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きざはし

将棋ウォーズで初段になった。

自分の中では、(あくまで素人の感覚だが)近い将来にブレイクスルーが起こりそうな手応えがある。しかしそのブレイクスルーを迎える前に、初段に昇段することができた。ここまでの軌跡を振り返ってみるに、じわじわゆっくり実力が伸びていっているように思う。もっと頑張ったらドカンと強くなれるかもしれない。

昇段できた一番の要因は、原始棒銀の受け方を練習したことかもしれない(次点で5手詰の詰将棋)。

将棋の強さ

私はそれに割いている時間の割には、将棋がクソ雑魚なのだが、折に触れて「将棋が強いとはどういうことなのだろう?」と考える。たとえば羽生善治や藤井聡太と私とでは何が違うのだろう?という破滅的にアホな問いはさておき(もちろん何もかもが違いすぎる)、自分より少しだけ・しかし確実に強い人間と、私との間には、どのような差異があるのだろう。

たとえば長手数の詰将棋が解ける力だろうか。あるいは定跡についての知識が豊富であることだろうか。手筋をたくさん知っていると強いのだろうか。無論、それらは部分的には正しい答えである。では、どうしてこれらのことが「強い」ということに繋がっていくのだろうか?

私も十全な答えを用意しているわけではないが、将棋が強いということの一つとして挙げられるのは、次に指す手が「見える」ということなのだと思う。と書いてしまうと我ながらそんなの当たり前だろという感じであるが、「将棋が強くなるにはどうしたらいいのか」という問いを、「強い人はなぜ次に指すべき手が見えるのか」というところから考えると、答えが導きやすくなりそうだ。

①知っているから見える
②一度に多くのパターンを想起できる能力があるから見える
③体調がよく頭がスッキリしているから見える
(④思考経験の積み重ねに由来する直感を持っているから見える――これは本当に強い人たち限定の概念なので除外する)

①②④は相互にリンクしているが、分けるとすればこんな風に分けられるだろう。③は無視できる。
①は知識の話で、②は能力の話である。①を鍛えるには定跡や、棋譜をソフトにかけて手を教えてもらったりということが、そして②を鍛えるには詰将棋などで脳内で駒を動かす練習をするということが考えられる。詰将棋は部活のランニングのような、「練習するための基礎体力向上」という意味合いも強い。

「手持ちの情報量」×「基礎能力」=見える力≒強さ、という図式化も出来そうだし、これは将棋に限らずあらゆる分野でも一般化できる法則だと思う。

余談だが、将棋ソフトの登場というのは「趣味勢」にとっても本当に革命的で、プロ棋士を越える知能に指し手を聞くことが出来るというのはとんでもなくすごいことだ。それがいい手なのか悪い手なのか、局面はどのくらい有利/不利なのか、この局面ではどう応手すればいいのか、それらのことを自分より圧倒的に強い知能にいつでも聞けるなんて、強くなるために利用しない手はないよなぁとつくづく思う。


遊戯王の思い出2

遊戯王の思い出は、今はもう全く付き合いのない友人たちとの記憶がメインだが、家族の思い出とも密接に関わっている。1999年のクリスマスに私が頼んだのは「スターターボックス」という、構築済みデッキと関連グッズがセットになった商品だった。未開封だったら今どれほどのプレミアがついているだろうか?
 そのスターターボックスの目玉は何といっても『青眼の白龍』(ブルーアイズ)だろう。スーガを優に越える攻撃力3000もさることながら、デザインが滅茶苦茶かっこいい。
 初期デザインのブルーアイズは今もマニアにとっては大人気で、やはりよく見ると強そうというよりは可愛いのだが、それを踏まえても私は他のファンと同様カッコイイと感じる。初期の人気カードはそれからもたびたびデザインを変えて再録されているが、初期のカードは初期のデザインに限るのである。
 夜半を過ぎて目が覚めて、枕元にスターターボックスがあることに気づいて、私は飛び起きて夢中で封を破った。オレンジ色の豆電球の弱い灯りの下で、当時からド近眼だった私は必死に顔を近づけてブルーアイズを眺めた。ホイル加工された表面が虹色に光るのを飽かずに眺めていた。そうして朝が待ち遠しくて仕方なかった。・・・そのときのことは今でもはっきりと思い出せる、譬えん方ない悪い甘さだ。
 サンタの正体が父と母だったことを知ったのは、その年が明けてすぐのことだった。

***
 
 遊戯王カードは(おととい通販で買ったもの以外は)全て手元から失せてしまった。ホルダーはいつの間にか無くなっていたし(何かに紛れて捨ててしまったのか、はたまた盗まれたのか)、初期のカードは交換したりあげたりして友達のモノになった。思い出深いカードはだいたいどのタイミングで失せてしまったか思い出せるが、しかしブルーアイズだけは、どうして無くなってしまったのか思い出せない。

遊戯王の思い出

 私が小学生で、まだ島に住んでいた時の話である。当時仲の良かった友達、おそらく3人くらいだったと思うが、彼らに誘われて遊戯王を始めることになった。弟が生まれた年の、1999年のことで、そのとき売られていたパックはvol.5と銘打たれていた。離島の子供達の間で流行りだすころには、既に第五弾まで出ていたということだろう。3人で、島で唯一のスーパー(と呼ぶのも憚られる規模だが)の2階に行き、450円で3パックを買い、1階に置いてある小さな円卓で開封した。
 パックを2つ開封した時点では、「当たり」と呼べるようなカードは出てこなかった。3つ目のパックにも「当たり」が入っていなかったら、ここまで遊戯王に魅了される少年時代をおくることはなかったであろう。しかし、3パック目のカードの5枚目が青く光るのがちらりと見えたとき、私の胸は異様に高まった――と同時に、周りの友達がわっと歓声を上げた。
 「おい、初めて買ってスーパーレアって、すげー!」
私が当てたのは『水魔神―スーガ』という、当時はけっこう強いカードであった。水魔神という名前らしく全身が青色で、デカデカと漢字一文字「水」と書かれた、一円玉の形をした神獣鏡みたいなものを額に掲げ、威嚇するように開けられた口の中には緑色の飴みたいなものが入っている。要するに、今になって考えればなかなか独特なイラストなのだが、私は一発でスーガの虜にされてしまった。
 友達の前でレアカードを当てたのも誇らしかったし(そういえば、2番目に当てたのは『心変わり』というウルトラレアだった)、それからカードを対戦できるくらいまで集めてスーガを主力選手として使ったというのもあるが、何といっても私はスーガの光りに惹かれていた。スーパーレアより上位のレアカードは原則として絵が光る。今でもときどきカードケースを持ってきて、スーガを眺めてみることがあるが、そのたびに離島に住んでいた頃の思い出がよみがえってくる。一緒に対戦した同級生の顔だったり、ときどき猫が出入りするくらいのどかなスーパーのこぢんまりとした円卓の風景なども。

歯車

芥川龍之介が見た「歯車」は、ちょうど幽霊やUFOや精神病患者の幻覚・幻聴などと同じように、知覚できる人には当たり前のように知覚できるし、できない人にとっては当たり前のようにできない。

はじまり

ボウリングと卓球でへとへとになるまで遊び、眠気を堪えながら焼肉を食べおえた私達は、国道を跨ぐ信号が青になるのを待っていた。

「明日起きたら絶対筋肉痛だ」と、27歳の彼女は笑い、
「明日来るならまだ若いってことだ」とうそぶく私は28歳になったばかりだった。

梅雨の予行演習のように朝から降りしきっていた雨は、焼肉店を出る頃ぱたりと止んだ。二人とも傘は持ってきていなかった。
信号が青になるまでのつかの間の時間で、彼女は自身が私に与えた第一印象のことについて話した。それは今にして思えば、彼女の心の核を伺わせるような吐露だった。やがて信号が青になった。私達は歩き始めた。

この交差点から電停(路面電車が停留する、駅のようなところ)までは、前回会ったときにも歩いたが、そこそこの距離があった。都会を離れてしばらく経って、すっかり歩く習慣を忘れた私にとっては、もし一人で歩くのであれば、割と苦痛に感じるくらいの距離だ。前回歩いた時はまだ外も明るくて、公園では小学生くらいの子供たちが楽しそうにボールを追いかける喧噪があった。私達と同じように歩いている人もいた。そして今日は既に夜で、この住宅街全体が早い眠りに就いているように静かだった。街灯は淡く路面を照らしていた。私は一瞬、この辺りで起きているのは二人だけのような錯覚に囚われた。そしてこの世界にある光が、街灯と自動販売機の蛍光灯と、遠い稜線を雲間から照らす青白い月だけしかないような感覚になった。

彼女はとてもゆっくり歩いた。私も歩調を合わせて歩いた。職場でみせるような俊敏な歩き方とはまるで違うなぁと思った。
「僕はあなたのことが好きになったんだけど」と私は言った。「あなたは僕のこと、どう思っているの」

――

彼女は小声で返事をした。私はわざと、いつもの冗談のように「なんて?」と聞き返した。彼女はくつくつと笑い出した。踏切を渡らずに私達はもと来た道を引き返して、またゆっくりと歩き始めた。本格的な南国の梅雨が始まる直前の、平成最後の春の宵だった。ふと顔を上げて遠くを見ると、国道と港湾地帯の間のささやかな街の光が、雪のように瞬いているのだった。

海淵

日常生活をおくる中でそれを自覚することは滅多にないのだが、何か極めて深い思考を必要とする(はずの)出来事にたまたま立ち会ったとき、自分の考えが極めて浅い段階で停止している――しかも、それが当たり前になっているということに気づかされる。

去年から今年にかけて、私は幸運にもこれまでにないほど多くの課題をクリアした。
これまで思い悩み、「呪い」とまで位置づけたような領域のことにおいても、実に大きな達成があった。
それらをクリアする最大の原動力となったのが、具体性であり、行動であった。ときには思考を切り飛ばすことが、何かを得る上では大切なのだと感じる場面も多くあった。

しかしながら、行動を重視するということがそのまま思考を軽視することに繋がっていたのかもしれないなと思うことが最近では増えてきたように思う。もちろん原因はそれだけではない。一時的な睡眠不足や、加齢を起因とする感性の摩耗もあるだろう。ただ、「それまでの、過去の陰の自分」を否定するあまり、端的に言えば何かを深く考える習慣を失ってしまい、しかもそのことに危機感を覚えすらしなくなっている。


浪人時代の予備校の課題で、ひとまとまりの文章を一週間かけて要約するというものがあった。
その課題を出す講師は「一週間かけて、じっくり、必死で考えろ」と言っていた。そう言われても、当時は漫然とその課題に取り組んでいたが、今にして思えば実に効果的な鍛錬である。

この前、ある文章を要約してみて気づいたが、何かの文章を要約するためは、深く深くその文章を読まなければならない。読みの深度を深め、より正確にその主張を理解し、主張の強弱を端的に反映させる。これらが三位一体となって、文章を「読む」能力を飛躍的に向上させる。そして、ただ読む力がつくだけでなく、より深い次元で思考を展開する能力や、集中して思考を継続できる能力がつくのである。

私の場合は、日本語で思考しているので、日本語の文章を読んだり書いたりすることがそのまま思考の強化に直結するのだと思う。


最近は仕事帰りに机に向かって、「試験の時のように」本を読んだり、詰将棋を解いたりしている(もっとも、詰将棋は「将棋語」を鍛えるものであり、むろん「将棋語」は日本語との互換性が無いのだが)。あるいは漢検の勉強もしている。頭を多角的に鍛える習慣を再びつけなおして、何かを考える深度を深くすることは、単に日常生活を豊かにする以上の意味が自分にとってはあるのではないかと考えている。


妖lunaクリア

妖々夢lunaticをクリアした。とてもうれしい。
4面のパターン化とか全然甘かったけど、まあよしとしよう。
それにしても、ボム無くなってから気合い避けしている時間が一番アツいですよね。

永lunaクリアから8年。
いつか取り組もうと思っていたら、こんな時間が経ってしまっていた。
8年越しの夢が叶ったぞ。

門司を見に

夜勤時の思いつきで、青春18切符で旅に出ることにした。
各駅停車でひたすら北上して、北九州あたりで一泊し、次の日に帰宅するという簡単な旅程を考えた。

しかし当日になっても、20代前半のころよく経験したような旅の前の高揚感はまるで無かった。
ここに至って切符代を出すことに最後まで躊躇している自分にも半ばがっかりしていた。しかし一旦電車に乗り込んでしまえば、あとは旅情が私を支配するだろうと考え、切符を買った。

駅で「なのはな号」を待つ間、ここ数年で急速に開けてきた町並みを眺めていた。私の職場や、いつも通っているスーパーや、近所の学校が見えた。その時、ここには1つ1つの宇宙が瞬いていて、全く関係のない銀河系どうしがチャネルによって繋がっているのだという、不思議な想念が私に訪れた。地表と宇宙という区分が揺らぎ、自分が何か1つの巨大な営為の一部である(一部になった)という感覚。夜勤明けで疲れた頭が戯れに思い描くデタラメのような概念に、ほんの数分だけ私は虜になった。
そのチャネルは相互の努力によって築かれ、その「無数さ」に私は畏怖を覚えた。

…「なのはな号」に乗り、旅が始まっても、気分が乗ってくることはなかった。
2回の乗り継ぎを経て、県境を越えても、変わらない。これには本当にびっくりした。
楽しみにしていたスイッチバックも、球磨川の雄大な眺望も、そこまでの感興をそそらなかった。単調な車窓も、ジョイント音も、ただただ退屈なだけだった。もはや八代で引き返してしまおうか?――そんなことまで思ってしまった程である。

車中でウトウトしているうちに八代に着いた。
せっかくだから(何がせっかくなのか、もう全くわからなかったが)門司までは行ってしまおう、明日は新幹線で帰ればいいやと考え、鹿児島本線に乗り換えた。そこから門司までの間で、記すことはあまりない。旅情を焚きつけることはもうとっくにあきらめて、しかし充電が切れかけていたスマホをいじることも出来ず、ただひたすらに門司到着を待った。八代から門司までは本当に長かった。実際に時間もかなりかかり、福岡に入るころにはもう夜が近かった。

門司に着いたのは20時過ぎであった。
門司港レトロの風情を楽しもうかと思ったが、趣深かった門司港駅は駅舎が工事中で、外も風が冷たく、しばらく散策しても全く体があたたまってこないほどだった。夜の海は暗く、街灯もなんだか寒々しい。
散々だな、と私は思った。

どうしてここまで一人旅を楽しめなかったのか。
わくわくできるモノが少なくなり、わくわくできる時間がだんだん持続しなくなるというのは、これほどぞっとするものなのか。子供のころに周りの大人がよく適当な感じで、ある種の社交的文句みたく、「楽しいことないかなー」とか「若いうちは楽しいことばかりでいいねー」とか言っていた、あの軽い口調の裏には、こんな遅々とした絶望があったのだろうか。

生きることを考えていくと最後には、「生きているだけで正解なのだ」と思う。
しかし私は認めたくない。この無為な「鉄旅」と同じように、人生があまりに無為に過ぎていき、しかも「それでいい」というのは怖すぎる。
"どこかに「正しい生き方」があって、未だそれを探しきれていない"という方が、何倍も救いがあるような気がして、でもそれは間違っているんだろう。

その日は博多のネットカフェで朝の始発を待ち、明けて熊本までは各駅停車で戻った。
復興途上の熊本城を見てから、新幹線で鹿児島に帰った。


小説を書く

数年前から挑戦しては何度も頓挫している。
そもそも小説を書こうとする人は、どういう動機で書き始めるのだろう。単純に何かの物語を書きたいから、という場合もあれば、何かを解き明かしたいから、というパターンもあるかもしれない。
私自身はやっぱり、大仰なものでなくてもいいから何らかのテーマ性が欲しいと思う。
しかしそもそも私はどのようなテーマ性を問題に出来るのか、またそれを問題にしたいと思えるのか、そして仮にそれらがうまくいったとして、どのような結論を決めることが出来るのだろうか。
そもそもそのテーマにはあらかじめ答えを出してから小説を書くべきなのだろうか。とか色々とモヤモヤしてしまう。きっと私の好きな小説には、必ずと言っていいほど何らかのテーマが伏流しているからそう逡巡してしまうのだろう。やはり最初は、あえてテーマ性とか考えずに好き勝手書いてみるべきか。
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みかきもり

Author:みかきもり

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