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湯川内温泉

こんな時世なので東京や高山に行くことも出来ないので、原付で甑島を巡り、そのあと秘湯を訪れるという旅をしてきた。
甑島のことは特に書くこともないので割愛する(以前も触れたので)。
秘湯というのは出水市にある「湯川内温泉」という温泉であり、広域農道を延々とぶっ飛ばし、細い山道を辿っていった先にある。

先月の水害の影響もあり、細い山道は側面に転がった土砂のせいでなお細く、原付を運転する私の心までも細くなっていったが、そんな中で突然古びた、いや古び切った木造建築が出てきたときは感動した。令和においてもこのような、昭和が完全に生きているような場所が残っているものだなぁと思う。

温泉は(詳しくはググっていただきたいが)信じられないほどの透明さで、かすかに緑がかっており、浴槽の中には砂利と岩が転がっている。美しい湖沼をそのまま切り取ってきたような風情である。中は意外に深く、そしてこの猛暑にちょうどよいぬるさであった。セミや鳥やカジカガエルの鳴き声のるつぼの中で、生い茂る木々と夏空を眺めていると、この時間はまさに純度100%で自分のものなのだという感慨が沸き起こってきた。
自分の時間を、自分のためにだけ使っているという感覚が新しい。敷き詰められた砂利の隙間からはポコポコと泡があがってくる。湯から上がるのがこの上なく名残惜しかった。

聞けば豪雨の影響でつい先日に営業を再開したばかりで、二つある温泉のうちの一つは未だ使えないようだった。またここに訪れる理由ができた。完全な形での営業再開を心待ちに、今年後半も頑張っていこうと思う。

ベンチ

今年の目標だったベンチプレス80kg(1RM)をあっさり達成。かなりうれしい。
最近あまり肩に力が入らなくて停滞気味だったが、筋トレに限らず「停滞期にいかに現状をキープしていくか」は目下の最大のテーマだったので、それが功を奏した感じだろうか。

中島敦『李陵』を読む。モンゴルの、果てしのない砂漠地帯のことを想像しながら読んでいると、なんとも空虚な気持ちになってくる。最近はよく外国のことを考える。ソウルやロンドン、フロリダやスエズ運河、モルディブなどなど。私は「県外」というものをずっと意識しながら生きてきたが、「国外」を志向したことは全くといっていいほど無かったんだけどなぁ。

英語学習を初めてから半年が経つ。ほとんど毎日欠かすことなく続けられている。受験生時代は文法メインで語彙力をだいぶ軽視していたが、今思えば本当にもったいない。現在のところ、準一級レベルの語彙が殆ど仕上がっており、一級レベルの語彙に手を付けているというような段階だが、たとえば受験生のときには全く歯が立たなかった京大の英文も、比較的するすると(もちろん難しいが)読めるようになっていた(解けるとはいっていない)。

京大といえば、昔めちゃくちゃ英語の出来る友達が、他の生徒に「京大を目指しておきながら"sustain"も訳せないなんてありえない」といってブチ切れていたのを思い出す(実は私も知らなかったのだがその時は黙っていた/多義語だし多少は…ね?)。今更ながら私も彼の背中を追いかけているというようなところもある。

借り

コロナ禍のなかで、私も部屋に居ることが多くなった。とはいえ生粋のインドア派なので、今のところほとんど何らの欲求不満にも悩まされていない。部屋にトレーニングセットが(なぜか)あるので、それを使ってベンチプレスをしたり、もちろん英語の勉強も継続しており、そんなこんなで精神的にも身体的にも調子が抜群に良い。

私はアウトドアが決して苦手なわけではないが、むしろ好きでさえあるが、アウトドア的なことをするとある種の体力を削られる。インドア的行為もアウトドアと同じくらい好きだが、こちらは自分の生来の適性に合っているという感覚がある。インドアの自分は自然である。アウトドアの自分は楽しんでいるが、しっかり疲れもする。

世の中には、自分をリフレッシュする際、インドアでHPを回復する人間と、アウトドアでHPを回復する人間がいると聞いたことがあるが、後者の人間にとっては昨今の状況というのは本当にきついだろうなと思う。


***

仕事で受験に携わるようになって、自分の受験を思い出してみると、やはり色々なことが分かってくる。

私は大学受験で3浪して、結局第1志望でない大学にいくこととなった。色んな意味で「ちゃんと勉強しておけば」と思うことは今でもある。けれど、時間が限られているということを感覚として知っていて、体力を削って勉強している子供たちを見ていると、当時の私が受験で勝てる見込みなどあろうはずがないよなぁと思わされる。このブログは確か一浪目から始めているが、そのときの記事を読み返してみても、つくづくそれは自明だ。「すべりどめ」として入った大学も、今にして思えば、逆によく入れたよなぁ。明らかにチャレンジだった。ありがたく享受すべき結果であり、そこでの4年間はもっとありがたく過ごすべき時期であった。

そりゃあ「ちゃんと勉強しておけば」違った結果はあっただろう。しかし合格する人間は現役の3年間で必要な知識を身につけ、必要な練習をこなして、合格していくのだ。そして仮に結果が得られなかったとしても、切り替えて次のステージの勝負に向かうのだ。

私がその二倍の期間を与えられたにもかかわらず、必要な物事を身につけられなかったという事実は、未だに私の中で深いトラウマとして残ってもいるし、また深い示唆を与えてくれる大事な経験としても残っている。

そして、この感覚がどれだけ考えても道理に合わないということを踏まえた上で。
やはり私は、この借りは返さなくちゃいけないなと思っている。もちろんダイレクトな意味で。

TOEIC・宅建など

TOEICの結果が返ってきた。2ヶ月の準備期間と初見ということを踏まえて、なかなか良い点数だったのでまずはホッとした。

次のTOEICは9月の回を受検しようと考えているので、7ヶ月の準備期間がある。まだまだ伸ばせる余地があると思うので、頑張っていきたい。

また、これと並行して、10月には宅建の試験がある。これも先月末くらいから(こっそり)勉強を始めている。参考書を一週間ほど触ってみた感じでは、確かに範囲は広いが(他の難関試験と比べて)知識の解像度は極端に高くなくても大丈夫そう。公務員試験で民法をやっておいたのも大きなアドバンテージになりそうであり、250日あれば十分に勝算ありと判断した。

もうじき30歳になるが、ここにおいて勉強法そのものにまだまだ発掘されていない鉱脈がありそうだな、という感覚がある。高校受験以来いろいろな試験を受けてきて、今のやり方でそれなりに結果を出せていたので(出せなかったこともある。もちろん)勉強方法自体を問題ありとして考えたことはなかったが、もっと楽に・もっと高い結果を出せる方法がまだまだあるんじゃないか?と思い始めている。

例えば英語であれば音読、単語帳での回転率意識、宅建であれば全体を要点だけ押さえてから細部を埋めていくやり方(昔は細部を重ねていってから全体像を造り出していくような勉強法だった。これはこれで悪くはないけど)、寝る前の10分程度の復習、自宅以外の場所での勉強、などなど。逆にそれ今までやってなかったのかという感じだけど。

ただ結果を出すだけではなくて、今年はこれまで敬遠してきた色々なやり方を意欲的に試すことを意識していきたい。

TOEIC

(多分)初めて受検した。高校1年生の頃にそれっぽいテストを受けさせられたような記憶があるが、あれがTOEICだったか定かでない。2ヶ月前に一念発起し、それなりに真面目に勉強した。ほとんど初めてということで、今回は顔見せのつもりで、2回目を本番と位置づけて臨んだが、やはり勉強の成果を出したいという気持ちは強かった。

感想としては、120分間のうちで5秒たりとも集中を切らす余裕がないなぁということを一番感じた。それなりにいろいろな試験を経験してきたが、ここまで「集中の切れ」を許さないテストは初めてだった。語彙とかリスニング力というよりも、スタミナが(それらはほとんど同質と捉えられるとはいえ)一番の課題だなと思った。Part7はぶっつけで臨んだわりには良かったが、問題パターンをあらかじめ知っておけばもっと採れる気がした。次回は東京五輪あけの回を目指すつもりである。

えいご雑感

最近英語の勉強をやっていて思うことだが、読む文章のレベルがあがるにつれて、「文法的、語義的に瑕疵なく訳せている(はず)にもかかわらず、意味がうまくとれない」文に出会う確率が高くなる。

なぜそういう現象が起こるのか。日本語を読んでいるときの思考から類推してみるに、おそらく英語を読んでいるときには「文法的、語義的に瑕疵なく訳」すことで手一杯だからなのだろうという結論に至った。私達は日本語を読むときに、無意識に行間を埋めたり、その文章の要旨や背景を踏まえながら意味をとったりしつつ、つまり脳の余ったリソースを用いてその文章を補整しつつ(ある種、メタ的に)読んでいる。この「読む」はかなり高度な意味での「読む」である。(余談だが、多分この世にはもっと高度な「読む」もあると感じているが、私はそれが上手く出来ていないので、説明することができない)

なので今の「読む」を一段階上のレベルに引き上げるためには、結局今とやることは変わらない。もっと楽に、無意識に訳すことが出来るように色々なことを蓄積していくこと。そうして余ったリソースを高度な「読み」に割り当てること。

英語を「読む」ときに低次元での読みしか出来ていないことに気づいたということは、いちおうちゃんと勉強が出来ていることのしるしだろう。

韓国旅行

1泊2日で韓国に行ってきた。
初めての海外旅行だったので緊張したけれどなんとか無事に帰ってくることが出来た。
コンビニで買い物をしたとき、店員に韓国語で何かを問われ(袋いりますか、だったと思うが)「?」という顔をして、その瞬間店員に「あ、こいつ韓国語わからないんだ」という表情をされたのが印象的だった。外国に来ているんだなぁという実感を強く覚えた。

当たり前だが街中のものがハングル表記で、今のところハングルを何とか読める程度の語学力である私にとっては、それらを見ているだけで愉快だった。コンビニに鍵がついていたり、駅の真ん中に巨大な扇風機があったり(釜山駅だけか?)、細々した所での文化の違いが面白かった。

余燼

2018/10/23

昨日の結婚式の余韻がまだ色濃く残っていた。
たまたま安く予約できた東陽町のホテルに着いたのは16時を少し過ぎた頃だった。この数日のバタバタがようやく一段落し、あとはただ夜が明けたら羽田に向かい、飛行機に乗って地元に帰るだけだった。
 手配された部屋は広々としていて、大きな窓の向こうには遠く汐留のビル群が眺められた。早くも陽は落ちかかっており、地平線に茫洋と夕陽の余光が広がるほかは、濃い青が蒼然と空を占めかけていた。東京の夕暮れの速さが新鮮な驚きで、南国での暮らしが長くなったことに気づいた。
 それはほとんど2年ぶりに俯瞰で見る東京の景色だった。ベッドに腰掛け、ぼんやり窓の外を眺めているうちに、昨日のことがつらつらと思い出されてきた。……


 てっきり招待されていないと思っていた――そして仮にこの結婚式で会わなければ、一生会うことのないはずの――彼女の姿を会場内に見つけたとき、私は思わず声を漏らしそうになった。LINEのグループにも名を連ねておらず、話題にも上らなかった、ここに来るはずのなかった女性。急遽この式に招待されることが決まったのだろう。……式が始まるまでの間、他の懐かしい面々と言葉を交わしつつも、視界の端に瞥える彼女を意識しないわけにはいかなかった。

 式が終わって披露宴に移った。私の座る予定の円卓には7人の席が用意されていた。私から見て、かつてのアルバイト先での上司や先輩、同僚と後輩の席である。そして新郎新婦も、同じアルバイト先で知り合った。そうして(実に本当の意味での)紆余曲折を経つつも、2人は付き合うことになり、今日を迎えたのだ。
互いが互いに談笑しつつ、あるいは現況のことを話しつつも、私と彼女だけは不自然なくらい目も合わさず、挨拶すらもしなかった。しかしそんな不自然さは、この浮薄な歓待の雰囲気に紛れて目立たなかった。私は初めこそ驚いたものの、時間が経つにつれて妙な意識もなくなっていった。他の久し振りに会う友人と話したり、たびたび差し挟まれるスピーチやお手紙などのイベントを眺めたりしているうちに、いつしか気持ちは落ち着きを取り戻し、あの若かった2人が結婚したという感動が、そして私もそんな青春の末席に加えてもらっていたという感慨が、今更ながら素直に心に染みこんできた。本当にささやかな思い出、たとえば閉店後にラーメンをみんなで食べにいったとか、夜明け近くまで近隣の公園で話し込んだとか、そんな他愛もない話で、『ラ・ラ・ランド』のラストシーンのように目まぐるしく、当時の懐かしい思い出や当時抱いていた寂しさや楽しさがぐるぐると心に展開した。

披露宴がお開きとなり、2次会も20時前には終わった。かつて可愛い後輩だった新しい夫婦と、昔から変わらないような他愛のない冗談で笑いながら、「また遊ぼう」と言って別れた。同じく後輩で、私が上京して初めて好きになった女の子とは「元気でね」「またいつか」と言って、手を振って別れた。数年前、「ばいばいと手を振れる関係はとても素敵だ」とtwitterで呟いたのを、後から不意に思い出した。そして、猛烈に恋をしていた当時は、そういう関係では無かったことも思い出した。こういう関係がどれだけ希有なものなのかということを、今の私は痛いほど知っている。

残った5人の面子は有楽町駅に向かって歩いていた。銀座のメインストリートは洗練されきっていて、高年収とおぼしき人々がせわしく行き交っていた。私と上司は「富裕層って感じっすね」「うぜーなー」と言って笑っていた。披露宴での酔いは殆ど醒めて、すっかり肌寒い東京の夜風が気持ちよかった。お世辞にも清涼とは言えない、二酸化炭素や排気口の油分を孕んだような空気。私はこんな都会の空気を本当に愛していた。

――私、帰ります。

後ろから声が聞こえた。件の女性である。上京して2番目に好きになった女の子。今や大手企業に勤務し、二人目の恋人と付き合っているらしい。一緒に働いていたときの「おきゃん」な感じは鳴りを潜め、かつての強い東北訛りもだいぶ緩和されていた。彼女もこの2年で、他の人間と同じように、この街で酸いも甘いも数多く経験してきたのだろう。きっと人間的に大きく成長したに違いなかった。

「あれ、そっちから帰れるの?」「新橋まで歩いたほうが近いので」「またねー」「会社やめるなよ」「あははは」私を除く3人が口々に別れの挨拶や、挨拶替わりの冗談を彼女に言った。そして私はさようならも言わず、歩みを止めて振り返ることさえしなかった。彼女が帰っていく足音はもちろん、喧噪にまみれて聞こえなかった。……

――ビルに設置された赤い灯火の数々が、息づくように明滅していた。夥しい光の氾濫がそこにはあった。2年前、地元に帰る前日にも、同じような景色を眼前にして、同じようなことを感じていた。そしてこの「あはれ」にも似た感覚を、半年前に見た大阪の夜景では感じなかった理由に思い当たった。私が数年間この街でどうにかこうにか生活し、そんな中で多かれ少なかれ関係してきた人々が、今ここに見える光のどれかに寄り添って生きているのかもしれない――そんな幻想と言いきっていいくらいの思いが、神秘的な感慨となって、激しく情緒を揺らしているのだ。

私は彼女のことをずっと憎いと思っていると、自分で思いこんでいた。しかしほんの2年という月日が、その憎しみを全く過去の感情にしていたことに気づいた。再び記憶の展開が始まった。美しいピアノの旋律はそこにはない。瀟洒なジャズのBGMもない。恋愛という形を介さなければ、とても仲良くなれたはずの関係が、ボタンの掛け違いのように決定的に拗れてしまったこと。でもそれは全く仕方のないことだったのだ。今となっては、単純に運がなかっただけとしか言えない類のことなのだ。誰にもどうしようもできないこと、絶対的に時間をかけないと受け入れられないこと。しかしそういったことをなんとか潜りぬけることで、自分の価値観や感性は否応なく規定されていく。私の場合は、たまたまそれが彼女の存在そのものだった。ある面ではトラウマとして、ある面では反面教師として。そしてまたある面では、模範として。

そう考えていると、私は心のどこかで、一生のうちで一度だけは彼女に会っておきたいと思っていたに違いない……という不思議な感覚に陥った。今も互いに、忘れがたく・許しがたい記憶が根強く残っている、修復不能で不可逆的な関係。これから先は死ぬまで会うことはない。言葉を交わすことも、永久にない。

だからこそ、あなたにだけは、幸せであってほしいし、遠い都会の中でも強く生きていってほしい。私はそう願っている。
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みかきもり

Author:みかきもり

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