付き合うことは出来なかったけれど、「2人で会う」関係は保つことが出来たし、他の男が寄ってきても自分のことを思い出してくれるくらいには全力で想いを伝えることができた。とりあえずは打ち明けられて満足である。この告白が、何かのきっかけになれればよいなと思う。異性としての関係に発展すればそれはとても嬉しいけれど、たとえこのままそうならずとも、きっとそれはそれで、この2人はかけがえのない関係になるだろうなと感じている。

自分がこの恋愛を通して成長できたのもとても嬉しかった。
少し前まで、女の子を誘うなんて自分にも他人にも想像さえ出来なかったようなレベルの低い男が、いまや「一緒に居て楽しい」と思わせるほどにまでなれたのがすごくありがたいことのように感じる。周りの応援のおかげである。

そして、その子とやっと本音で語り合うことができたのもとても嬉しかった。
別れ際に、「これからもよろしくね」といってその子と握手したのだが、その手が死ぬほど柔らかくて、この柔らかさは一生忘れたくないなと思ってしまった。




※注釈:「水族館の女の子」に関する過去記事。

実はもう1人気になる子がいる。交際経験は1人で(注:実は2人)、彼氏を欲しがっている。
とてもしっかりしていて、好意的な反応をするのが上手く、そしてなによりも、そこまで強く外見に気を遣ってる風でもないのにもかかわらず、キレイで可愛い。しかるべき努力をすれば到底私の手には負えないくらい高いレベルの女性になるだろうなという感じ。
ここまでの逸材なのにまだ誰も手を出していないのが不思議なのだが、ともかくこの子の存在も頭の片隅にはある。

距離感はどうかというと、明らかに人間的な好意は持ってくれてるけど、恋愛的な「気になる」には全然達していないだろう。
頑張って「為コミ①~方法論編」で書いたことを意識しながら接して、「誘える閾値」を確実に越えるようにしたいけれど、ぼさぼさしてたらすぐに取られちゃう気がする。

(恋愛観②:興味のベクトル:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-965.html

その子は外見・内面・振る舞い・頭の良さ・面白さという、私が大切だと思う項目全てにおいて満点を付けられるくらいの存在であった。ここまでポイントが自分の中で高いと、逆に私はあきらめる。私程度の男では到底手におえないと考えてしまうからである。だから私はこの子のことを好きになることはない、と思っていた。その子のまだ都会慣れしていない感じが他の男に受けないのか知らないが、その子には彼氏がいなかった(いない)が、もしそのある種の野暮ったさが抜けて洗練されてきたら、もう私の手には届かないところに行ってしまうだろうと感じていた。

ここまでレベルの高い子を好きにはならない、そう感じていたとはいえ、やはり私は2人をたびたび無意識に比べてしまったし、そのたび自分の「ライブの子」に対する感情が、もはや「仮」にすらなり得なくなっていることを悟った。こんなにどストライクで素晴らしい女の子、しかも今を逃せば一生アプローチ出来ないかもしれないくらいポテンシャルの高い子を見ないふりをして、好みでもなければ可能性も低い子をそこそこのやる気で追いかけるのは、かなり難しいことではないのかと。

(ライブのはなし:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-981.html


9月12日:対抗の子を水族館のイベントに誘う。OKもらえた。
(中略)
結局、9月にBにアクションを起こす。
初回では、デートスポットのチョイス、誘い方、誘うタイミング、どれをとっても我ながら非の打ち所の無い誘いが出来た。ここまで上手に誘えたことはなかった。幸運なことにBも「ちょうどそれに行きたいと思ってたけれど、誰かと行く予定はない」という都合の良すぎる状態だった。
それから実際にイベントを見に行き、夕食を食べ、もとから外見・内面・振る舞い全てAよりBの方が好みだったのだが、相性もBの方がぴったりくるなと感じた。
この3ヶ月の間で5人の女の子と合計10回デートに行って思ったことだが、2人きりでデートに行ったときに感じたことは嘘をつかない。どんなによさげに見えても「2人きり」がつまらなかったらその関係性に未来はないし、2人きりが楽しいということは何よりも大きな事実となってくる。

まだAとの2人きりを経験してない段階で、私の中で「本命-対抗」は逆転した。
Bを本命に据えて、本命だったAが対抗となる。
(中略)
昨日がBとの2度目のデート。夕食→映画→居酒屋、という流れ。
前回の反省だった「自分から話題を振る」「相手の子の面白さをもっと引き出す」「褒める」の3点も全部こなせたし、正直3度目のデートは絶対に断られない自信があった(実は2度目の映画デートを誘うときはだいぶ日和った)。

(昨日と今日:http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-980.html
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ライブのはなし

※長いです。

***

去年の冬にとある歌手を好きになり、今年の春、その歌手のライブのチケットに当たった。
この先どれだけ長く、強く、この歌手を好きでいられるかはわからないが、少なくとも今の自分にとっては最高の歌手。そう言い切れるくらい、思い入れのある歌手である。

その歌手の初めてのライブのチケットを、私は2枚入手した。
チケットを手に入れた当時は、以前好きだった子にふられた直後のことであり、誰を誘うあても無かったのだが、ライブが開催される秋までには絶対に女の子を誘おうと決意していた。
当時の私のお誘いの戦績は、2人/1勝5敗である。「誘う」という行為がとてつもなく難しく、また敷居の高いことのように思えていた時期であった。

折しも、春に私の後輩として入ってきた子は、偶然にもその歌手の大のファンであった。
容姿とか振る舞いとかは私の好みとは違っていたが、その歌手の話題ではいつも盛り上がることができたし、聞くのが好きな私にとって、話し好きなその子とは相性が合っていた(ように感じていた)。

その子と出会ってから3ヶ月半が経った夏の夜のことである。ライブまではあと3ヶ月。
私はぼんやりとその子のことが気になりはじめていた。
ぼんやりと、漠然と、ゆっくりと気になっていったが、しかし、決定打には欠けていた。
そんな状況にありながら私は、ぼおっとしてたらその子も別の人とその歌手のライブに行ってしまうのではないかと焦り、ついに誘うことに決めた。

ライブは私にとって間違いなく今年一番楽しみにしてきたイベントであり、大仰な言い方が許されるのならば、生きる意味の一つであった。それくらい気合いの入ったイベントに誘うということはとても重い意味を帯びてくる。

誘った日は小雨が降っていた。
同じ帰り道で、私は彼女にライブに行く予定はあるのかと聞いた。
彼女はライブのチケットが売り切れたと勘違いしていた。当然、行く予定はなかった。
私は、「チケットなら一枚余ってるんだけど、行く?」と言った。
彼女は少し驚いた顔で、「ありがとうございます」と応えた。

私はそこそこ緊張していた。好感度が足りているかどうか微妙だったというのもある。
しかしライブそのものの魅力は彼女にとってもとてつもなくデカイはずなので、来てくれるという自信もあった。
余談だが、女の子が誘いに乗ってくれるときというのは、「自分への好感度+デートそのものの魅力度」が閾値を越えた場合であると考えている。今回の場合では、デートそのものの魅力度が爆発的に高かったから、好感度がマイナスでさえ無ければ(もとい、ある程度マイナスでも)断られることはないだろうと踏んだのだ。

こうして3ヶ月後のライブまで、私と彼女の間には「契約」が生まれた。
契約という言い方は馬鹿らしいけど、要するに互いに予定がある状態であり、それは男にとってはなかなか誇らしいことであろう。

しかしそれから、私は彼女に対してどのようにアプローチすべきか非常に迷った。
というのは、彼女は明確に男を区分するタイプの女の子であるというのがうすうす分かり、しかも明らかに私を恋愛対象としては見ていないというのが理解できたからである。彼女の、恋人にしてやってもいいと思える許容範囲がかなり狭く、その狭い領域に入っていけるほどの魅力や相性が私にあるわけでもなかった。許容範囲というのは、彼氏彼女の関係になれるか否かという場面で、好感度以上にポイントとなる。そしてそれは運であり、こちらからはどうしようもない。
もしかしたら、元彼のことを引きずっていたのかもしれない。本人はそれを否定していたし、今がどうかも分からないけれど。

そして何より、そういう難しさを打破してやろうと思えるほどには、私の気持ちは成長していなかった。
あえて意識して成長させなかったというよりは、そこまで彼女が私の好みじゃないのに、どこか無理に彼女の良いとこ探しをしている自分に気付いていたからであろう。
これは寂しいことであるのと同時に、しかし私にとっては大変な進歩でもあった。
「2人きりを経験するまでは、惚れたら負けである」という鉄則を、私は初めて守れたからである。以前の自分なら、誘えた時点で「この人は運命の人だ」という錯覚に溺れ、可能性のない人にのめり込んでいただろう(デートが初回だった場合、女の子はこちらに好感をそれほど抱いてなくてもお情けで来てくれることがあるからである。だからこそちゃんとした努力をしていれば初回のデートには必ずといって良いほど漕ぎ着けるし、逆に言えば2回目以降があるということはそれなりの好感を持たれていると判断して差し支えないだろう)。
2人きりを(できれば複数回)経験しない限り、好きという感情はあくまで「仮」だと考えるべきである。
とくに成人ならば、なおさら。

というわけで、最初私はこのライブを「終点」にして3ヶ月の間で何度かデートできればいいなと考えていた。n回目のデートとしてライブに2人で行き、そこで気持ちを打ち明けるというのが、最初期の計画である。
しかしそれが色々と難しいことを察してからは、ライブを「起点」にしようと考えた。ライブをきっかけとして、その後いろいろ誘うという方式。この方針を採用する場合は、それまでの3ヶ月をひたすら(言い方は悪いが)好感度稼ぎに費やすことになる。

しかし、その案も自分の中では無くなっていった。
ライブに誘った月に、もう1人気になる子ができたからである。

その子は外見・内面・振る舞い・頭の良さ・面白さという、私が大切だと思う項目全てにおいて満点を付けられるくらいの存在であった。ここまでポイントが自分の中で高いと、逆に私はあきらめる。私程度の男では到底手におえないと考えてしまうからである。だから私はこの子のことを好きになることはない、と思っていた。その子のまだ都会慣れしていない感じが他の男に受けないのか知らないが、その子には彼氏がいなかった(いない)が、もしそのある種の野暮ったさが抜けて洗練されてきたら、もう私の手には届かないところに行ってしまうだろうと感じていた。

ここまでレベルの高い子を好きにはならない、そう感じていたとはいえ、やはり私は2人をたびたび無意識に比べてしまったし、そのたび自分の「ライブの子」に対する感情が、もはや「仮」にすらなり得なくなっていることを悟った。こんなにどストライクで素晴らしい女の子、しかも今を逃せば一生アプローチ出来ないかもしれないくらいポテンシャルの高い子を見ないふりをして、好みでもなければ可能性も低い子をそこそこのやる気で追いかけるのは、かなり難しいことではないのかと。

そうして夏が過ぎ、微妙な感覚を抱えたまま、9月に入った。
心の中に2人の女の子が同程度に存在しているというのは、私にとっては極めて珍しいことであった。

そんな状態でありながら、私はこの夏の間に5回ほど、他の複数の女友達と2人で出かけたりサシ飲みしたりした。
誘うこともあれば誘われることもあったし、なりゆきでそうなった場合もあったが、ともあれ去年までは異性と2人きりで出かけるという経験が(どんな位置づけの異性か、とか、誘ったのか誘われたのか、という観点を抜きにしても)ほとんど無かった自分にとっては、非常に意味深い夏になった。

何より一番ありがたかったのは、「ああ、自分って少なくとも、生理的に無理とか思われるレベルからは脱してるんだな」という自信がついたことである。
そして去年、大好きだった子との初回デート(初めて自分から誘い、初めて好きな子との2人きりを経験した)で壮絶な爆死を遂げた私は「たまたまこの子と相性が合わなかったから楽しくなかったのか、それとも、どの女の子との2人きりをも自分はそもそも楽しめない人間なのか」という強い疑念を抱えてきたのだが、その答えが後者ではないということがわかったというのも極めて大きかった。一度、「友達」という位置づけではあるが、その子ととても楽しいデートが出来たことがあるからである。それからようやく、1人の男としての自分を自身で多少なりとも認めることができた。妙に緊張することも無くなった。

そうして私はだんだんとこの手の力学を身体で実感していくようになった。
この人は誘ったら来てくれるだろう/誘っても来てくれないだろう、という判断だったり、女の子との距離感の単純な測り方だったり、である。ライブの誘い以降、現時点で本命・友達問わず累計5人を誘って10勝0敗だから、多分この感覚は間違ってはいないだろう。(負けなくなった理由は単純である。負けそうな子は誘わないから)
基本的な約束事も身につけた。お会計、エスコートの仕方、店の選び方、話の広げ方、気の利かせ方、服、などといった細かいポイント。たとえば階段を下りるときや上るときは、自分は相手の上に立ちますか?下に立ちますか?とか。
もてる男・もてない男の判断は一発で出来るようになり、女性を見る目だけでなく、男性を評価する視点も激変した。

こういう実感はやがて積極性につながっていく。
これだけの経験値を獲得し、膨大なお金と時間を費やしてきたのだから、先述の超好みの女の子に対しても、今なら対等に渡り合えるんじゃないか。そう考えた私は、半ば思いつきで彼女を誘うことに決めた。折しもその時期は、とある水族館のイベントが開催されていて、ちょうどよい口実もあったのだ。

うまくいく確率は70%くらいかなぁと思っていたし、会話の分岐も全部想定して誘ってみたが、一番都合の良い形で予定を取り付けることが出来た。それから一週間後の1度目のデートでは、イベント自体は個人的にはそうでもなかったが、そのあとのディナーがめちゃくちゃ楽しかった。

私は、この子だな、と思った。
この子なら、のめり込むように好きになれると思った。

かようにして、今年一番のイベントであるライブは、「終点」にも「起点」にもなることはなく、「その1回限り」という位置づけにおさまった。ライブに誘った子にとってはもともとそういう位置づけだったろうと今では思う。しかしその子との関係における「装置」としてのライブの価値は大きく低下したとはいっても、私の(そして彼女の)大好きな歌手のライブである。楽しみでなくなるわけがない。換言すれば、ライブ自体は変わらず楽しみだったが、その子と2人という状況は別に楽しみではなくなってしまったということになる。
もちろん2人きりを経験してから何かが変わるかもしれなかったが、その可能性は低いだろうと私は踏んでいた。
何も変わらないよね、という確認作業に終始するだろうという予想があった。
結果からいえば、その予想は外れなかった。

ライブ当日。
ほんの一ヶ月前までは今年一番「重要」だと思っていたライブの日が、ついに来た。
ライブ会場のすぐ近くの駅前に、ばっちり化粧をした彼女が立っていた。
いつも結んでいる茶色の髪の毛は今日は流れていて、こんなに髪が長かったのかと驚いた。
秋の本格化した夕暮れは早く、空はだいぶ暗くなっていた。

私は彼女とライブ会場の近くで開場を待ちながら、今日のセトリの予想(というか妄想)とか、この曲だけは絶対歌って欲しいだとか、この歌詞が良いとか、そんな他愛のない話をした。

会場に入ってから分かったことだが、私がとれた席はとても良いとは言い難いものだった。
予想外のところで出鼻をくじかれたなと思いつつ、開演を待った。会話はそこまで盛り上がることもなく、微妙な沈黙もたびたび流れた。

19時ちょっと過ぎに、照明が落ちた。声援と共に会場内の人間がみんな立ち上がった。
私は感動の余り泣いてしまうのではないかと思っていたけれど、いざこの時を迎えてみると案外冷静だった。私がその歌手をそこまで好きではなかったというよりは、2人以上で居るとそっちに気が回って対象に感情移入できなくなるという私の性質がはたらいたのだろうと思う。1人でいるときに泣くことはあっても、人前で泣くことなど全然ない人間なのだ。無論、涙は流れなかったけれど、とてつもなく感動していて、盛り上がっていたことは間違いない。

ともあれ、大好きな歌手の「いま、ここ」を共有できているという思い、彼女(歌手)の人生の最先端にこの数時間だけは居られるのだという特権意識はやはり感動的だった。有名な曲が流れると会場のボルテージは盛り上がったし、弾き語りは圧巻の一言に尽きた。魂をもって行かれるほどの格好良さだった。

しかし特筆すべきは、私の隣で盛り上がっている彼女の好きな曲、それもいつものライブで歌われないような曲が、今回に限ってふんだんにセトリに盛り込まれていたことである。きっと彼女にとってとても思い入れのあり、彼女の誰にも明かしていない大切な思い出を惹起させる、そんな曲を彼女は生で聴けているのだ。彼女は今なにを思い出しているのだろうなぁと、私は曲に聴き浸りつつも考えた。
そしてとくに大穴だと思われていた曲の前奏が始まった瞬間、彼女はこっちを向いて、満面の笑顔で「やった!」と言った。私も「おおお!」と応えた。

――こうして夢のような時間はあっという間に終わってしまった。
会場を出るとき私は彼女に、「○○(その子の名前)を誘って本当に良かったよ」といった。これは偽らざる気持ちだったし、素直に言うことが出来たが、それは彼女にとって特にお得なセトリだったからそう言ったのであり、悲しいかなそれ以上の意味はなかった。良い意味で、このライブは彼女のためにあったようなものだとすら思った。

ライブが終わったあとに特有の虚しさを思い出しながら、魂がどこか抜けたようになりながら、わたしたちは細かいマニアックな話を展開しながら駅まで歩いた。こうして東京のまちを偶然仲良くなった女の子と歩くというのはいつも、のちのち印象深く思い出される。

大好きな歌手のライブが一瞬で終わってしまったことに対する虚しさもあり、ずっと楽しみにしてきたイベントがついに終わってしまいこれから何を拠り所にして生きていけばいいんだという淋しさもあり、さりながら、ライブを「2人で」楽しんだわけではなく、あくまで「2人一組で・それぞれ」楽しんだということに対する微妙な気持ちも否定はできなかった。楽しかったのはあくまでライブそのものであり、2人でいること自体が必ずしも楽しかったわけではなかった。
それは予想していたことであり、悲しいことでもない(彼女に恋愛感情をもはや抱いていなかったから)が、もやもやはやっぱり残った。

地元の駅の近くで夕食のラーメンを一緒に食べて、それからわたしたちは解散した。
彼女は「今日はありがとうございました」と言い、私は「こちらこそ楽しかったよ、ありがとう、またバイトで」と言って別れた。

彼女と私の「契約」はかようにして終わり、私にとっての彼女との物語もこの日で終わった。
あとはひたすらこの物語が思い出と化していくばかりである。
私はこれから彼女と無関係の人生を歩いて行き、彼女も私と無関係の人生を歩いて行くだろう。そんな2人がこのライブでだけは、互いの時間を共有していたのだ。それはやっぱりふしぎなことだし、のちのち味のある思い出となるのだろう。

ともすれば彼女のこの日の思い出から私という存在は注意深く疎外されてゆくのかもしれないが、それでも良い。たまに頭の片隅にでも思い出してもらえるなら、それで私は満足である。

昨日と明日

ちょうど二ヶ月前の記事で、気になる子が2人いるという話をしたことがある。
本命の子を数ヶ月後のライブに誘い、対抗馬の子にはまだ何もアプローチしていない、という段階の話だったと思う。
今回はその後から現在までの進捗状況について書く。

7月4日:本命の子を3ヶ月後のライブに誘う。OKもらえた。
9月12日:対抗の子を水族館のイベントに誘う。OKもらえた。
9月21日:対抗の子とデート(1度目)。
9月28日:対抗の子を映画に誘う。OKもらえた。
10月10日:本命の子とデート(1度目)。
10月12日:対抗の子とデート(2度目)。同日、対抗の子を3度目のデートに誘う。OKもらえた。


7月に本命(Aとする)を誘って、それ以降10月のライブまでの3ヶ月間、何のアクションも起こさなかった。
多分誘っても来てくれないだろうなと感じたのが一つと、そこまで自分の気持ちが相手に向かわなかったというのが一つ。
それは相性が合わないことを感じたからでもあり、対抗(Bとする)の存在が自分の中で大きくなっていったからでもある。

結局、9月にBにアクションを起こす。
初回では、デートスポットのチョイス、誘い方、誘うタイミング、どれをとっても我ながら非の打ち所の無い誘いが出来た。ここまで上手に誘えたことはなかった。幸運なことにBも「ちょうどそれに行きたいと思ってたけれど、誰かと行く予定はない」という都合の良すぎる状態だった。
それから実際にイベントを見に行き、夕食を食べ、もとから外見・内面・振る舞い全てAよりBの方が好みだったのだが、相性もBの方がぴったりくるなと感じた。
この3ヶ月の間で5人の女の子と合計10回デートに行って思ったことだが、2人きりでデートに行ったときに感じたことは嘘をつかない。どんなによさげに見えても「2人きり」がつまらなかったらその関係性に未来はないし、2人きりが楽しいということは何よりも大きな事実となってくる。

まだAとの2人きりを経験してない段階で、私の中で「本命-対抗」は逆転した。
Bを本命に据えて、本命だったAが対抗となる。

そして10月。Aとの、おそらく一生でもう二度と無い「2人きり」は、とても楽しかった。
でもそれはライブが楽しかったのであって、「2人きり」が楽しかったわけではない。
Aのことを意識していた期間というのはかなり短いものだったけれど、しかしそれでも、2人の間に約束(予定)がある状態が終わる、3ヶ月間の「契約が切れる」というのは、恐ろしく寂しかった。この子との思い出が、この日で終わってしまう淋しさや、相手の思い出から自分という存在が注意深く疎外される予感があり、もし私がAのことを(まだ)好きだったならば、とても辛かっただろう。いずれ詳しく書いて記事にしたい。

昨日がBとの2度目のデート。夕食→映画→居酒屋、という流れ。
前回の反省だった「自分から話題を振る」「相手の子の面白さをもっと引き出す」「褒める」の3点も全部こなせたし、正直3度目のデートは絶対に断られない自信があった(実は2度目の映画デートを誘うときはだいぶ日和った)。

唯一残念かなと思ったのは、映画がそこまで楽しくなかったことである。

***

勝負は今回の2度目のデートだと思っていた。
3度目のそれで、その結果を相手に問う。

二人だけの国・後日談

二人だけの国(http://metroaqua.blog52.fc2.com/blog-entry-961.html

それで昨日、彼氏(後輩)と二人になったときに、「2人がいちゃついてるのを見ると、ここに居ちゃいけないなって感じる」ということを伝えた。本来なら、「じゃあ2人にどうして欲しいのか」ということもセットでお願いすべきなのだろうが、自分自身それを分かっているわけではなかった。無論別れて欲しいわけじゃない、身体的な接触をやめて欲しいのか、やめて欲しいとしたらどこまでならOKなのか、みたいなことすら自分で把握していなかった。

見切り発車でこういうことを伝えたら、後輩は何そんなへこんでるんですかみたいな風に笑って、「でも、先輩の前だといちゃつきたくなるんですよねー」と言った。私は心の底からこの後輩を可愛いなと思った。彼らの関係は「公認」されてはいないのだ。こんな幸せな関係を誰にも言えない、でも誰かに見て欲しいというもどかしさや欲求はとっても理解できるし、ただ1人だけ事実も文脈も知っている私の前ではせめて、という気持ちはよく分かるし、多分「わざと」いちゃついてるんだろうなということもうすうす感づいていた。

器が小さいのは自分でも分かってて、それを言ってしまったことに対する淡い自己嫌悪も今はあるが、何も感じていないように偽ってふるまうのは後々必ずこじれる原因となるだろうと考えたので、自分の気持ちを伝えることが出来たのはよかった。この手の状況では、自分の欲求が通るかどうかということはあまり本質的な問題ではなくて、むしろ自分の欲求を伝えられるかどうかが重要だったりするかもしれない。

わざとやってるなら、それは可愛いなと思えるし、自分の気持ちも伝えられてなおかつその気持ちに応えてくれるということも約束してくれた。

蛇足だが、自分の欲求をスマートに角が立たないようにして伝えたり通したりする習慣や技術はちゃんと身につけておかなければならないと感じた。

琴瑟

妹と、妹の彼氏が東京に2泊3日で遊びに来た。
兄たる私は2人のせっかくの旅行を邪魔しちゃ悪いなと思い、また例のごとく2人の世界に相伴するのも気まずそうだとも思ったので、どこかでちょっと落ち合ってお茶できればそれでいいやと考えていたのだが、「せっかくだし3人で遊ぼうよ、私たちもう4年近くも付き合ってるし、『2人きり』という状況にはこだわらないよ。3人で遊んだ方が楽しい」とお二方ともが言ってくれたので、2泊3日付きっきりで私も一緒に遊ぶことにした。

妹の彼氏とは既に面識があり、何度か会話を交わしたこともあったが、こうしてまとまった時間ずっと一緒にいるというのは初めてであった。私とは真逆のタイプの人間であり、良い人だとは知っていながら最初はやはり緊張したが、とても面白く、気が利いて、純朴なスポーツマンだった。私とは何一つ競合するところがない。そして私はすぐに彼のことを気に入ったし、彼もすぐに私のことを気に入ってくれたようである。

2泊3日は実に実に充実した日々だった。とても疲れたし、とても笑ったし、とても楽しかった。
2人と別れるのはとても寂しかった。最初の杞憂はどこへやら、である。
羽田空港で飛行機を待っている間、ふたりが「やっぱり、3人で遊べて良かった」と言ってくれたのが、私は本当に嬉しかった。そして、冬に私が帰省したときにまた3人で遊ぶ約束を交わした。

さらりと記したが、「3人で遊んだ方が楽しい」という、妹とその彼氏の台詞は、その関係が本物でなければきっと言えない言葉である。そして私は2泊3日という時間のなかで、1秒たりとも気まずさを感じることはなかった。ふたりの関係は掛け値無しの本物であった。互いが互いを愛し、知悉し、それなりの時間に裏打ちされた信頼を築き上げていた。だからこそ、私はそこに居ないように振る舞うことも、居なければ成立しないように振る舞うことも許されていた。それがどんなにかけがえのないものであるかを、今の私は知っている。

もう一つすごいなと感じたのは、互いが互いのためにSNSを辞めたことである。
facebookで近況を知り合えることで、互いに嫉妬し、喧嘩の火種になったから辞めたのだそうだ。
互いの極めて強い独占欲や嫉妬心のために、今の世代にとって非常に重要なツールをも捨てるというのは、そうそう出来ることではない。

2人の関係に心底惚れ惚れしつつ、しかし、軽い畏怖のようなものを覚えたこともまた事実である。
本物の関係とはここまで見事なものなのかということを目の当たりにして、ちょっと感覚が狂ってしまったような気がする。
きっと、「好きなのかなぁ、どうなのかなぁ」と思ってる時点で、もうそれは違うのだろう。
もっと自分の好みにこだわってみるのもありなのかもしれない。

二人だけの国

ここのところずっと、妙にもやもやしていて、何でなんだろうと考えていたのだけれど、その理由がこの数日間でするすると解けていった。今回はその2つある理由のうちの1つについて書く。

私には日頃良くつるんでくれる友達がいる。一人は男であり、一人は女である。
単純に仲がよく、色々遊びに行くだけではなく、互いに深いレベルでの悩み事の相談もするし、信頼関係も強いと自負している。

二人はかつて、付き合うかどうかという状況にあったのだが、色々あって破談になった。
そのときの二人がそれぞれどんな感情を抱いていたかということを、私は知っている。
女には彼氏ができ、男にもやがて彼女が出来た。
そうして二人は「良い友達」という枠組みの中におさまった。

ずっと「良い友達」だった二人は、しかしいつからか互いに恋愛感情を抱くようになっていた。
私は二人の気持ちを知っているただ一人の人間として、絶対にこの二人を結びつけたいと考え、それぞれに色々なことを言い、そして互いが互いにどう思っているかということも個別に告げた。

二人はそれぞれの恋人と別れ、めでたく付き合うこととなった。

私が何をしても、あるいは何もしなくても、二人は付き合うことになっていただろう。しかし少なからず私の影響で、それぞれの恋人だった人たちは突然に不幸に突き落とされることになったということ。
そして、3人一組で友達として成立していた関係は、そのうちの2人が恋人関係となることによって、否応なしに少なからず変わってしまうだろうということ。
この2つのことはあらかじめ予見していたことだったけれど、私は2人に(一瞬にしても、この先ずっとにしても)幸せになってほしかったし、その爆発的な幸せを作れる立場に他ならぬ自分がいることが嬉しかったので、2人を結びつける方向に動いた。
そしてその選択は間違っていなかったと思う。

今でも3人でよくつるんでいるが、しかし、やはり、この関係性は大きく変わったと言わざるを得ない。
わけあって2人の恋人関係は公にされておらず、この集団の中では私だけが知っている。
だから彼らは同じ組織の中にいるときは、あくまでも友達関係を偽装して接しているが、私と3人で居るときは、その偽装を解除して、恋人として振る舞っている。

そんなとき、私は単純に、途轍もない居心地の悪さを感じてしまうのだ。

2人は私のことを信頼してくれているし、私は恋人関係としての2人を応援している。
私はこの2人だけの世界に(限定的に)相伴することを許されている唯一の存在である。

だがそれでも、単純ないたたまれなさは拭えない。
2人が手を繋いでいたり、肉体関係を匂わせるような冗談を飛ばし合ったりしているのを見ると、目を背けたくなる。
見てはいけないものを見せられているような気分になってくる。何故かは分からない。そこにいるだけで2人の邪魔をしているような気分になるからであろうか。2人の過去のことをそれぞれ知悉しすぎているからであろうか。訳も分からず別れを告げられた人たちのことを思い出すからであろうか。それとも、この2人の"関係"は私にとってはあまりにリアルすぎるからであろうか。
(ことわっておくが、私はこの女の子にたいして恋愛感情を抱いたことはない。)

私が勝手に結びつけようと望んでそうしたのだから、いまさら2人にこんなもやもやを伝えることは出来ない。
だから私が執れる唯一の方策は、2人(1人1人からではなく、2人一組)からゆっくりと距離を取ることだけである。


ともあれ、私がいるときは、せめて友達として振る舞ってほしいな。

2つの月

平成19年5月9日の日記

…でも一貫して「好きな人」に通じているのは、――といってもみんなにあるんだろうけど――心の中で、どこか孤立した(孤独ではなく)感覚?観念?を持ち合わせているということだろう。どこかで溶け合えない。90%、みんなと一緒の考えを持ち、とけこんでいるが、ある一面では、到底相容れない何かがある。ぼくの場合、好きな人みんなに見出してきたし、それを「解いて」みたいという感覚をもったものだ。その虚しさを、好きな人と共有できたら、それも最高の関係だろう。…




高校の同級生2人と遊んだ。
1人は親友と呼ぶべき存在である。
もう1人の子は女性である。

その子と会うのは、5年半ぶりである。
実に素直で、喋りやすい人である。
そして途轍もなく頭が良かった。
彼女の存在は、私が東大を目指すことになった、唯一無二の「きっかけ」であった。


つまりその子は私にとって、良き友達であり、高い憧れであり、打倒すべき壁であった。
そして、私の半生を通して最も長く、強く好きだった子である。


受験を間近にして、私はある秋の日、突然彼女に想いを打ち明けた。
高校生である。手順など知らないし、そういうものがあることさえも知らなかった。今も幼いけれど、当時はもっと幼かった。
その想いは拒まれてしまったけど、気まずさを感じながらも決して関係が悪化してはいなかった。

それがあるとき、ふと私が全くその子と話さなくなり、そうして彼女も私と話そうとはしなくなった。
当時は2人とも18歳。
互いに完全無視を決め込んだまま、その稀有な関係は自然消滅してしまった。


それから5年半という月日が経ったのである。

彼女は1浪して(現役で彼女が落ちたことは大波乱だった)東大に合格し、東京で暮らし、社会人になった。

私は3浪して東大に通らず、別の大学に進学し、未だに大学生をやっている。
他に猛烈に好きな子が1人出来たけど、結果は惨憺たるものに終わってしまった。

就職で地元に帰ることがそれなりに現実味を帯びてきて、またその好きな子を諦める必要性も感じていて、それで共通の友人(ちなみに彼も東大卒である。恐ろしい)を介して、彼女と3人で会うことになったのであった。


会うことが決まってからは特に緊張することもなく、ひたすらわくわくしていたのだが、待ち合わせ場所に向かっているときは流石に緊張した。

彼女が変な方向に変わっていたらどうしようか?
彼女は私と喋ってくれるだろうか?
私は彼女とうまく話せるだろうか?

お互い、18歳の頃の相手しか知らない。
そのまま時が止まっていて、成人して、それなりにいろいろな経験を積んできて、鹿児島とはかけ離れた場所で、24歳にしてついに再会する。
それに、大袈裟でもなんでもなく、まさに今の私の人生を規定してしまっているほどの存在なのである。

***

私が駅の改札を出て、真っ直ぐ歩いていったら、彼女の後ろ姿が見えた。
「わー!久しぶり!」と言われた。

第一印象は、「こんな声だったっけ?こんな喋り方だったっけ?」というものだった。
服装は、とても昔からは想像出来ないほど(失礼)垢抜けていて、でも方向性は彼女に似合っていた。
そしてもちろん、化粧も覚えていた。

最初は居酒屋、そのあとカラオケに行った。
互いに互いの距離感を思い出そうと探り探り、しかし楽しく喋ることが出来た。

5年半前、心にずっと抱いていた、何を犠牲にしてでも叶えたいと思っていた憧れは、まさに数年の歳月を経て叶ったのであった。夜の東京の街を歩く、カラオケで一緒に歌を歌う、…。

そういえば、全く意図してなかったけれど、ちょうどぴったり6年半前、私は彼女に告白したらしい。
6年半前の自分は、この子のことを死ぬほど好きだったんだよなぁと、不思議な気分だった。
甘んじて自身の人生を規定させるくらい、好きだったのだ。

時間が過ぎるのが早くて、もっとこうしていたいなぁと思ったけどそうもいかない。
連絡先を手に入れて、隣駅まで散歩して、また飲もうねといって別れた。


2人とも大人になったんだなあと思った。


***



「可能性」があるかどうかは半々くらいだろうか。次に2人で会ってみないことには分からない。
再会を果たしたこの日すぐに昔の気持ちを思いだした、とは到底言えないし、もし付き合えたとしても、6年前の自分の感情とのギャップに苦しむかもしれない。
ただし、好きになれる可能性は充分に感じたし、より「仲良く」なれる可能性も感じた。

まさかの再挑戦があるのかもしれない。

ともあれその「可能性」云々の話をぬきにしても、この日は相当に自分にとって意義深い1日だったと言えるだろう。
人生屈指の重要な関係を復活させたという、まさにそのことに意味があったからである。



そういえば私が今嵌ってるマンガ、『悪の華』も『おやすみプンプン』も、今好きな子と昔好きだった子が主人公の中に2つながら存在していて、まさに今の自分の状況に符合していて、それもまた驚きである。


行きません。

どんなに惨めでも、ショックでも、それは大した問題じゃない。けれど、


「ああ、この子が不幸になればいいのに」

一瞬でもそう感じてしまったことが、私にとっては底冷えするくらい悲しかった。

彼女が欲しい

数年ぶりに好きな人が出来て、その子を彼女にする方法が全く分からなくて、ここ数ヶ月は「なぜ自分にはその子を彼女に出来なかったのか」という疑問をまず考え、だんだんとそこからシフトして、「そもそもなぜ自分には彼女が出来ないのか?」ということをずっと考えていた。ここでは後者について、自分が考えたり他人から聞いたりしたことを書いていきたい。

あくまで自分用なので、続きは追記に記した。


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じゃあ、何故

このブログが始まって4年半経つが、この手の話題の記事は初めてだろうと思う。
気が向いたら勝手に消すかもしれない。


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