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韓国旅行

1泊2日で韓国に行ってきた。
初めての海外旅行だったので緊張したけれどなんとか無事に帰ってくることが出来た。
コンビニで買い物をしたとき、店員に韓国語で何かを問われ(袋いりますか、だったと思うが)「?」という顔をして、その瞬間店員に「あ、こいつ韓国語わからないんだ」という表情をされたのが印象的だった。外国に来ているんだなぁという実感を強く覚えた。

当たり前だが街中のものがハングル表記で、今のところハングルを何とか読める程度の語学力である私にとっては、それらを見ているだけで愉快だった。コンビニに鍵がついていたり、駅の真ん中に巨大な扇風機があったり(釜山駅だけか?)、細々した所での文化の違いが面白かった。

余燼

2018/10/23

昨日の結婚式の余韻がまだ色濃く残っていた。
たまたま安く予約できた東陽町のホテルに着いたのは16時を少し過ぎた頃だった。この数日のバタバタがようやく一段落し、あとはただ夜が明けたら羽田に向かい、飛行機に乗って地元に帰るだけだった。
 手配された部屋は広々としていて、大きな窓の向こうには遠く汐留のビル群が眺められた。早くも陽は落ちかかっており、地平線に茫洋と夕陽の余光が広がるほかは、濃い青が蒼然と空を占めかけていた。東京の夕暮れの速さが新鮮な驚きで、南国での暮らしが長くなったことに気づいた。
 それはほとんど2年ぶりに俯瞰で見る東京の景色だった。ベッドに腰掛け、ぼんやり窓の外を眺めているうちに、昨日のことがつらつらと思い出されてきた。……


 てっきり招待されていないと思っていた――そして仮にこの結婚式で会わなければ、一生会うことのないはずの――彼女の姿を会場内に見つけたとき、私は思わず声を漏らしそうになった。LINEのグループにも名を連ねておらず、話題にも上らなかった、ここに来るはずのなかった女性。急遽この式に招待されることが決まったのだろう。……式が始まるまでの間、他の懐かしい面々と言葉を交わしつつも、視界の端に瞥える彼女を意識しないわけにはいかなかった。

 式が終わって披露宴に移った。私の座る予定の円卓には7人の席が用意されていた。私から見て、かつてのアルバイト先での上司や先輩、同僚と後輩の席である。そして新郎新婦も、同じアルバイト先で知り合った。そうして(実に本当の意味での)紆余曲折を経つつも、2人は付き合うことになり、今日を迎えたのだ。
互いが互いに談笑しつつ、あるいは現況のことを話しつつも、私と彼女だけは不自然なくらい目も合わさず、挨拶すらもしなかった。しかしそんな不自然さは、この浮薄な歓待の雰囲気に紛れて目立たなかった。私は初めこそ驚いたものの、時間が経つにつれて妙な意識もなくなっていった。他の久し振りに会う友人と話したり、たびたび差し挟まれるスピーチやお手紙などのイベントを眺めたりしているうちに、いつしか気持ちは落ち着きを取り戻し、あの若かった2人が結婚したという感動が、そして私もそんな青春の末席に加えてもらっていたという感慨が、今更ながら素直に心に染みこんできた。本当にささやかな思い出、たとえば閉店後にラーメンをみんなで食べにいったとか、夜明け近くまで近隣の公園で話し込んだとか、そんな他愛もない話で、『ラ・ラ・ランド』のラストシーンのように目まぐるしく、当時の懐かしい思い出や当時抱いていた寂しさや楽しさがぐるぐると心に展開した。

披露宴がお開きとなり、2次会も20時前には終わった。かつて可愛い後輩だった新しい夫婦と、昔から変わらないような他愛のない冗談で笑いながら、「また遊ぼう」と言って別れた。同じく後輩で、私が上京して初めて好きになった女の子とは「元気でね」「またいつか」と言って、手を振って別れた。数年前、「ばいばいと手を振れる関係はとても素敵だ」とtwitterで呟いたのを、後から不意に思い出した。そして、猛烈に恋をしていた当時は、そういう関係では無かったことも思い出した。こういう関係がどれだけ希有なものなのかということを、今の私は痛いほど知っている。

残った5人の面子は有楽町駅に向かって歩いていた。銀座のメインストリートは洗練されきっていて、高年収とおぼしき人々がせわしく行き交っていた。私と上司は「富裕層って感じっすね」「うぜーなー」と言って笑っていた。披露宴での酔いは殆ど醒めて、すっかり肌寒い東京の夜風が気持ちよかった。お世辞にも清涼とは言えない、二酸化炭素や排気口の油分を孕んだような空気。私はこんな都会の空気を本当に愛していた。

――私、帰ります。

後ろから声が聞こえた。件の女性である。上京して2番目に好きになった女の子。今や大手企業に勤務し、二人目の恋人と付き合っているらしい。一緒に働いていたときの「おきゃん」な感じは鳴りを潜め、かつての強い東北訛りもだいぶ緩和されていた。彼女もこの2年で、他の人間と同じように、この街で酸いも甘いも数多く経験してきたのだろう。きっと人間的に大きく成長したに違いなかった。

「あれ、そっちから帰れるの?」「新橋まで歩いたほうが近いので」「またねー」「会社やめるなよ」「あははは」私を除く3人が口々に別れの挨拶や、挨拶替わりの冗談を彼女に言った。そして私はさようならも言わず、歩みを止めて振り返ることさえしなかった。彼女が帰っていく足音はもちろん、喧噪にまみれて聞こえなかった。……

――ビルに設置された赤い灯火の数々が、息づくように明滅していた。夥しい光の氾濫がそこにはあった。2年前、地元に帰る前日にも、同じような景色を眼前にして、同じようなことを感じていた。そしてこの「あはれ」にも似た感覚を、半年前に見た大阪の夜景では感じなかった理由に思い当たった。私が数年間この街でどうにかこうにか生活し、そんな中で多かれ少なかれ関係してきた人々が、今ここに見える光のどれかに寄り添って生きているのかもしれない――そんな幻想と言いきっていいくらいの思いが、神秘的な感慨となって、激しく情緒を揺らしているのだ。

私は彼女のことをずっと憎いと思っていると、自分で思いこんでいた。しかしほんの2年という月日が、その憎しみを全く過去の感情にしていたことに気づいた。再び記憶の展開が始まった。美しいピアノの旋律はそこにはない。瀟洒なジャズのBGMもない。恋愛という形を介さなければ、とても仲良くなれたはずの関係が、ボタンの掛け違いのように決定的に拗れてしまったこと。でもそれは全く仕方のないことだったのだ。今となっては、単純に運がなかっただけとしか言えない類のことなのだ。誰にもどうしようもできないこと、絶対的に時間をかけないと受け入れられないこと。しかしそういったことをなんとか潜りぬけることで、自分の価値観や感性は否応なく規定されていく。私の場合は、たまたまそれが彼女の存在そのものだった。ある面ではトラウマとして、ある面では反面教師として。そしてまたある面では、模範として。

そう考えていると、私は心のどこかで、一生のうちで一度だけは彼女に会っておきたいと思っていたに違いない……という不思議な感覚に陥った。今も互いに、忘れがたく・許しがたい記憶が根強く残っている、修復不能で不可逆的な関係。これから先は死ぬまで会うことはない。言葉を交わすことも、永久にない。

だからこそ、あなたにだけは、幸せであってほしいし、遠い都会の中でも強く生きていってほしい。私はそう願っている。

10年

このブログを開設してから10年が経った。
10年の間に、変えられたこと・変えられなかったこと、たくさんあるけれど、とりあえずは健康に生きられたことが一番。

「コンプレックスを解消する」というのが、思えば20代最大のテーマで、そのテーマに対してそこそこ真摯に向き合ってこれたように感じる。その年月の中で私がわかったことは、「ある種のコンプレックスは完全に解消できるし、ある種のコンプレックスはどんなに頑張っても解消不可能である」ということ。言葉にすれば当たり前すぎるくらいだが、この結論を身体で納得できたのはとても喜ばしいことだと思う。

飛騨に住む

来週から数ヶ月ほど、飛騨高山に住むことになった。
こういうチャンスは滅多にないと思うので、とてもわくわくしている。
ただ本格的な豪雪地帯に住んだ経験がないので、南国生まれの身としては非常にビビっている。

飛騨高山といえば、小説・アニメ『氷菓』の舞台となった土地であり、今まで私が旅行してきた中では一番好きな場所である。このブログでも何個か高山についての記事を書いているくらいである。

倍音

東京での恋愛が「歌になる」のは何故なのか。
巷間に溢れるラブソングの数々は、東京を舞台にしたものが多いような気がする。
たとえば、里村での恋愛を題材にした歌なんか全然思いつかないし、地方都市での恋愛もあまり歌われていないような。地元の恋愛というのがメインで歌われるのは珍しく、歌われるとしたらそれは「美しい思い出」という文脈で、ということが多いように思う。偏見かもしれないが(もとい、偏見そのものだが)たいていの恋の唄は東京を舞台としている。

先週東京に旅行して、「こんだけ人が多かったら、知り合いとばったり会うなんてこと、ないよなぁ」とつくづく思った。たとえすれ違っていたとしても、いちいち人の顔を見ながら歩くなんてこともないから、気づく可能性も低い。
それから「東京では、もし恋人と別れたら(あるいは一夜限りの恋でも)、もう会うこともないんだ」と考えた。

実際はそんなことはない。東京でも意外と知り合いにばったり出くわすし、鹿児島でも全然会わなかったりするし、「ばったり出会う」ことはなくとも、何らかのイベントで顔を合わすこともありえるのだ。

それでも、……東京という街には、「もう二度と会えない」感を倍増させる妙な力があるよなぁと思う。

私はこういった「不可逆性」みたいなものを、どういうわけか夜景とか高速道路の面々と続く灯とか、そういう「光の点綴(てんてつ)」に見いだすことが多い。光の点綴を見るとき、私は一体何と「会えない」と感じているのだろう?

1人で居ること・2人で居ることを思うとき、私は同時に宇宙のことも思っている(そういえば、宇宙も光の点綴である)。
宇宙と「わたし・あなた」を同時に思い起こすことで、その存在が存在することと、それらの存在が繋がり合っていることの「途方もなさ」を思うのだ。離れたらもう会えない。ただ「お元気で」と祈るしかない。

東京という光の点綴で出来た街は、ときどきは冬風とともに、いつもは日常にかまけてそんなことを忘れている私に思い出させてくれる場所なのだろうな。

夕闇と光の点綴

心が強く揺り動かされる瞬間というのが、ときどき訪れる。そういうタイミングというのは、たとえば素数の出現頻度みたいに、年月を経るにつれて、その間隔が長くなっていく。そして素数が無限に存在するのと同じく、少年のように心が動く瞬間というのは、無限に用意されているのだろう。

昨日までの4日間、私は東京に滞在していた。アルバイト先の後輩どうしの結婚式に出席するためである。
実に1年3ヶ月ぶりの東京だった。
そこで、久し振りに心を強く揺さぶれるような出来事があった。
(ただ今回書きたいことは、その出来事についてではない。)

私は、そんな時には必ず、できるだけ早くそのときのことを「文章にする」ことにしている。
何が起こって、何を感じたのかということを。

「創作は衝動である。作りたいという衝動がないなら、創作には向いていない」というような言説をどこかで目にしたことがあるが本当にその通りだと思う。私がここ最近の文章について自分自身なんか納得いかないなぁと感じていた原因はきっとそこにあるのだろう。この東京滞在で、「絶対にこのことは書いておかねばならぬ」という強い衝動を久し振りに感じてみて、最近そんな衝動に突き動かされる経験は久しく無かったことに気づいた。

「強い気持ち」、たとえばすごく嬉しい・すごく悲しい、すごく寂しい、などといったもの(名前が与えられている代表的なものでいえば「コンプレックス」や「失恋」など)に向き合わざるを得ないとき、ある種の人々は「何かを(広い意味で)創作する」ものだと思う。ある人は音楽を作るだろう。ある人は絵を描くだろう。私の場合は一篇の文章を書く。そうして感情の証をどうにかして残そうとする。それはたとえば、スマホでは絶対に出来ないことだ。創作でなければ絶対に出来ないことなのだ。

創作の裏にはいつも、何かしらの強い衝動が前提とされている。人が音楽や小説や、映画や芸術全般といったものに惹かれるのは、その人の心が他者の衝動に呼応し、根源的に揺り動かされるからである。
私が今回感じたことはありきたりで別に特別じゃない、それでも私個人にとっては久しく忘れていた・とても大切なものだった。それを思い出せたのがとても嬉しかった。作った文章は推敲を重ねて、いつかここに上げたいと思っている。

漢検本番

漢字検定当日。
あくまで自己採点だが、合格したと思う。
勉強が甘かった故に解けなかったという問題が一問だけあった。通り一遍の勉強では解けないであろう問題をいくつか解けたのが嬉しかった。

入試とか国家試験のように、人生の帰趨を決しかねないような試験ではないけれど、それでも直前まで「やってきたことがもし報われなかったらどうしよう」という明瞭な怖さがあった。何も対策していないときは、お馴染みのあのぞわぞわした曖昧な、タタリ神みたいな怖さが襲ってくるものだが、今回は違った。不安に苛まれるのは同じだが、その不安ははっきりとした輪郭を持っていた。もし私が大学入試に「ちゃんと」向き合っていれば、10代の時点でこういうくっきりとした、いわば「健全な不安」をくぐり抜けることが出来ていたのだろう。20代の人生というのはかくして、10代で手に入れられなかったものをちまちま回収することで規定されている。(「人間は10代で手に入れられなかった者に一生固執する」と誰かが言っていたが、その通りだと思う。)

問題に関しては、副次的な意味や読みを問うものが多いように感じた。前回と同じように、今回も歴代屈指の難関回だったと思うが、対策としては参考書2冊(私は『カバー率』と『頻出度順』を使った)、そしてネットに落ちている問題をひたすら解く…くらいで充分だと感じた。『頻出度順』は明朝体だし意味も載ってないし許容字体も載ってないし、『カバー率』の方が圧倒的に便利だと思う。

漢字というジャンルそのものに関しては、知れば知るほど漢字、ひいては日本語のこと、全っ然知らないんだなぁとつくづく感じる(「知らない」というのは深い意味においてではなく、単純な意味において「知らない」ということである)。見たこともない漢字、聞いたこともない読みがまだまだ無数に存在していて、知識が増えれば増えるほど、その宇宙が加速度的に広がっていくのが感じられて、なんだか不思議な感覚だ。言語を覚えるということは、少なくともその数だけの概念の抽斗が増えるということだから、実際ここで起こる様々な出来事とそれらを結びつける作業も並行して出来ればいいかなと思っている。

読書の秋

すっかり肌寒くなり、何かを考えたり身体を動かしたりしたいという意欲が沸々と沸いてくるこの頃である。気候というものが如何にメンタルに作用してくるか、30を前にしてしみじみと実感する日々だ。

とはいっても、ここ半年~1年の間で、私はほとんど本を読んでいない。
私の中では「本をたくさん読む時期」と「本を全然読まない時期」というのが交互にあって、今は後者の時期だ。そしてそろそろ、本を読みたくなる季節が訪れるような気がする。

じっくり考えてみたい・調べてみたいテーマがいくつか手元にある。
「生活の方向性を考えたり、創作物に触れたりする上で、『無常観』という概念はおそらく外せないのではないか」
「漫然と過ごす時間を無意味に捉えがちな(女子大生的な?)価値観・人生観への対抗」
「『自分の理想や夢を求めて生きる』・『社会的模範的に生きる』という二大理想的人生は、私には不可能であるということ」

(社会的模範的に生きるというのは、定職に就き、結婚して、子供を育てて・・・という生き方を志向するということ(本当はもっと厳密に定義すべきだが)。上記2つの生き方は勿論、融合している場合もある。
私はこの2つの生き方を侮蔑しているわけではない。むしろ羨望の対象であり、漠然ながら私自身選びたかった・いつか選ぶことになるであろうと思っていた類のものである。そしてこの生き方が出来ないと見切るということは、王道の社会観や人間関係、ひいては自分の内的視線に対して、叛逆の火蓋を切ることを意味する)

漢字検定

今度の日曜日に漢字検定(準1級)があり、目下勉強中である。
前回は付け焼き刃程度の勉強でのぞみ、あえなく撃沈した。
点数的には合格点まで9点であり、数値上は惜しいように見えるが、個人的にはこの9点は「示唆的に」遠かった。

6月の試験終了後、会場からわざわざ遠くの駅まで歩きながら考えたのは、おそらく落ちたなぁということと、「漢検を受けるにあたって、私が本当に達成しなければならないことは何だったのか」ということだった。そりゃあ適当な勉強でもいつか受かるだけの力は流石にあるだろう、別に喉から手が出るほど欲しい資格でもないし、・・・だがそういうことではない。

目標の巨細にかかわらず、定められた期日に向かって、着実にやるべきことをこなすくらいの人間性が自分にあると証明したかった・すべきだったのではないか。
だから前回の試験が仮に受かっていたとしても、あまり嬉しくはなかっただろうなとは思う。こんな感じで結果が伴ったところで、何も証明できていないからである。

こういう記事を書いているということは、目前に迫った試験に際して、まあまあしっかり準備できたかなという手応えがあるということである。これで落ちたら笑うが。感覚としては、難しい回でも175点くらいは取れるだろう(漢検準1級の合格点は160点と言われている)。

以下は具体的に感じたことの羅列である。

①難しい漢字は怖くない。簡単な漢字が組み合わされた、見慣れない熟語が怖い。
「荏苒」とか「瀦水」「盈虚」といった、基本見たことのない漢字(で構成された熟語)は出題がパターン化できるので、覚えさえすれば確実に解ける(ただし1級は別である)。しかし、簡単な漢字のマイナーな組み合わせというのは、あまりにも数が膨大すぎて全て覚えるのは厳しく、類推するのも難しい。「食頃」「娘子」「串殺」「酸鼻」などなど。ここに挙げたのは受検者にとってはむしろ常識の範囲内であると思われる。

②「しんにょう」や「しょくへん」の扱い。
準1級からは「許容字体」という概念があり、たとえば「辻」のしんにょうは「二点しんにょう」と呼ばれているが、これは普通のしんにょう(「通」などの「一点しんにょう」)で書いても構わない。この概念に最初は戸惑った。今でも戸惑っている。

③どこの言語体系から飛んできたのかすら分からない系
姶い(みめよい)、淘る(よなげる)、優(わざおぎ)。でも「みめよい」は素敵な言葉だなぁと思った。「姶良」という地名があるが、これも関係しているのかもしれない。

④勘違いしてた系
見窄らしい(みすぼらしい)、子を「儲ける」、「刺」と「剌」が違う、など。

⑤逆に簡単な漢字が思い出せない。
これは暗記あるあるだと考えているのだが、一度に多くの事項を覚えると、一時的に既存の知識が引き出せなくなることがある。これは他の教科や将棋でも見られる現象で、私はこれを「暗記の副作用」と呼んでいる(というのは嘘で、今そう呼ぶことにした)。今朝の練習では「反る」と「駆ける」が書けなかった。覚えるタイミングと消化されるタイミングは違っている。

きざはし

将棋ウォーズで初段になった。

自分の中では、(あくまで素人の感覚だが)近い将来にブレイクスルーが起こりそうな手応えがある。しかしそのブレイクスルーを迎える前に、初段に昇段することができた。ここまでの軌跡を振り返ってみるに、じわじわゆっくり実力が伸びていっているように思う。もっと頑張ったらドカンと強くなれるかもしれない。

昇段できた一番の要因は、原始棒銀の受け方を練習したことかもしれない(次点で5手詰の詰将棋)。
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みかきもり

Author:みかきもり

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