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飛騨に住む

来週から数ヶ月ほど、飛騨高山に住むことになった。
こういうチャンスは滅多にないと思うので、とてもわくわくしている。
ただ本格的な豪雪地帯に住んだ経験がないので、南国生まれの身としては非常にビビっている。

飛騨高山といえば、小説・アニメ『氷菓』の舞台となった土地であり、今まで私が旅行してきた中では一番好きな場所である。このブログでも何個か高山についての記事を書いているくらいである。

倍音

東京での恋愛が「歌になる」のは何故なのか。
巷間に溢れるラブソングの数々は、東京を舞台にしたものが多いような気がする。
たとえば、里村での恋愛を題材にした歌なんか全然思いつかないし、地方都市での恋愛もあまり歌われていないような。地元の恋愛というのがメインで歌われるのは珍しく、歌われるとしたらそれは「美しい思い出」という文脈で、ということが多いように思う。偏見かもしれないが(もとい、偏見そのものだが)たいていの恋の唄は東京を舞台としている。

先週東京に旅行して、「こんだけ人が多かったら、知り合いとばったり会うなんてこと、ないよなぁ」とつくづく思った。たとえすれ違っていたとしても、いちいち人の顔を見ながら歩くなんてこともないから、気づく可能性も低い。
それから「東京では、もし恋人と別れたら(あるいは一夜限りの恋でも)、もう会うこともないんだ」と考えた。

実際はそんなことはない。東京でも意外と知り合いにばったり出くわすし、鹿児島でも全然会わなかったりするし、「ばったり出会う」ことはなくとも、何らかのイベントで顔を合わすこともありえるのだ。

それでも、……東京という街には、「もう二度と会えない」感を倍増させる妙な力があるよなぁと思う。

私はこういった「不可逆性」みたいなものを、どういうわけか夜景とか高速道路の面々と続く灯とか、そういう「光の点綴(てんてつ)」に見いだすことが多い。光の点綴を見るとき、私は一体何と「会えない」と感じているのだろう?

1人で居ること・2人で居ることを思うとき、私は同時に宇宙のことも思っている(そういえば、宇宙も光の点綴である)。
宇宙と「わたし・あなた」を同時に思い起こすことで、その存在が存在することと、それらの存在が繋がり合っていることの「途方もなさ」を思うのだ。離れたらもう会えない。ただ「お元気で」と祈るしかない。

東京という光の点綴で出来た街は、ときどきは冬風とともに、いつもは日常にかまけてそんなことを忘れている私に思い出させてくれる場所なのだろうな。

夕闇と光の点綴

心が強く揺り動かされる瞬間というのが、ときどき訪れる。そういうタイミングというのは、たとえば素数の出現頻度みたいに、年月を経るにつれて、その間隔が長くなっていく。そして素数が無限に存在するのと同じく、少年のように心が動く瞬間というのは、無限に用意されているのだろう。

昨日までの4日間、私は東京に滞在していた。アルバイト先の後輩どうしの結婚式に出席するためである。
実に1年3ヶ月ぶりの東京だった。
そこで、久し振りに心を強く揺さぶれるような出来事があった。
(ただ今回書きたいことは、その出来事についてではない。)

私は、そんな時には必ず、できるだけ早くそのときのことを「文章にする」ことにしている。
何が起こって、何を感じたのかということを。

「創作は衝動である。作りたいという衝動がないなら、創作には向いていない」というような言説をどこかで目にしたことがあるが本当にその通りだと思う。私がここ最近の文章について自分自身なんか納得いかないなぁと感じていた原因はきっとそこにあるのだろう。この東京滞在で、「絶対にこのことは書いておかねばならぬ」という強い衝動を久し振りに感じてみて、最近そんな衝動に突き動かされる経験は久しく無かったことに気づいた。

「強い気持ち」、たとえばすごく嬉しい・すごく悲しい、すごく寂しい、などといったもの(名前が与えられている代表的なものでいえば「コンプレックス」や「失恋」など)に向き合わざるを得ないとき、ある種の人々は「何かを(広い意味で)創作する」ものだと思う。ある人は音楽を作るだろう。ある人は絵を描くだろう。私の場合は一篇の文章を書く。そうして感情の証をどうにかして残そうとする。それはたとえば、スマホでは絶対に出来ないことだ。創作でなければ絶対に出来ないことなのだ。

創作の裏にはいつも、何かしらの強い衝動が前提とされている。人が音楽や小説や、映画や芸術全般といったものに惹かれるのは、その人の心が他者の衝動に呼応し、根源的に揺り動かされるからである。
私が今回感じたことはありきたりで別に特別じゃない、それでも私個人にとっては久しく忘れていた・とても大切なものだった。それを思い出せたのがとても嬉しかった。作った文章は推敲を重ねて、いつかここに上げたいと思っている。

漢検本番

漢字検定当日。
あくまで自己採点だが、合格したと思う。
勉強が甘かった故に解けなかったという問題が一問だけあった。通り一遍の勉強では解けないであろう問題をいくつか解けたのが嬉しかった。

入試とか国家試験のように、人生の帰趨を決しかねないような試験ではないけれど、それでも直前まで「やってきたことがもし報われなかったらどうしよう」という明瞭な怖さがあった。何も対策していないときは、お馴染みのあのぞわぞわした曖昧な、タタリ神みたいな怖さが襲ってくるものだが、今回は違った。不安に苛まれるのは同じだが、その不安ははっきりとした輪郭を持っていた。もし私が大学入試に「ちゃんと」向き合っていれば、10代の時点でこういうくっきりとした、いわば「健全な不安」をくぐり抜けることが出来ていたのだろう。20代の人生というのはかくして、10代で手に入れられなかったものをちまちま回収することで規定されている。(「人間は10代で手に入れられなかった者に一生固執する」と誰かが言っていたが、その通りだと思う。)

問題に関しては、副次的な意味や読みを問うものが多いように感じた。前回と同じように、今回も歴代屈指の難関回だったと思うが、対策としては参考書2冊(私は『カバー率』と『頻出度順』を使った)、そしてネットに落ちている問題をひたすら解く…くらいで充分だと感じた。『頻出度順』は明朝体だし意味も載ってないし許容字体も載ってないし、『カバー率』の方が圧倒的に便利だと思う。

漢字というジャンルそのものに関しては、知れば知るほど漢字、ひいては日本語のこと、全っ然知らないんだなぁとつくづく感じる(「知らない」というのは深い意味においてではなく、単純な意味において「知らない」ということである)。見たこともない漢字、聞いたこともない読みがまだまだ無数に存在していて、知識が増えれば増えるほど、その宇宙が加速度的に広がっていくのが感じられて、なんだか不思議な感覚だ。言語を覚えるということは、少なくともその数だけの概念の抽斗が増えるということだから、実際ここで起こる様々な出来事とそれらを結びつける作業も並行して出来ればいいかなと思っている。

読書の秋

すっかり肌寒くなり、何かを考えたり身体を動かしたりしたいという意欲が沸々と沸いてくるこの頃である。気候というものが如何にメンタルに作用してくるか、30を前にしてしみじみと実感する日々だ。

とはいっても、ここ半年~1年の間で、私はほとんど本を読んでいない。
私の中では「本をたくさん読む時期」と「本を全然読まない時期」というのが交互にあって、今は後者の時期だ。そしてそろそろ、本を読みたくなる季節が訪れるような気がする。

じっくり考えてみたい・調べてみたいテーマがいくつか手元にある。
「生活の方向性を考えたり、創作物に触れたりする上で、『無常観』という概念はおそらく外せないのではないか」
「漫然と過ごす時間を無意味に捉えがちな(女子大生的な?)価値観・人生観への対抗」
「『自分の理想や夢を求めて生きる』・『社会的模範的に生きる』という二大理想的人生は、私には不可能であるということ」

(社会的模範的に生きるというのは、定職に就き、結婚して、子供を育てて・・・という生き方を志向するということ(本当はもっと厳密に定義すべきだが)。上記2つの生き方は勿論、融合している場合もある。
私はこの2つの生き方を侮蔑しているわけではない。むしろ羨望の対象であり、漠然ながら私自身選びたかった・いつか選ぶことになるであろうと思っていた類のものである。そしてこの生き方が出来ないと見切るということは、王道の社会観や人間関係、ひいては自分の内的視線に対して、叛逆の火蓋を切ることを意味する)

漢字検定

今度の日曜日に漢字検定(準1級)があり、目下勉強中である。
前回は付け焼き刃程度の勉強でのぞみ、あえなく撃沈した。
点数的には合格点まで9点であり、数値上は惜しいように見えるが、個人的にはこの9点は「示唆的に」遠かった。

6月の試験終了後、会場からわざわざ遠くの駅まで歩きながら考えたのは、おそらく落ちたなぁということと、「漢検を受けるにあたって、私が本当に達成しなければならないことは何だったのか」ということだった。そりゃあ適当な勉強でもいつか受かるだけの力は流石にあるだろう、別に喉から手が出るほど欲しい資格でもないし、・・・だがそういうことではない。

目標の巨細にかかわらず、定められた期日に向かって、着実にやるべきことをこなすくらいの人間性が自分にあると証明したかった・すべきだったのではないか。
だから前回の試験が仮に受かっていたとしても、あまり嬉しくはなかっただろうなとは思う。こんな感じで結果が伴ったところで、何も証明できていないからである。

こういう記事を書いているということは、目前に迫った試験に際して、まあまあしっかり準備できたかなという手応えがあるということである。これで落ちたら笑うが。感覚としては、難しい回でも175点くらいは取れるだろう(漢検準1級の合格点は160点と言われている)。

以下は具体的に感じたことの羅列である。

①難しい漢字は怖くない。簡単な漢字が組み合わされた、見慣れない熟語が怖い。
「荏苒」とか「瀦水」「盈虚」といった、基本見たことのない漢字(で構成された熟語)は出題がパターン化できるので、覚えさえすれば確実に解ける(ただし1級は別である)。しかし、簡単な漢字のマイナーな組み合わせというのは、あまりにも数が膨大すぎて全て覚えるのは厳しく、類推するのも難しい。「食頃」「娘子」「串殺」「酸鼻」などなど。ここに挙げたのは受検者にとってはむしろ常識の範囲内であると思われる。

②「しんにょう」や「しょくへん」の扱い。
準1級からは「許容字体」という概念があり、たとえば「辻」のしんにょうは「二点しんにょう」と呼ばれているが、これは普通のしんにょう(「通」などの「一点しんにょう」)で書いても構わない。この概念に最初は戸惑った。今でも戸惑っている。

③どこの言語体系から飛んできたのかすら分からない系
姶い(みめよい)、淘る(よなげる)、優(わざおぎ)。でも「みめよい」は素敵な言葉だなぁと思った。「姶良」という地名があるが、これも関係しているのかもしれない。

④勘違いしてた系
見窄らしい(みすぼらしい)、子を「儲ける」、「刺」と「剌」が違う、など。

⑤逆に簡単な漢字が思い出せない。
これは暗記あるあるだと考えているのだが、一度に多くの事項を覚えると、一時的に既存の知識が引き出せなくなることがある。これは他の教科や将棋でも見られる現象で、私はこれを「暗記の副作用」と呼んでいる(というのは嘘で、今そう呼ぶことにした)。今朝の練習では「反る」と「駆ける」が書けなかった。覚えるタイミングと消化されるタイミングは違っている。

きざはし

将棋ウォーズで初段になった。

自分の中では、(あくまで素人の感覚だが)近い将来にブレイクスルーが起こりそうな手応えがある。しかしそのブレイクスルーを迎える前に、初段に昇段することができた。ここまでの軌跡を振り返ってみるに、じわじわゆっくり実力が伸びていっているように思う。もっと頑張ったらドカンと強くなれるかもしれない。

昇段できた一番の要因は、原始棒銀の受け方を練習したことかもしれない(次点で5手詰の詰将棋)。

将棋の強さ

私はそれに割いている時間の割には、将棋がクソ雑魚なのだが、折に触れて「将棋が強いとはどういうことなのだろう?」と考える。たとえば羽生善治や藤井聡太と私とでは何が違うのだろう?という破滅的にアホな問いはさておき(もちろん何もかもが違いすぎる)、自分より少しだけ・しかし確実に強い人間と、私との間には、どのような差異があるのだろう。

たとえば長手数の詰将棋が解ける力だろうか。あるいは定跡についての知識が豊富であることだろうか。手筋をたくさん知っていると強いのだろうか。無論、それらは部分的には正しい答えである。では、どうしてこれらのことが「強い」ということに繋がっていくのだろうか?

私も十全な答えを用意しているわけではないが、将棋が強いということの一つとして挙げられるのは、次に指す手が「見える」ということなのだと思う。と書いてしまうと我ながらそんなの当たり前だろという感じであるが、「将棋が強くなるにはどうしたらいいのか」という問いを、「強い人はなぜ次に指すべき手が見えるのか」というところから考えると、答えが導きやすくなりそうだ。

①知っているから見える
②一度に多くのパターンを想起できる能力があるから見える
③体調がよく頭がスッキリしているから見える
(④思考経験の積み重ねに由来する直感を持っているから見える――これは本当に強い人たち限定の概念なので除外する)

①②④は相互にリンクしているが、分けるとすればこんな風に分けられるだろう。③は無視できる。
①は知識の話で、②は能力の話である。①を鍛えるには定跡や、棋譜をソフトにかけて手を教えてもらったりということが、そして②を鍛えるには詰将棋などで脳内で駒を動かす練習をするということが考えられる。詰将棋は部活のランニングのような、「練習するための基礎体力向上」という意味合いも強い。

「手持ちの情報量」×「基礎能力」=見える力≒強さ、という図式化も出来そうだし、これは将棋に限らずあらゆる分野でも一般化できる法則だと思う。

余談だが、将棋ソフトの登場というのは「趣味勢」にとっても本当に革命的で、プロ棋士を越える知能に指し手を聞くことが出来るというのはとんでもなくすごいことだ。それがいい手なのか悪い手なのか、局面はどのくらい有利/不利なのか、この局面ではどう応手すればいいのか、それらのことを自分より圧倒的に強い知能にいつでも聞けるなんて、強くなるために利用しない手はないよなぁとつくづく思う。


遊戯王の思い出2

遊戯王の思い出は、今はもう全く付き合いのない友人たちとの記憶がメインだが、家族の思い出とも密接に関わっている。1999年のクリスマスに私が頼んだのは「スターターボックス」という、構築済みデッキと関連グッズがセットになった商品だった。未開封だったら今どれほどのプレミアがついているだろうか?
 そのスターターボックスの目玉は何といっても『青眼の白龍』(ブルーアイズ)だろう。スーガを優に越える攻撃力3000もさることながら、デザインが滅茶苦茶かっこいい。
 初期デザインのブルーアイズは今もマニアにとっては大人気で、やはりよく見ると強そうというよりは可愛いのだが、それを踏まえても私は他のファンと同様カッコイイと感じる。初期の人気カードはそれからもたびたびデザインを変えて再録されているが、初期のカードは初期のデザインに限るのである。
 夜半を過ぎて目が覚めて、枕元にスターターボックスがあることに気づいて、私は飛び起きて夢中で封を破った。オレンジ色の豆電球の弱い灯りの下で、当時からド近眼だった私は必死に顔を近づけてブルーアイズを眺めた。ホイル加工された表面が虹色に光るのを飽かずに眺めていた。そうして朝が待ち遠しくて仕方なかった。・・・そのときのことは今でもはっきりと思い出せる、譬えん方ない悪い甘さだ。
 サンタの正体が父と母だったことを知ったのは、その年が明けてすぐのことだった。

***
 
 遊戯王カードは(おととい通販で買ったもの以外は)全て手元から失せてしまった。ホルダーはいつの間にか無くなっていたし(何かに紛れて捨ててしまったのか、はたまた盗まれたのか)、初期のカードは交換したりあげたりして友達のモノになった。思い出深いカードはだいたいどのタイミングで失せてしまったか思い出せるが、しかしブルーアイズだけは、どうして無くなってしまったのか思い出せない。

遊戯王の思い出

 私が小学生で、まだ島に住んでいた時の話である。当時仲の良かった友達、おそらく3人くらいだったと思うが、彼らに誘われて遊戯王を始めることになった。弟が生まれた年の、1999年のことで、そのとき売られていたパックはvol.5と銘打たれていた。離島の子供達の間で流行りだすころには、既に第五弾まで出ていたということだろう。3人で、島で唯一のスーパー(と呼ぶのも憚られる規模だが)の2階に行き、450円で3パックを買い、1階に置いてある小さな円卓で開封した。
 パックを2つ開封した時点では、「当たり」と呼べるようなカードは出てこなかった。3つ目のパックにも「当たり」が入っていなかったら、ここまで遊戯王に魅了される少年時代をおくることはなかったであろう。しかし、3パック目のカードの5枚目が青く光るのがちらりと見えたとき、私の胸は異様に高まった――と同時に、周りの友達がわっと歓声を上げた。
 「おい、初めて買ってスーパーレアって、すげー!」
私が当てたのは『水魔神―スーガ』という、当時はけっこう強いカードであった。水魔神という名前らしく全身が青色で、デカデカと漢字一文字「水」と書かれた、一円玉の形をした神獣鏡みたいなものを額に掲げ、威嚇するように開けられた口の中には緑色の飴みたいなものが入っている。要するに、今になって考えればなかなか独特なイラストなのだが、私は一発でスーガの虜にされてしまった。
 友達の前でレアカードを当てたのも誇らしかったし(そういえば、2番目に当てたのは『心変わり』というウルトラレアだった)、それからカードを対戦できるくらいまで集めてスーガを主力選手として使ったというのもあるが、何といっても私はスーガの光りに惹かれていた。スーパーレアより上位のレアカードは原則として絵が光る。今でもときどきカードケースを持ってきて、スーガを眺めてみることがあるが、そのたびに離島に住んでいた頃の思い出がよみがえってくる。一緒に対戦した同級生の顔だったり、ときどき猫が出入りするくらいのどかなスーパーのこぢんまりとした円卓の風景なども。
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みかきもり

Author:みかきもり

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